「民主主義の使い方」とか
前回の記事で採りあげた市長のブログ「民主主義の深み」の次のブログ、
2016年02月17日「民主主義の使い方」(http://tomako.dosugoi.net/e840015.html)
この記事での市長の理屈の展開において一番の基礎になる前提は、
「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」
という文言だ。
(ここでの「自分たち」というのは当時の「求める会」のこと。)
この文言は「私は議会でこう申し上げました。」という書き出しから始まっている。
(ここでの「議会」とは12月議会のこと。)
(リンク先の市長のブログを読んでみてください)
この市長の発言は議会でなされたということだから、「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」という趣旨の発言をした議員がいるはず。
これは2015年12月06日「12月議会始まる。市長リコール鮮明に。」(http://slmichihiro.seesaa.net/article/430788761.html )というブログ。
こちら、お馴染みの白井議員のことだろう。この記事で12月議会での市長への質疑の内容が事細かに書かれている。
最後の④で市長リコールについて言及していて、市長のブログでの「私は議会でこう申し上げました。」は、この白井議員の④の質疑に対してのものだろう。
この④で白井議員はこう書いている。
「市長リコールが求められているのは、3階建30億円が受けいれられないからではなく・・・」
ここでの「3階建30億円」というのは市長のブログで言うところの「自分たちの案」のことだ。
白井議員はこのように言っているのだ。
「(リコールは)自分たちの案が受け入れられないからではない」
最初に戻って、市長はブログでこう言っている。
「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」
これ、どうですか? お互い言ってることが違う。一体どちらがホントで、どちらがウソなのか。
検証するのに一番確実なのは、12月議会の議事録をチェックすることだが・・・。
この12月議会の議事録はまだアップされていないので、検証できないのが残念。
12月議会の録画はあるけれども、あの長い議会に付き合うのはめんどくさい。
(コチラ議事録 → http://www.db-search.com/shinshiro-c/index.php/9738420?Template=Search-Library)
(コチラ録画 → http://www.shinshiro-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=gikai_list)
(よかったら見てみてください。)
とりあえず言えることは、「書いてあることを鵜呑みにするな」、ということだ。
市長にしても議員にしても。
自分の理屈の展開のためには、自分にとって都合よく事実を捻じ曲げてしまうものだ。
で、最初にもどる。
市長の理屈の前提「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」てのを、とりあえず「正しい」として以下に続く理屈を見てみる。
長くなったので次回。
2016年02月17日「民主主義の使い方」(http://tomako.dosugoi.net/e840015.html)
この記事での市長の理屈の展開において一番の基礎になる前提は、
「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」
という文言だ。
(ここでの「自分たち」というのは当時の「求める会」のこと。)
この文言は「私は議会でこう申し上げました。」という書き出しから始まっている。
(ここでの「議会」とは12月議会のこと。)
(リンク先の市長のブログを読んでみてください)
この市長の発言は議会でなされたということだから、「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」という趣旨の発言をした議員がいるはず。
これは2015年12月06日「12月議会始まる。市長リコール鮮明に。」(http://slmichihiro.seesaa.net/article/430788761.html )というブログ。
こちら、お馴染みの白井議員のことだろう。この記事で12月議会での市長への質疑の内容が事細かに書かれている。
最後の④で市長リコールについて言及していて、市長のブログでの「私は議会でこう申し上げました。」は、この白井議員の④の質疑に対してのものだろう。
この④で白井議員はこう書いている。
「市長リコールが求められているのは、3階建30億円が受けいれられないからではなく・・・」
ここでの「3階建30億円」というのは市長のブログで言うところの「自分たちの案」のことだ。
白井議員はこのように言っているのだ。
「(リコールは)自分たちの案が受け入れられないからではない」
最初に戻って、市長はブログでこう言っている。
「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」
これ、どうですか? お互い言ってることが違う。一体どちらがホントで、どちらがウソなのか。
検証するのに一番確実なのは、12月議会の議事録をチェックすることだが・・・。
この12月議会の議事録はまだアップされていないので、検証できないのが残念。
12月議会の録画はあるけれども、あの長い議会に付き合うのはめんどくさい。
(コチラ議事録 → http://www.db-search.com/shinshiro-c/index.php/9738420?Template=Search-Library)
(コチラ録画 → http://www.shinshiro-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=gikai_list)
(よかったら見てみてください。)
とりあえず言えることは、「書いてあることを鵜呑みにするな」、ということだ。
市長にしても議員にしても。
自分の理屈の展開のためには、自分にとって都合よく事実を捻じ曲げてしまうものだ。
で、最初にもどる。
市長の理屈の前提「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」てのを、とりあえず「正しい」として以下に続く理屈を見てみる。
長くなったので次回。
2016年02月26日 Posted by けま at 10:39 │Comments(0) │市長リコール運動
市長のブログから
新城市長のブログ、2016年02月16日「民主主義の深み(http://tomako.dosugoi.net/e839801.html 」では
憲法第12条を引き合いにして記事がかかれている。
憲法そのものには色んな学説があるがそのひとつに、「国」という権力が「人民」をその権力で押さえつけないように「(国の)権力を制限する規範」というものがある。
「国民に保障される自由及び権利」は「国」の持つ権力によって常に脅かされる危険性を持っている、というわけだ。
だからこそ「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」のだな。
では、この「不断の努力」とは?
このことが市長のブログでいうところの、
「水道の水も日々適正に管理運用されていればこそ便利に使えるもの。民主主義も同じで、高い意識や規範をもって運用する国民がいてこそ成り立つものと思います」
ということなのだろう。
具体的に考えられることは、
・新聞やらテレビのニュースとかで「国」のやることに常に注意を払い、
・「自由及び権利」が押さえつけられるようなことには抗議の声、行動をとらなければならない。
ということだろうか。
こういうことをする国民が市長のいうところの「高い意識や規範をもって運用する国民」で、こういう国民がいてこそ「(民主主義が)成り立つものと思います」というわけだ。
この「不断の努力」を常に行う、と。
民主主義というモノはなかなか大変な努力を国民に強いるものなのだ。
さてこの「国」は地方公共団体、すなわち「県」やら「市」「町」「村」にも当てはめることができるだろう。
私たち市民は「国」と同じく「市」、すなわち「市長」に対しても「自由及び権利」を守るべく「不断の努力」をしていかなければならない。
なんせ市長自らが「高い意識や規範をもって運用する国民」を望んでいるのだから。(「国民」は「市民」に置き換えよう)
ホント、ずーっとこのブログで述べているけれども、また繰り返す。
住民投票の後の実務協議で、求める会は会の提示した市民案に対する市側の質問にしっかり答えた。
その答えが実用的現実的ではないならば、また協議を行い、そのようにして互いに納得できる新庁舎案ができるものと思っていた。
しかし協議は市側の回答のないまま打ち切られ、求める会に一言もなく新たな見直し案が発表された。
協議結果を全く無視するような態度を取ったのは市側だろう。
この話し合いを無視した横暴な態度こそが問題にされなければならない。
私はこの市側の態度が市民の「自由及び権利」を、まさに『押さえつけた』瞬間だと思っている。
その市側の行動に対して「自由及び権利」を守る行動が、今回の「市長リコール運動」と理解している。
市長の言う「高い意識や規範をもって運用する“市民”」がこのリコール運動をさせたのだ。
市長の記事に沿うなら、むしろこの「リコール運動」を市長は喜ばなければならないだろう。
憲法第12条を引き合いにして記事がかかれている。
憲法そのものには色んな学説があるがそのひとつに、「国」という権力が「人民」をその権力で押さえつけないように「(国の)権力を制限する規範」というものがある。
「国民に保障される自由及び権利」は「国」の持つ権力によって常に脅かされる危険性を持っている、というわけだ。
だからこそ「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」のだな。
では、この「不断の努力」とは?
このことが市長のブログでいうところの、
「水道の水も日々適正に管理運用されていればこそ便利に使えるもの。民主主義も同じで、高い意識や規範をもって運用する国民がいてこそ成り立つものと思います」
ということなのだろう。
具体的に考えられることは、
・新聞やらテレビのニュースとかで「国」のやることに常に注意を払い、
・「自由及び権利」が押さえつけられるようなことには抗議の声、行動をとらなければならない。
ということだろうか。
こういうことをする国民が市長のいうところの「高い意識や規範をもって運用する国民」で、こういう国民がいてこそ「(民主主義が)成り立つものと思います」というわけだ。
この「不断の努力」を常に行う、と。
民主主義というモノはなかなか大変な努力を国民に強いるものなのだ。
さてこの「国」は地方公共団体、すなわち「県」やら「市」「町」「村」にも当てはめることができるだろう。
私たち市民は「国」と同じく「市」、すなわち「市長」に対しても「自由及び権利」を守るべく「不断の努力」をしていかなければならない。
なんせ市長自らが「高い意識や規範をもって運用する国民」を望んでいるのだから。(「国民」は「市民」に置き換えよう)
ホント、ずーっとこのブログで述べているけれども、また繰り返す。
住民投票の後の実務協議で、求める会は会の提示した市民案に対する市側の質問にしっかり答えた。
その答えが実用的現実的ではないならば、また協議を行い、そのようにして互いに納得できる新庁舎案ができるものと思っていた。
しかし協議は市側の回答のないまま打ち切られ、求める会に一言もなく新たな見直し案が発表された。
協議結果を全く無視するような態度を取ったのは市側だろう。
この話し合いを無視した横暴な態度こそが問題にされなければならない。
私はこの市側の態度が市民の「自由及び権利」を、まさに『押さえつけた』瞬間だと思っている。
その市側の行動に対して「自由及び権利」を守る行動が、今回の「市長リコール運動」と理解している。
市長の言う「高い意識や規範をもって運用する“市民”」がこのリコール運動をさせたのだ。
市長の記事に沿うなら、むしろこの「リコール運動」を市長は喜ばなければならないだろう。
2016年02月25日 Posted by けま at 04:29 │Comments(0) │市長リコール運動
シンポジウム 「長篠・設楽原の戦いを考える」 2
シンポジウムの内容にも少し触れたいと思います。
第一部では長篠合戦で戦った大名、武田氏、織田氏、徳川氏、それぞれにとっての「長篠・設楽原の戦い」が3人の先生から報告がありました。
そしてここで訂正。
前の記事で、第一部は一次史料のみでの研究成果の報告と書いてしまいましたが、間違いでした。
すいません。
3人の先生の報告のうちの3番目「徳川氏にとっての長篠・設楽原の戦い」を担当された谷口央先生は「二次史料」といってよい「家譜」をもとに研究された成果を発表されました。
順番が前後してしまいますが、こちらの報告は大変おもしろかったです。
「家譜」とは大名家が作った、「お家」がどのような由来でもって今の地位にあるのか?を書き記したもので、子孫に初代の威光、偉大さを示さなくてはならず、自然に“盛った”内容にならざるを得ません(笑。
設楽原の戦いでイメージするのは、鉄砲隊と騎馬隊の激突、なワケですがこれが一番メジャーな正面の戦いですね。
それに対して搦め手の戦いが「鳶巣砦攻略」で、近年ではこちらの戦いも注目されつつあります。
が、やはり現在においてはまだまだマイナーな扱い。
しかしこの戦いでの東三河衆は彼らの家譜において、むしろ「鳶巣砦攻略」を大々的に宣伝している、と谷口先生はおっしゃいます。
特に鳶巣砦攻略の発端、「酒井忠次の信長への献策シーン」は酒井家はもちろん、鳶巣砦攻略に参加し活躍した東三河衆の各家に伝わっていることがわかっています。
このシーンは戦国モノのドラマでは結構有名な場面ですね。
酒井忠次が織田徳川の武将が居並ぶ軍議の場で献策するも「そんなのダメッ!」と信長に叱られてしまいますが、軍議後密かに呼び出されて「あん時はゴメン。あまりにイイ策だったんだけど、間諜を用心して採用しないフリしちゃった、テヘペロ。」というシーン。
この後、鳶素砦奇襲部隊が組まれて、大将はもちろん酒井忠次。
織田勢5000人に徳川は東三河衆を中心に3000人の、計8000人が砦攻略に向かいます。
この数字、どこの家譜にもほぼ同数の記述があり、まず間違いないとされています。
そして織田勢が多いにも関わらず、この攻略に至る記述やこの後の砦攻撃での活躍や被害の状況が東三河衆の家譜に書かれているのだそうです。
これは何を意味するか?
設楽原の戦いは織田信長や徳川家康といった大名級の捉え方とは違い、東三河衆独自の捉え方があった、ということ。
ここでの活躍がお家発展の基礎となったため、この鳶素砦攻略シーンが「スゴい戦いだったんだぞ」と子孫に知らしめる必要があったということ、なわけですね。
そういえば出典を失念してしまったのですが、新城の菅沼家では新しい殿様が家を継ぐと初代の功績を忘れないために、鳶巣砦攻略ルートを歩くという儀式のようなものが行われていたという記事を読んだ記憶があります。
これなんかも東三河衆が鳶巣砦攻略参加を重要視していた証拠かもしれないですね。
とか思ったんですが、これまた思い出したことが。
実は野田菅沼氏の家譜には鳶巣砦攻略の記載がないんですって(^_^;)
う~む、となると「菅沼の殿様、鳶巣砦攻略ルートを歩く」は見間違いだったのか・・・。
そして、長篠籠城で武勲をあげた奥平氏の家譜でもいくつか種類がある中で記載がある家譜と無い家譜があるとか。
菅沼家譜にも奥平家譜の全てにも、鳶巣砦攻略シーンが記述されていれば万々歳なんだけど、そうはウマくいかないところにまたナゾが(笑
こういう齟齬に妄想を膨らますのがまた歴史のオモシロいところ。
第一部では長篠合戦で戦った大名、武田氏、織田氏、徳川氏、それぞれにとっての「長篠・設楽原の戦い」が3人の先生から報告がありました。
そしてここで訂正。
前の記事で、第一部は一次史料のみでの研究成果の報告と書いてしまいましたが、間違いでした。
すいません。
3人の先生の報告のうちの3番目「徳川氏にとっての長篠・設楽原の戦い」を担当された谷口央先生は「二次史料」といってよい「家譜」をもとに研究された成果を発表されました。
順番が前後してしまいますが、こちらの報告は大変おもしろかったです。
「家譜」とは大名家が作った、「お家」がどのような由来でもって今の地位にあるのか?を書き記したもので、子孫に初代の威光、偉大さを示さなくてはならず、自然に“盛った”内容にならざるを得ません(笑。
設楽原の戦いでイメージするのは、鉄砲隊と騎馬隊の激突、なワケですがこれが一番メジャーな正面の戦いですね。
それに対して搦め手の戦いが「鳶巣砦攻略」で、近年ではこちらの戦いも注目されつつあります。
が、やはり現在においてはまだまだマイナーな扱い。
しかしこの戦いでの東三河衆は彼らの家譜において、むしろ「鳶巣砦攻略」を大々的に宣伝している、と谷口先生はおっしゃいます。
特に鳶巣砦攻略の発端、「酒井忠次の信長への献策シーン」は酒井家はもちろん、鳶巣砦攻略に参加し活躍した東三河衆の各家に伝わっていることがわかっています。
このシーンは戦国モノのドラマでは結構有名な場面ですね。
酒井忠次が織田徳川の武将が居並ぶ軍議の場で献策するも「そんなのダメッ!」と信長に叱られてしまいますが、軍議後密かに呼び出されて「あん時はゴメン。あまりにイイ策だったんだけど、間諜を用心して採用しないフリしちゃった、テヘペロ。」というシーン。
この後、鳶素砦奇襲部隊が組まれて、大将はもちろん酒井忠次。
織田勢5000人に徳川は東三河衆を中心に3000人の、計8000人が砦攻略に向かいます。
この数字、どこの家譜にもほぼ同数の記述があり、まず間違いないとされています。
そして織田勢が多いにも関わらず、この攻略に至る記述やこの後の砦攻撃での活躍や被害の状況が東三河衆の家譜に書かれているのだそうです。
これは何を意味するか?
設楽原の戦いは織田信長や徳川家康といった大名級の捉え方とは違い、東三河衆独自の捉え方があった、ということ。
ここでの活躍がお家発展の基礎となったため、この鳶素砦攻略シーンが「スゴい戦いだったんだぞ」と子孫に知らしめる必要があったということ、なわけですね。
そういえば出典を失念してしまったのですが、新城の菅沼家では新しい殿様が家を継ぐと初代の功績を忘れないために、鳶巣砦攻略ルートを歩くという儀式のようなものが行われていたという記事を読んだ記憶があります。
これなんかも東三河衆が鳶巣砦攻略参加を重要視していた証拠かもしれないですね。
とか思ったんですが、これまた思い出したことが。
実は野田菅沼氏の家譜には鳶巣砦攻略の記載がないんですって(^_^;)
う~む、となると「菅沼の殿様、鳶巣砦攻略ルートを歩く」は見間違いだったのか・・・。
そして、長篠籠城で武勲をあげた奥平氏の家譜でもいくつか種類がある中で記載がある家譜と無い家譜があるとか。
菅沼家譜にも奥平家譜の全てにも、鳶巣砦攻略シーンが記述されていれば万々歳なんだけど、そうはウマくいかないところにまたナゾが(笑
こういう齟齬に妄想を膨らますのがまた歴史のオモシロいところ。
2016年02月24日 Posted by けま at 00:30 │Comments(2) │歴史から
シンポジウム 「長篠・設楽原の戦いを考える」
好き好んで堅苦しい文句ばかり書いているこのブログですが、今回は少し趣向を変えて。


2月21日「長篠・設楽原の戦いを考える」というシンポジウムに行ってきました。
市民文化会館小ホールは400名ほど入るとのことですが、立ち見も出るほどの盛況ぶり。
お隣の方は静岡は菊川からいらしたとのことで、市内だけでなく市外県外からもたくさん来たのでしょうなぁ。
地元にいると“ある”のがフツーな長篠城・設楽原ですが、歴史好きな皆さんにとってはやはり全国的に有名で関心の高い史跡なのだなぁと改めて思いました。
今回のシンポジウムのキーワードは「関連史料の収集による長篠合戦の立体的復元」。
歴史研究に欠かせないのは「一次史料」と呼ばれるもの。
これはある事件が起こった時、またはある行為がなされた時点で書かれたもの、のことです。
ある事件が世の中に伝わっていく中で、時間の経過による記録の劣化や伝える人の立場による改変が行われてその事件の事実がだんだん変化していきます。
そこで事件を正確に知るためには、なによりその事件の起こった時、時間の経過によりまだ事実が歪められていないと考えられる記録に依ることが歴史研究にとっては重要かつ基本的な姿勢です。
今回で言えば長篠城の攻防や、設楽原の戦いのあった日(天正3年5月21日)前後の日付のある書状のことで、合戦に関わった武田、徳川、織田の武将たちの直筆の書状が今も残っています。
これら「一次資料」を読み解き比較することで、合戦に至る経緯や当時の合戦の模様を正確に復元しようとする研究の発表が第一部でなされました。
第二部では一転して、「二次史料」から長篠合戦を見ていきました。
「二次史料」とはある事件が起こった後に作成されたもので、後の人々の考えや解釈が多く付け足されていると考えられています。
「一次史料」に比べれば格段に史料としての信頼度が落ちるもので、事件そのものを正確に描くための素材としては不適格なものとされていました。
しかしその事実が変化していくさまを見ることで、長篠合戦のまた新たな発見があるのではないか?
そういう考えのもとで、ひとつは「合戦図屏風」という絵画から、もうひとつは「近世軍記」という当時の庶民に広く読まれた書物から、研究の発表がありました。
そして最後には我らが設楽原歴史資料館の湯浅先生から、まさに現場の景観から見た長篠合戦の研究発表がありました。
このように「一次史料」と「二次史料」。
「書状(一次史料はこの類だけ)」と「絵画」と「書物」と「現場の現在の写真」。
これら関連史料を全て組み合わせて長篠合戦を見ることを「立体的復元」と称し、今回のシンポジウムが開催されました。
とまぁシンポジウムの概要を書くだけで長くなってしまいますが、実際のシンポジウムもマジ長かったです。
早めに会場入りしたのが12時半ごろ。そして終わったのが17時20分(少しオーバーしました。)
途中10分ほどの休憩が2回ありましたが、5時間弱座り続け。
どこかの耐久レースのようでしたわい。


2月21日「長篠・設楽原の戦いを考える」というシンポジウムに行ってきました。
市民文化会館小ホールは400名ほど入るとのことですが、立ち見も出るほどの盛況ぶり。
お隣の方は静岡は菊川からいらしたとのことで、市内だけでなく市外県外からもたくさん来たのでしょうなぁ。
地元にいると“ある”のがフツーな長篠城・設楽原ですが、歴史好きな皆さんにとってはやはり全国的に有名で関心の高い史跡なのだなぁと改めて思いました。
今回のシンポジウムのキーワードは「関連史料の収集による長篠合戦の立体的復元」。
歴史研究に欠かせないのは「一次史料」と呼ばれるもの。
これはある事件が起こった時、またはある行為がなされた時点で書かれたもの、のことです。
ある事件が世の中に伝わっていく中で、時間の経過による記録の劣化や伝える人の立場による改変が行われてその事件の事実がだんだん変化していきます。
そこで事件を正確に知るためには、なによりその事件の起こった時、時間の経過によりまだ事実が歪められていないと考えられる記録に依ることが歴史研究にとっては重要かつ基本的な姿勢です。
今回で言えば長篠城の攻防や、設楽原の戦いのあった日(天正3年5月21日)前後の日付のある書状のことで、合戦に関わった武田、徳川、織田の武将たちの直筆の書状が今も残っています。
これら「一次資料」を読み解き比較することで、合戦に至る経緯や当時の合戦の模様を正確に復元しようとする研究の発表が第一部でなされました。
第二部では一転して、「二次史料」から長篠合戦を見ていきました。
「二次史料」とはある事件が起こった後に作成されたもので、後の人々の考えや解釈が多く付け足されていると考えられています。
「一次史料」に比べれば格段に史料としての信頼度が落ちるもので、事件そのものを正確に描くための素材としては不適格なものとされていました。
しかしその事実が変化していくさまを見ることで、長篠合戦のまた新たな発見があるのではないか?
そういう考えのもとで、ひとつは「合戦図屏風」という絵画から、もうひとつは「近世軍記」という当時の庶民に広く読まれた書物から、研究の発表がありました。
そして最後には我らが設楽原歴史資料館の湯浅先生から、まさに現場の景観から見た長篠合戦の研究発表がありました。
このように「一次史料」と「二次史料」。
「書状(一次史料はこの類だけ)」と「絵画」と「書物」と「現場の現在の写真」。
これら関連史料を全て組み合わせて長篠合戦を見ることを「立体的復元」と称し、今回のシンポジウムが開催されました。
とまぁシンポジウムの概要を書くだけで長くなってしまいますが、実際のシンポジウムもマジ長かったです。
早めに会場入りしたのが12時半ごろ。そして終わったのが17時20分(少しオーバーしました。)
途中10分ほどの休憩が2回ありましたが、5時間弱座り続け。
どこかの耐久レースのようでしたわい。
2016年02月23日 Posted by けま at 11:42 │Comments(0) │歴史から
メディアの報道、現場の声
あるところから情報が発せられた場合、特に深く考えることもなく「なるほど、そうか。」と「事実」として受け取ることはごく普通のことだ。
とは言うものの同じ情報を複数の発信場所から得ていると、その情報の内容や扱い方の違いに気づくことも多い。
「情報の信頼度」という面を考慮しなくてはならない場合もあるだろう。
大手の新聞記事なら信頼できるのか? 現場の人の声の方に真実が含まれてはいないか?
「情報の恣意的な切り取り」もあるだろう。
大手新聞記者が取材で得た情報を『すべて』報じてくれているのか? 現場の人の声の方に報道されるべき情報があるのではないか?
この2点を強く感じたのが、どすごいブロガー「パパゲーノの夢さん」の2月16日の記事。
「新聞に書かれなかったこと(報道されなかったこと)」(http://pensee.dosugoi.net/e839697.html)
記事後半、リコール反対派の露骨な妨害工作が具体的に書かれている。
これこそまさに「現場の声」なのだろう。
ところがこれが新聞記事になると、


妨害の具体例としては赤線で引いた箇所、「市長支持派の不穏当なチラシ」と「署名は縦覧されると宣伝した」の2点のみ。
そしてこの記事においては、

リコールを求める会側の「署名が集まらなかった理由」を報じているわけだが、まるでリコールの会側に『だけ』問題があったかのような書きっぷりだ。
地元大手の中日新聞や全国紙の毎日新聞がこのように報じれば、ほとんどの市民が記事に書かれたこと『だけ』が真実として信じるだろう。
しかし実際に受任者として市内を歩き回り、市民の声を直接聞き、妨害工作を目の当たりにした方の生の声は、「これもまた真実」として記憶に留めておかなくてはならない。
とは言うものの同じ情報を複数の発信場所から得ていると、その情報の内容や扱い方の違いに気づくことも多い。
「情報の信頼度」という面を考慮しなくてはならない場合もあるだろう。
大手の新聞記事なら信頼できるのか? 現場の人の声の方に真実が含まれてはいないか?
「情報の恣意的な切り取り」もあるだろう。
大手新聞記者が取材で得た情報を『すべて』報じてくれているのか? 現場の人の声の方に報道されるべき情報があるのではないか?
この2点を強く感じたのが、どすごいブロガー「パパゲーノの夢さん」の2月16日の記事。
「新聞に書かれなかったこと(報道されなかったこと)」(http://pensee.dosugoi.net/e839697.html)
記事後半、リコール反対派の露骨な妨害工作が具体的に書かれている。
これこそまさに「現場の声」なのだろう。
ところがこれが新聞記事になると、


妨害の具体例としては赤線で引いた箇所、「市長支持派の不穏当なチラシ」と「署名は縦覧されると宣伝した」の2点のみ。
そしてこの記事においては、

リコールを求める会側の「署名が集まらなかった理由」を報じているわけだが、まるでリコールの会側に『だけ』問題があったかのような書きっぷりだ。
地元大手の中日新聞や全国紙の毎日新聞がこのように報じれば、ほとんどの市民が記事に書かれたこと『だけ』が真実として信じるだろう。
しかし実際に受任者として市内を歩き回り、市民の声を直接聞き、妨害工作を目の当たりにした方の生の声は、「これもまた真実」として記憶に留めておかなくてはならない。
2016年02月18日 Posted by けま at 08:18 │Comments(0) │市長リコール運動
リコール署名、結果がでました(今ごろ書くか)
リコール署名の結果がでました。集まった署名は8286筆。
リコール成立に必要な市内有権者の3分の1の13401には届かず、選管は受理しないこととなりました。
私は署名したし、このブログでも署名を促す記事を書いてきたのでこの結果は残念でした。
新友会とかいう団体の間違った知識や認識からなる広報チラシや、リコールに反対する市議会議員の街頭演説など、様々な妨害のあるなかでリコールの会の皆さんは大変な苦労をなされたと思います。
まずはお疲れ様でした。
署名がなぜ集まらなかったのか?
色々な原因が考えられると思いますが、これは実際の署名活動を行ったリコールの会の中で反省総括がなされればよいと思います。
私はあれこれ書いてきましたが、ただ署名しただけの一市民です。会の中の人ではないです(笑
署名の集まらなかった原因を色々書いたところでただの妄想にすぎないので、もしなにかわかることがあったら書きたいですが、今のところは触れないでおきます。
リコール署名に反対していた「新友会」や街頭演説していた市議会議員には色々思うことがあります。
これはまた追々書いていきたいと思います。
市議会議員の白井議員のブログではこのリコールの件でコメントがかなり伸びた記事があります。
→http://slmichihiro.seesaa.net/article/430993426.html#comment
こちらでのコメントのひとつに「結果がでなければ意味がない」というようなご意見がありました。
市長解職を目指していたのに、結局そのための住民投票に至る前で署名が集まらず潰えてしまったワケでして明らかに目指した「結果」が出ていません。
この結果をもって指差して笑われたり、「ほれ見たことか」とからかわれても何も返す言葉はございません。
だからと言って黙り込む必要もないですな。
この「署名が集まらなかった」という結果、しかし「8286筆の署名があった」という事実。
このことから何を見出すか。
これはリコールに賛成した人、反対した人、それぞれが気づいていかなければならないことだと思っています。
物事、ただの勝ち負けに終わらせていたらそれまででしょうな。
リコール成立に必要な市内有権者の3分の1の13401には届かず、選管は受理しないこととなりました。
私は署名したし、このブログでも署名を促す記事を書いてきたのでこの結果は残念でした。
新友会とかいう団体の間違った知識や認識からなる広報チラシや、リコールに反対する市議会議員の街頭演説など、様々な妨害のあるなかでリコールの会の皆さんは大変な苦労をなされたと思います。
まずはお疲れ様でした。
署名がなぜ集まらなかったのか?
色々な原因が考えられると思いますが、これは実際の署名活動を行ったリコールの会の中で反省総括がなされればよいと思います。
私はあれこれ書いてきましたが、ただ署名しただけの一市民です。会の中の人ではないです(笑
署名の集まらなかった原因を色々書いたところでただの妄想にすぎないので、もしなにかわかることがあったら書きたいですが、今のところは触れないでおきます。
リコール署名に反対していた「新友会」や街頭演説していた市議会議員には色々思うことがあります。
これはまた追々書いていきたいと思います。
市議会議員の白井議員のブログではこのリコールの件でコメントがかなり伸びた記事があります。
→http://slmichihiro.seesaa.net/article/430993426.html#comment
こちらでのコメントのひとつに「結果がでなければ意味がない」というようなご意見がありました。
市長解職を目指していたのに、結局そのための住民投票に至る前で署名が集まらず潰えてしまったワケでして明らかに目指した「結果」が出ていません。
この結果をもって指差して笑われたり、「ほれ見たことか」とからかわれても何も返す言葉はございません。
だからと言って黙り込む必要もないですな。
この「署名が集まらなかった」という結果、しかし「8286筆の署名があった」という事実。
このことから何を見出すか。
これはリコールに賛成した人、反対した人、それぞれが気づいていかなければならないことだと思っています。
物事、ただの勝ち負けに終わらせていたらそれまででしょうな。
2016年02月15日 Posted by けま at 10:51 │Comments(0) │市長リコール運動
こんな本を買いました
「そんなことをしても世の中変わらない」と言う人たちがいます。
違います。
「そんなことをしても世の中変わらない」と言う人が多いから世の中変わらないのです。
うーむ、なるほどなぁ。

前から読みたいと思っていたこの本をようやく手に入れた。
というか、アマゾンで簡単に買えた(笑
冒頭の文言はこの本に書いてあったこと。「そんなこと」とはデモのことです。
この本の最初の章「デモはたのしい」は、松沢呉一さんと言う方が書いています。
ここでの文章は、当たり前だけど「デモ」と言う言葉がたくさん出てきます。
これを「リコール」に置き換えても不思議と違和感のない文章になるような・・・。
例えば、
・「デモは迷惑」という人たちが出てきますが、デモは法で認められた権利の行使です。それを迷惑がる人たちは、他者の権利を軽く見ているだけでなく、自分の権利を放棄しているとも言えます。
とか、
・選挙という方法の欠陥を補う手段がデモでもあるわけです。
デモがそういった効果を常にもたらすわけではなく、それによって政治家もマスコミも行政も動かないかもしれない。それを見た人たちが意見を変えることもないかもしれない。それでもデモをやっていいのです。これは表現だからです。効果があるのかないのかわからないことをやってはいけないんだったら、テレビだって、新聞だって、出版だって、映画だって、音楽だって、ブログだってあらゆる表現に意味がない事になってしまいます。
まさに今行われているリコールのための署名運動は、新友会とかいう組織に「新城の恥だ」と迷惑がられています。
この署名運動も「市長に辞めてほしい」というひとつの表現でもあると捉えれば、それは効果があるのかどうかわからない。
・人はやむにやまれず表現をします。効果なんてものは結果出てくるものでしかなく、それはデモでも同じです。必要なのは「デモをやりたい」という意思だけです。
「リコールをやりたい」とそのまま当てはめると「ただ辞めさせたいだけか」と捉えられてしまうかもしれないですね。
デモは、「選挙時にはわからなかったことを選挙民が伝える手段のひとつ」としています。
リコールも、「市長選挙時以降にはわかならかった市長の政治手法」、それを見ているうちに疑問を抱き、「任期途中だが辞めてもらわなければ」と市民に伝える手段のひとつ、といえないでしょうか?
少しでも署名に興味、関心を持ったのなら、私はやはり受任者の方々と話してみることをおすすめします。
ご自分の疑問を素直にぶつけ、もし受任者の答えに納得できるのならば、その納得を自分の「表現」として署名されればよいと思います。
自分の「表現」は自分のもの。
他人にとやかく言われて自分の「表現」を否定せず、肯定する一歩を踏み出したいものです。
違います。
「そんなことをしても世の中変わらない」と言う人が多いから世の中変わらないのです。
うーむ、なるほどなぁ。

前から読みたいと思っていたこの本をようやく手に入れた。
というか、アマゾンで簡単に買えた(笑
冒頭の文言はこの本に書いてあったこと。「そんなこと」とはデモのことです。
この本の最初の章「デモはたのしい」は、松沢呉一さんと言う方が書いています。
ここでの文章は、当たり前だけど「デモ」と言う言葉がたくさん出てきます。
これを「リコール」に置き換えても不思議と違和感のない文章になるような・・・。
例えば、
・「デモは迷惑」という人たちが出てきますが、デモは法で認められた権利の行使です。それを迷惑がる人たちは、他者の権利を軽く見ているだけでなく、自分の権利を放棄しているとも言えます。
とか、
・選挙という方法の欠陥を補う手段がデモでもあるわけです。
デモがそういった効果を常にもたらすわけではなく、それによって政治家もマスコミも行政も動かないかもしれない。それを見た人たちが意見を変えることもないかもしれない。それでもデモをやっていいのです。これは表現だからです。効果があるのかないのかわからないことをやってはいけないんだったら、テレビだって、新聞だって、出版だって、映画だって、音楽だって、ブログだってあらゆる表現に意味がない事になってしまいます。
まさに今行われているリコールのための署名運動は、新友会とかいう組織に「新城の恥だ」と迷惑がられています。
この署名運動も「市長に辞めてほしい」というひとつの表現でもあると捉えれば、それは効果があるのかどうかわからない。
・人はやむにやまれず表現をします。効果なんてものは結果出てくるものでしかなく、それはデモでも同じです。必要なのは「デモをやりたい」という意思だけです。
「リコールをやりたい」とそのまま当てはめると「ただ辞めさせたいだけか」と捉えられてしまうかもしれないですね。
デモは、「選挙時にはわからなかったことを選挙民が伝える手段のひとつ」としています。
リコールも、「市長選挙時以降にはわかならかった市長の政治手法」、それを見ているうちに疑問を抱き、「任期途中だが辞めてもらわなければ」と市民に伝える手段のひとつ、といえないでしょうか?
少しでも署名に興味、関心を持ったのなら、私はやはり受任者の方々と話してみることをおすすめします。
ご自分の疑問を素直にぶつけ、もし受任者の答えに納得できるのならば、その納得を自分の「表現」として署名されればよいと思います。
自分の「表現」は自分のもの。
他人にとやかく言われて自分の「表現」を否定せず、肯定する一歩を踏み出したいものです。
2016年02月06日 Posted by けま at 04:52 │Comments(0) │市長リコール運動
こういう考えでいかが?
基本的人権のひとつに「参政権」があります。今回のリコール(解職請求)もその参政権のひとつです。
基本的人権は、日本国憲法によってそれが確保されることが基本原理です。
要するに権利を行使するときには、それを阻害するものは除かれなければならないのです。
例えば、リコールにはお金がかかる、という意見があります。
リコールが成立すれば住民投票、市長選挙が続くことになり、結構な税金が使われることになりますね。
この前の住民投票では2000万円かかった、という話は新城市民なら誰もが耳にしたことだと思います。。
これ、お金がかかるからできません、ということがあってはならないわけです。。
このリコールの一連の出来事は参政権の行使であるから、こういうお金はスパッと出してもらわないと参政権を阻害することになるのですな。
この他にも、署名が見られるかもしれない、とか、会社で上司に「署名するな」と言われたとか。
署名するもしないも個人の考えに沿って自由に為されなければならないのです。
とは言っても、なかなかそうもいかないのが現実の世界ですよね(^_^;)
前も書きましたが、署名が集まって初めて住民投票ができることになります。
この住民投票で過半を取ってようやく市長の解任が決まります。
署名が集まっただけで市長解職が決まるわけではないのです。
ですから、
( 上司)<「お前、署名したのか!」
( 私) <「ええ、しましたが何か?」
( 上司)<「あれほどするな、と言っただろう。お前反市長派か!?」
( 私) <「いえいえ、ワタクシ絶対的市長派でございます。」
( 上司)<「じゃあなぜ署名したんだ!」
( 私) <「署名することによって住民投票に持ち込んでやろうと思いまして。」
( 上司)<「フム、それで?」
( 私) <「住民投票の場で市長完全勝利を見せつけてやろうと思いまして、クックックッ。」
( 上司)<「な~るほど!それは名案だ。反市長派の悔しがる顔が目に浮かぶ。ヒッヒッヒッ。」
( 私) <「では、上司も早速こちらに署名を!」
と、署名用紙を取り出す受任者のワタシ。
というわけです。
ぜひ、署名しましょう(笑
基本的人権は、日本国憲法によってそれが確保されることが基本原理です。
要するに権利を行使するときには、それを阻害するものは除かれなければならないのです。
例えば、リコールにはお金がかかる、という意見があります。
リコールが成立すれば住民投票、市長選挙が続くことになり、結構な税金が使われることになりますね。
この前の住民投票では2000万円かかった、という話は新城市民なら誰もが耳にしたことだと思います。。
これ、お金がかかるからできません、ということがあってはならないわけです。。
このリコールの一連の出来事は参政権の行使であるから、こういうお金はスパッと出してもらわないと参政権を阻害することになるのですな。
この他にも、署名が見られるかもしれない、とか、会社で上司に「署名するな」と言われたとか。
署名するもしないも個人の考えに沿って自由に為されなければならないのです。
とは言っても、なかなかそうもいかないのが現実の世界ですよね(^_^;)
前も書きましたが、署名が集まって初めて住民投票ができることになります。
この住民投票で過半を取ってようやく市長の解任が決まります。
署名が集まっただけで市長解職が決まるわけではないのです。
ですから、
( 上司)<「お前、署名したのか!」
( 私) <「ええ、しましたが何か?」
( 上司)<「あれほどするな、と言っただろう。お前反市長派か!?」
( 私) <「いえいえ、ワタクシ絶対的市長派でございます。」
( 上司)<「じゃあなぜ署名したんだ!」
( 私) <「署名することによって住民投票に持ち込んでやろうと思いまして。」
( 上司)<「フム、それで?」
( 私) <「住民投票の場で市長完全勝利を見せつけてやろうと思いまして、クックックッ。」
( 上司)<「な~るほど!それは名案だ。反市長派の悔しがる顔が目に浮かぶ。ヒッヒッヒッ。」
( 私) <「では、上司も早速こちらに署名を!」
と、署名用紙を取り出す受任者のワタシ。
というわけです。
ぜひ、署名しましょう(笑
2016年02月04日 Posted by けま at 04:28 │Comments(0) │市長リコール運動
リコール運動の元は?
住民投票で選択肢2が得票したのが6月1日。おさらいで選択肢2の文言を確認してみよう。
「市道東新町桜淵線の路線変更を伴う現計画の見直し」
具体的に書かれているのは「路線変更」だけで、元々の計画「5階建て」とか求める会(当時)が掲げていた「3階建て」とかいう文言は書いていない。
ただ路線変更が行われれば、必然的に敷地面積が狭くなることは確実だった。
敷地面積が狭くなれば、これまた必然的に建物の規模は小さくなる事は確実だった。
しかし、どれぐらい建物規模が小さくなるかは、これは市側の裁量に任されてしまう可能性があった。
この住民投票の前に行われた市民まちづくり集会では、「具体的な数字は問わない」と情報共有がなされていた。
というわけで、選択肢2の「現計画の見直し」という文言も、「数字がはっきりしない」まま「市側の裁量に任されてしまう」可能性が高かった。
元の計画より1円でも1平方メートルでも安く、あるいは小さくなれば、「現計画見直し」が達成されたことになってしまうのだ。
そこで求める会は6月3日に、『選択肢2は「3階建て30億円、東庁舎活用・付替道路なし」である』、と市議会に請願書、市長に要請書を手渡した。
選択肢2に具体的な数字に伴うことを、市と議会に認めさせようとしたのだ。
この時のことは、どすごいブロガー「パパゲーノの夢」さんのブログに詳しく書かれている。
→「議会に請願書、市長に要請書がメディアの見守るなか届けられました」(http://pensee.dosugoi.net/e769046.html)
画像つきなので、ご本人もこの時この場にいたことがよくわかる。
ここでの記事で重要なことが書かれている。
「選択肢2の民意の解釈が3階建30億であることを明確に伝え、議会も市長も理解した上で受理しました。」
市長は選択肢2が「3階建30億」と理解したことは確実なのだ。
なのでこの後提出される見直し案には「3階建30億」案が濃く反映されたものでなくてはならないはずだった。
翌7月に市と求める会の両者による実務協議が開催された。
この協議においては市側は「3階建て案」に対して、
1・車の入り口問題
2・机、キャビネット配置問題
を投げかけたが、どちらについても求める会からしっかりとした回答を得た。
もちろん素人の考えた回答だから、現場的に技術的に難しいのであればそのように市側は答えればよかったと思う。
それに対してまた求める会が回答したり質問したり。
そういうやりとりが実務協議の場で行われ、求める会と行政の歩み寄りが為されることが期待された。
それが行われれば、例え4階建てになろうと40億かかってしまうことになろうと、お互いが納得できる新庁舎案ができあがるはずだった。
ところがそういう実のある話し合いは一切なく、行政側は求める会の回答を受け取り会議は4回で終了。
もちろん市からの再回答や再質問は無し。
となれば次に市側が出してくる庁舎案は、求める会の回答に再回答できなかった以上、「3階建て30億」案を大幅に取り入れたものになるはずと思っていた。
その後は私が以前にここで書いた、「なぜリコール運動が起きてしまったか?」 のとおりだ。
(http://kemanomake.dosugoi.net/e822838.html)
いきなり「3階建て案は不可能」と、現市長は言い放ったのだ。
繰り返すが、選択肢2が「3階建30億」と理解したことは確実なのに、だ。
市民の総意を認めておいて、会議もして、その会議でロクな回答もしないで、いきなり新聞発表で市民の総意を覆す。
不誠実なのは誰か。こういう政治手法に不信感を抱くのは当然ではないか。
これがリコール運動の大元なのだと思っている。
「市道東新町桜淵線の路線変更を伴う現計画の見直し」
具体的に書かれているのは「路線変更」だけで、元々の計画「5階建て」とか求める会(当時)が掲げていた「3階建て」とかいう文言は書いていない。
ただ路線変更が行われれば、必然的に敷地面積が狭くなることは確実だった。
敷地面積が狭くなれば、これまた必然的に建物の規模は小さくなる事は確実だった。
しかし、どれぐらい建物規模が小さくなるかは、これは市側の裁量に任されてしまう可能性があった。
この住民投票の前に行われた市民まちづくり集会では、「具体的な数字は問わない」と情報共有がなされていた。
というわけで、選択肢2の「現計画の見直し」という文言も、「数字がはっきりしない」まま「市側の裁量に任されてしまう」可能性が高かった。
元の計画より1円でも1平方メートルでも安く、あるいは小さくなれば、「現計画見直し」が達成されたことになってしまうのだ。
そこで求める会は6月3日に、『選択肢2は「3階建て30億円、東庁舎活用・付替道路なし」である』、と市議会に請願書、市長に要請書を手渡した。
選択肢2に具体的な数字に伴うことを、市と議会に認めさせようとしたのだ。
この時のことは、どすごいブロガー「パパゲーノの夢」さんのブログに詳しく書かれている。
→「議会に請願書、市長に要請書がメディアの見守るなか届けられました」(http://pensee.dosugoi.net/e769046.html)
画像つきなので、ご本人もこの時この場にいたことがよくわかる。
ここでの記事で重要なことが書かれている。
「選択肢2の民意の解釈が3階建30億であることを明確に伝え、議会も市長も理解した上で受理しました。」
市長は選択肢2が「3階建30億」と理解したことは確実なのだ。
なのでこの後提出される見直し案には「3階建30億」案が濃く反映されたものでなくてはならないはずだった。
翌7月に市と求める会の両者による実務協議が開催された。
この協議においては市側は「3階建て案」に対して、
1・車の入り口問題
2・机、キャビネット配置問題
を投げかけたが、どちらについても求める会からしっかりとした回答を得た。
もちろん素人の考えた回答だから、現場的に技術的に難しいのであればそのように市側は答えればよかったと思う。
それに対してまた求める会が回答したり質問したり。
そういうやりとりが実務協議の場で行われ、求める会と行政の歩み寄りが為されることが期待された。
それが行われれば、例え4階建てになろうと40億かかってしまうことになろうと、お互いが納得できる新庁舎案ができあがるはずだった。
ところがそういう実のある話し合いは一切なく、行政側は求める会の回答を受け取り会議は4回で終了。
もちろん市からの再回答や再質問は無し。
となれば次に市側が出してくる庁舎案は、求める会の回答に再回答できなかった以上、「3階建て30億」案を大幅に取り入れたものになるはずと思っていた。
その後は私が以前にここで書いた、「なぜリコール運動が起きてしまったか?」 のとおりだ。
(http://kemanomake.dosugoi.net/e822838.html)
いきなり「3階建て案は不可能」と、現市長は言い放ったのだ。
繰り返すが、選択肢2が「3階建30億」と理解したことは確実なのに、だ。
市民の総意を認めておいて、会議もして、その会議でロクな回答もしないで、いきなり新聞発表で市民の総意を覆す。
不誠実なのは誰か。こういう政治手法に不信感を抱くのは当然ではないか。
これがリコール運動の大元なのだと思っている。