無理難題

山本氏が自身のブログを使って、連日ご自身の政策解説を続けている。
色々突っ込みたいところも多いのだけれども、虚心に眺めていればなかなか楽しく思えてくる。

一方、先日こんなチラシをご近所の方からいただいて、初めて穂積氏の集会が開かれていることを知った。



http://yonshimaipapa.dosugoi.net/e985709.html
コチラの方のブログでも同じチラシが載っているけれども、チラシの上の方の表記が異なってますなぁ。




白井氏のこのテのチラシはブログでも公開されていて、誰でも手に入れることができる。
が、穂積氏の今回の集会はたまたま知り合いの方が教えてくれたおかげで知ることができた。
知り合いの方のくれたこのチラシもよっく見れば「後援会内部資料」とか書かれていて、これって一般の方が手に入れられるものなのかしら?
ついでに会場で配られていた資料にもよっく見ると「内部討議資料」と書かれている。


(クリックすると拡大されます。赤丸を付けてあります。)

穂積氏の集会は後援会関係など穂積氏と元々繋がりのある人たち(つまり「内部」)向けに開催されているように感じられる。
白井氏のオープンにご自身の政策を語る姿勢との違いを感じるが、すでに囲い込んでいる人たちの結束を固める意味で、こういう集会も意味のあるモノなのだろう。




前置きが長くなったがこの集会、おもしろそうなので行ってみた。

こんなパンフレットをもらった。



真ん中の「今後10年間で、3000人の雇用増」ってのが一番のアピールポイントなのだろう。
集会でもコレについてアツく語ってましたな。

1)新城市の就労人口は26000人。
2)そのうち市内に働きに来る人は5000人。
3)反対に市外に働きに行く人は8000人。

という数字を挙げましてですナ(ココ、いかにも穂積氏らしい)、つまり
・「新城市には本来26000人の就労人口があるのに、トータルでマイナス3000人の就労人口が流出している。」
・「そのマイナス分の雇用増を目指し、市の持っている本来の就労人口を市内で賄えるようにする。」
という事らしいですナ。

その場で聞いてた時にはなるほどね、と思っていたが、市内に働きに来てくれる人が3000人増えて計8000人になったらどうするのかしらん? などと後から思ったり。
タナカ興業に対しても「法的に問題ないから」とかいう理由で、現実に起きている悪臭対応についてタナカ興業側に直接モノをいえない人が、新東名効果で市内に進出してくれた企業に「市内の就業者を積極的に雇用してくれ」と言えるのかしらん?

まぁ、それは置いといて。
それにしても目玉の政策が「雇用3000人増」。

山本氏のブログに比べて、なんとも花の無いというか、夢の無いというか。
実用一点張りな、なんとも味気ない感じであることは否めない。

そうは言っても、山本氏のお花畑な感じの政策説明も、なかなか愉快な気分にはなるけど脳天気過ぎる感じもするし。

もう無責任に言わしてもらえばですナ、
『 夢のある、希望の持てる実用的な政策 』てのを、今度開催される公開政策討論会で私たち市民に提示してもらえんものですかのぅ。  

2017年08月30日 Posted by けま at 13:54Comments(0)市長選挙

政策を語ることにおいて有利な面。そして「公開」されるということ。

「 公開政策討論会 」というくらいだから、3人の候補者はそれぞれ新城市についての政策をお持ちでらっしゃる。

政策実行には当然財源が必要で、だからこそ夢のような政策を提案しても「それホントにできるの?」という素朴な疑問に答えられる財源的な裏付けが説明できなければ、有権者を白けさせてしまうだろう。

話は少しそれるが、議会報告会でいつも話題に上るのは「名古屋行直行バス」のこと。
現在の運行状況が主な批判点で、乗客が少ないとか赤字でいいのかとかこのまま運行を続けていいのかとか、一々ごもっともな指摘だ。

良い悪いはともかく、財政的に裕福でもない新城市が取りあえずはほとんどお金をかけずにバスを買い、名古屋まで運行させる環境を作り上げた点は褒めてやりたいと思っている。
特にバス購入はかなり大きな買い物で、先にも挙げたけど財政的に豊かでもない新城市がよくも買えたものだと感心している。

話を聞くとこのバス購入などは補助金を活用して、市としてのお金は使わずに成し遂げたものであるとのことだ。
ウマくしくみを使えば、こんな魔法のようなことができてしまうのだな。
(もちろん補助金なのだから、買った後どう効果的に運用できているかの実績作りや報告が大切だ。)

こういう補助金の知識とかいう感じの政治的な、あるいは行政的なテクニックと言っていいだろうか、こんなことを果たして白井氏、山本氏は知っているのだろうか?という疑問がある。

白井氏は議員として市政に長く携わってきたので多少はそういう知識もお持ちかと思う。
山本氏はどうだろう? かなりの勉強家だし、お仕事でも役所との付き合いがある方とお見受けするから少しは知っているだろうか。

とは言っても、やはり市長を3期務めた穂積氏は先に挙げた補助金の使い方や、現在の市の財政状況を白井氏、山本氏よりよくご存じだろう。
ご自身が知らなくても行政に長けた職員の皆さんが穂積氏のバックにいる。
穂積氏が素っ頓狂なアイディアを出しても、職員さんから実務的な的確なアドバイスや進言がいつでももらえる立場にいる。
ということを考えれば、穂積氏の政策は整っていて財源的な裏付けのある実現可能なモノになるのが当然と言えるだろう。

松下啓一教授がご自身のブログで「公開政策討論会の意義のまとめ」という記事を書いている。
こちらではこんなことを書いている。

“荒唐無稽な「公約」を出せば、公開政策討論会の場で論争にさらされ、恥ずかしいことになるから、立候補予定者はそんな「公約」は、自制して出せなくなる。何とか説明に耐えられる政策だけを出すように変わっていくだろう。出した政策が厳しい批判を受ければ、それに負けまいと、ブラッシュアップして、実現可能性のある「公約」に磨かれていくことにもなる。無責任な夢のような政策が駆逐され、地に足がついた政策が、出されるようになっていく。“


これはおっしゃるとおりなのだけど、この論でいくならば私が最初に書いたように、“実現可能性のある「公約」”は現職の穂積氏しか出せない。
穂積氏は現実的な新城市の財源、財政をよく知っており、一番的確なアドバイスももらえる非常に有利な立場にいるのだ。

だから実現可能性のある政策の優劣を競えば、必ず穂積氏の提出する政策が一番説得力のあるモノになるはずだ。

で、先のバスの件に戻る。
実際に運用を始めてから現在における状況は知らない。巷で言われている乗客数や売り上げは実際どうなのか?もちろんデータはあるだろうし、調べればわかることだろう。

バスを積極的に応援しているわけではないが、政策というものは「 やってみないとわからない 」という部分もあるのではないか?とも思うのだ。
始めから成功が約束されている政策は無いと言っていいだろう。

例えば白井氏も出馬表明の中で重要3戦略を挙げていて、その中の「観光産業の選択と集中」での具体例のひとつ『「長篠城址整備計画」の見直しと実施』。
長篠城址の整備がホントに観光産業の盛り上がりに繋がるのか? みたいな言い方はいくらでもできる。これはバスも同じだろう。

うまく事が運べば、どんな政策だって新城市を良くしてくれるに違いないのだ。
山本氏の「 人口V字回復 」だって、本当にウマくいくならこんなありがたい政策はない。

とりあえず公約の政策に着手できたとして、ホントにうまくいくのか?
これは現職のバスの件でもわかるようにまだわからないといえるし、新人2氏の政策だってやってみなくてはわからないのだ。


政策(公約)の実現性には少なくとも2つの面があると考えている。

ひとつは、1)「それは始めることができるのか?」
先のバスの件でいえば、補助金を使うとか、財政面のやりくりで財源の捻出可能とか、現職有利で、新人の圧倒的不利な面。

もうひとつは、2)「始めてから成功に導くことができるのか?」
どんな政策も「やってみなければわからない」。
もちろん成功の可能性を何パーセントかでも上げるべく工夫をするのは言うまでもない。その工夫には現実的な手法が提案されなければならないことも言うまでもない。
とはいえ、これは現職も新人も同じ立ち位置と言えるだろうか。


実現可能性のある公約(政策)を、有権者はどのような視点で判断したら良いのだろうか?

テキスト的な判断ではない 「 公開政策討論会 」の重要な意義が 『公開』=誰でもその人となりを見ることができる、そこにあるのだろうと思っている。  

2017年08月17日 Posted by けま at 12:40Comments(2)市長選挙

後援会の要求を呑む、ということ

山本氏の後援会が「正式な申し入れ」を要求したこと。
この意味が全く分からないままでいる。非常にモヤモヤした気分だ。

準備会の開催自体は決定したようだが、それは8月の終わりころらしい。
それまでの間に、今度もまた白井氏の提案で「ネット討論」の是非が現在やり取りされている。

未だに後援会の事を考えているなんて少し遅れてる感じだが、どうにも気になっている。
誰かスパッと小気味良い答えを教えてくれないだろうか。
と言っても仕方ないので、あれこれ考えてみようか。

この「正式な申し入れ」について、穂積氏は「(山本氏後援会は)正式文書が来ないから判断できないという」形式論を重要視しているようで、だからこそ連名で後援会に正式な申し入れをするべきだと主張されていた。

もう1人「正式な申し入れ」について言及されている方がいる。
白井氏のブログにコメントしてくれている田村太一氏だ。
「山本たくや後援会から回答がないのは、「正式な提案がないから」という理由も考えられます。」
(白井氏のブログの2017年08月07日の記事「山本たくや後援会にメールしました」へのコメント)

お二方とも「「正式な申し入れ」をすればいいじゃない」と言っているのはわかる。
それさえすれば、山本氏も話し合いに参加するのだから=話し合いも進展するのだから、という意味なのだと思う。

穂積氏はもう少し突っ込んだ見解も示していて、
・「山本氏側にあらためて申入れするのがスジというものです。」
・「禍根の残らぬ方法と手順でしっかりと詰めていくべきです。」
という文言がメールのやり取りの中に見受けられる。
山本氏に対して後からぐだぐだ言われないように注意を払っている様子がわかる。
一見、慎重な対応をしているようにも見えるし、「(現役市長として)こういう慎重な態度で市民にも接してきた」的な見方もできるだろう。

話し合いを円滑に進めるためにもあちらの要求に答えるという手続きをしっかり踏まえる、という「スピード感」とか「民主的手続き」とかを想起させる、なんだかイイことづくめな感じが確かにある。

そうなんだけど、大本に立ち返ると「3者による討論会」なのだよね。
穂積氏、白井氏はこの先も、例えば討論会開催における「正式な文書」とやらが必要になった時に、山本氏と後援会の2氏に送付せねばならないのかしら?
つまり山本氏側には交渉窓口が、山本氏と後援会氏の2つあることになるんじゃないのか?ってこと。

後援会にも「正式な申し入れ」をしたとなると、この先後援会をないがしろにできなくなるんじゃないのかね?
となるとこの先、常に4者による合意が必要になってくるんじゃないだろうか。
「3者による討論会」はどこにいってしまうのか。

それと候補者間の公平公正という面から見れば、後援会は穂積氏にも白井氏にもあるだろうから、そちらの後援会にも「正式な申し入れ」を送っておかないと不公平なんじゃないかしら?
先に挙げた4者による合意が必要なカタチになってしまうなら、なおさらだ。

「正式な申し入れ」は山本氏後援会が望んだものだから、穂積・白井両氏の後援会が望むのならそのようにする=望んでないから申し入れはしない、という理屈は成り立つと思う。

じゃあなんで山本氏後援会は「正式な申し入れ」を望んだのか?
その理由の答えは今のところどこにも示されてなくて、じゃあ3者に関係する個人や組織が望めば「正式な申し入れ」やらをいつでも出さなければならないのか、と言った暴論じみたことまで考えなくてはならなくなる恐れが出てくる。
例えば白井氏が「ウチの妻が正式な申し入れを欲しいと言い出しまして・・・えぇ、妻は私の大切なハニーですし、選挙運動にも欠かせない大切な人物ですから無碍にはできないのです」とか言ったら、穂積氏・山本氏はどうするのか。

極端な例だというのはわかっている。
じゃあもっと極端な例で、山本氏が「後援会」ではなくて「私の孫が」とか言い出したらどうだろうか。
親族だし血のつながりの濃い関係性の深い人物で、山本氏にとっては大切な存在(最近の山本氏のブログを読むとわかる)が「正式な申し入れを」と言ってきたら。

さすがにこれは「孫が欲しがったとしても、それはそっちでなんとかなだめてちょうだいよ」と言うだろうね(笑。

「孫、妻」と「後援会」。この違いはなんだろうか。
「孫、妻」は親族的・血縁的な関係性の深さがあり、「後援会」は選挙活動に欠かせない関係の深さがある。
『 関係性の深さ 』で「正式な申し入れ」受諾の判断をするなら、どちらにも真っ当な理由があるのだから、後援会の正式な申し入れを容認するなら、孫・妻の申し入れも容認せねばなるまいよ。

しかし、穂積氏、山本氏も、「後援会」の「正式な申し入れ」なら受けてもいいんじゃないか、と考えてしまうのは、それは後援会が選挙活動に欠かせない重要度の高い組織だから、という認識が双方にあるからではないか。
つまり『 関係性の深さ 』ではなくて、『 関係性の中身 』=『 選挙活動・選挙運動における重要性 』に対して、穂積氏、山本氏双方の認識が同じだからではないか。

だから山本氏は 「 (選挙活動大事なんです)後援会に正式な申し入れしてちょうだい。(後援会がないと選挙運動ままならないんです) 」と要求し、
穂積氏も 「 (選挙活動大事よね)正式な申し入れね、いいよ(後援会がないと選挙運動できないもんね、同情するよ) 」と応じたのではないか。

以上、全て私の妄想ですよ。

で、その妄想を根拠に言えば、今回の公開政策討論会は従来の選挙運動を乗り越えたいという候補者側の願望の表れといえる。
いわゆるドブ板、有権者への電話攻撃、ハガキ攻勢、選挙カーによる候補者名の連呼、自転車大行列などなど、組織力を生かした従来の旧態依然の選挙運動を乗り越えたい気持ちが候補者にはあるのではないか?
その組織力の源泉が後援会といえるだろう。
だから、後援会が候補者と同列の表に顔を出してきて、その要求を呑むということは、結局旧態依然の選挙運動を容認してしまう行為だと思うのだ。
公開政策討論会をやろう! と言っておきながら、後援会の要求を呑むことは矛盾していると言いたい。

だからこそ、白井氏のブログの中での文言「山本氏が言われる「正式な申入書」がなくても、山本氏が後援会内を調整すべきものだと考えます。」が、一際目立つ。

ここまでだらだら書いてきて、結局山本氏後援会が「正式な申し入れ」を望んだ理由はわからないままだが、後援会の要求を呑み候補者と同列になってしまったら公開政策討論会の意味が薄らぐことは、自分の中で整理がついた。  

2017年08月14日 Posted by けま at 09:56Comments(0)市長選挙

後ろから援護して

公開政策討論会の『 準備会 』がようやくまとまりそうだ。
とは言っても『 準備会 』だ。
この後に『 第三者委員会(仮称) 』の設置があって、そのまた後にようやく『 公開政策討論会 』となる。
・・・本当に公開政策討論会は開催できるのだろうか(笑)。


今までの穂積氏、白井氏、山本氏のやりとりは白井氏のブログで確認することができる。
討論会の主役はこの3氏なのだから、3氏で合意が取れればすぐさま開催すればいいだけの事だと思っていた。
(3氏で決めればイイじゃんと、私のブログではずっと主張してきたところだ)

が、まず最初に「第3者委員会を~」と穂積氏が言い出して、そのことで調整していたら山本氏も参加表明をしてくれて、あぁよかったねと思っていたら、今度は山本氏の後援会が「正式な申し入れを~」と言いだしてきて、一体討論会の主客は誰なのだ?と言いたくなってくる。

特に現在やりとりの中での中心的な話題・課題は山本氏の後援会だ。
この後援会の「正式な申し入れ」の要請に対して、白井氏は「無用だ」と主張。
穂積氏は「取りあえず穂積・白井の連名で送っておこう」と主張。
白井氏と穂積氏がこの件ですったもんだしていて、しかし同時に白井氏は山本氏・山本氏後援会にも続けざまにメールを送り回答を迫っていた。凄まじいバイタリティだw

そしたら後援会も根負けしたのだろうか、8月9日に「(公式文書を)未だ頂けませんことは残念です。」としながらも「とりあえず人を出すことと決しました。」と返信があり、ここでようやく準備会開催の目途がついた。

で、最初に戻るのだけれども、なぜ後援会が正式な申し入れを要求するのだろうか?
つまり「正式な申し入れがなければ、山本氏は参加表明しているけれども後援会としては応援できない、許可できない」という意味?
または「正式な申し入れがなければ、山本としても参加表明を取り下げねばならない。」という意味だろうか。

これつまり、山本氏は後援会の意向に逆らえない、ってことの表れでしょ?
山本氏は自身に利害関係のある人・組織には逆らえない、ってことを今の段階で暴露しちゃってるようなものだと気付かないのかしら?
こんなことを市民に想像させるような後援会なんて、後ろから援護じゃなくて後ろから撃ってるようなもんではないか。
想像してるのは千秋在住だけだ、と言われるかもしれないけどねw  

2017年08月13日 Posted by けま at 02:39Comments(0)市長選挙

一体どういう神経?

https://www.facebook.com/takikawa.kenji1124/posts/861161840702880?pnref=story

滝川議員のfacebookの記事によると、この日、神奈川県南足柄市議会の議長さんはじめ議会運営委員会の皆さんが行政視察のために新城市に訪れたそうな。

なんの行政視察かといえば、

『新城市における新庁舎の議会提案による住民投票条例実施に至る経緯とその後について視察』

ということだ。


南足柄市は2020年度を目途に小田原市への編入合併を検討しており、その際議会提案による住民投票も視野に入れているとのこと。
神奈川県南足柄市議会さん、新城市での住民投票などというマイナーな出来事とか、よくこんな情報を掴んだものだと思う。

さてこの出来事。
最初に、新城市の住民投票の経緯と事前にいただいていた質問に議会事務局から説明があったのは結構なことだ。
が、
その場での質問に、滝川議員と鈴木(達)議員が答えた、とかいうのが気に入らないよ、ハッキリ言って。


しかも最後の文、
「公になっている情報以外の裏話も含めてお話しさせていただきました。」

お  ま  え  が  言  う  か  ね  。


新城市における新庁舎の議会提案による住民投票条例は、2年前の3月議会において議員提出第5号議案(新城市新庁舎建設における現計画見直しを問う住民投票の制定)として提出された。





見てもらえばわかるとおり、提出者、賛成者には滝川・鈴木(達)議員の他に白井、加藤議員の2人の名前もある。

結果としては白井、加藤議員は棄権するのだが、その経緯というのが実に問題アリなのだ。
この時の経緯は白井議員のブログに詳しい。

→ http://slmichihiro.seesaa.net/archives/201503-1.html

最初に話を戻せば、行政視察の場には白井、加藤議員もいなくてはおかしいだろう。
4人の連名で提出したのだから。
もし白井、加藤両議員がこの議会提案に対して、最終的には「提案に関係しておきながら棄権した故に無責任といえる」とかいう理由でこの行政視察の場に呼ばれなかったのなら、それはそれで理屈も通る。

が、滝川議員の「公になっている情報以外の裏話」てのは一体なんだ?
そういう話をするなら、それこそ白井、加藤議員も同席して白井、加藤議員側の「公になっている情報以外の裏話」も聞かせなきゃフェアじゃないだろうよ。

そして滝川議員の言う「公になっている情報以外の裏話」てのは我々市民こそが知りたいことだよ。
あのおかしな住民投票の経緯って当時から疑惑ありありだったじゃないか。それについてのそちらさん側の裏話てのがあるんならぜひお聞かせ願いたい。
それをなんだろうね、さも自慢げに「お話しさせていただきました。(ニコ顔)(ピースマーク)」って。

一体どういう神経なのか。
自分たちの行いに全く非を感じていないとしか思えないし、住民投票のあのわかりにくい選択肢に対しての反省、とまでいかないなら総括でさえも感じられない。

他の記事でも書きましたがね、
な ん で こ ん な 議 員 を 選 ん で し ま っ た の か 。  

2017年08月08日 Posted by けま at 12:58Comments(2)新城市議会

市民自治と公開討論会

この前のブログの最後に書いた、
・「討論会のルールには有権者に対しての『公正さ』が望まれる」
・「『公正さ』の担保のために第3者委員会が必要と候補者は言及しているか」

これについては白井氏、穂積氏の討論会開催に向けての最初のころのやり取りで触れられている。

・「市民の中で市政運営をめぐる政策論争をはば広く展開し、有権者が参政権を有効に行使いただけるように努めることは、立候補(予定)者の責務であります」
・「有権者のために、有権者の理解を助けるために行われるべきものです」

政策討論は有権者のため、という理解が双方にあることが窺える。

討論の内容について候補者のみなさんが何を言いだすかはさておき、後から何を言っていたのか確認したり、討論会に来れなかった市民の皆さんにも後から見てもらえるように、討論会の録画は欠かせないと思う。
この前のブログでは例えとしてビデオ録画を挙げたけれども、やはり録画をいつでも好きな時に、誰でも見ることができるようにしておくのが、市民・有権者に対する一番の「公正さ」の表れだろうと思う。

このビデオ録画に候補者が難色を示すのなら、その態度自体が有権者へのネガティブなアピールになってしまうことにはさすがに気づくだろう。
公正さの一番の表れであろう討論会のビデオ録画は、候補者であるなら必然的に断ることができない。
なにも第3者委員会が候補者のみなさんに強制・強要するまでもないことなのだ。

ということで、公正さの担保に第3者委員会はいらない。
候補者の皆さんが「 有権者のための討論会 」を念頭に置いてくれればよいだけのことなのだ。


2者以上で競い合い何らかの勝敗を決めなければならない時、そこには必ず審判がいる。
スポーツが一番良い例だろう。
審判には「公平・中立」が求められることを考えれば、今回の市長選挙における政策討論会開催のための第3者委員会は、競う人たちに対する「審判」であると思う。
では一体誰が競うのか?

一番わかりやすいのは候補者の3人。市長を目指して選挙で競う。
だから例えば演説時間に差があれば候補者の皆さんはモメるだろう。
そうならないように、公平・中立な第3者委員会が調整に入るのは納得できるところだ。

その他に対立する2者以上の関係ってあるだろうか?
私が思いつくのは、「候補者」と「有権者(市民)」の2者なのだが、この2者は選挙において競う仲だろうか?
これはどうにも想像できない(笑。

やはり第3者委員会は候補者間の調整機関としか考えられない。

しかしこの討論会は、今は3者とも参加を表明しているが、いつでも辞退することはできる。
討論会の中身において不公平が生じて選挙戦に不利になるのなら、討論会参加に縛られる必要はないのだ。しかし記者会見まで開き討論会開催を宣言してしまった以上、ここで「やっぱ開催できませんでした」というのも恥さらしだ。
よって3人が開催のために協力する体制が自然にできあがるだろう。3人がよくよく話し合い、不公平の無いよう自然に歩み寄ることは想像に難くない。

・・・と、私は勝手に想像する(笑。
なので3人の間で自然に調整が働くことを期待して、やはり第3者委員会は不要だと思うのだ。


さらに想像を膨らませると、行政のトップ(穂積氏)と議会の中の人(白井氏)と一般市民(山本氏)の3人が今回の市長選挙の候補者だ。
この3人は新城市の縮図といっていいのではないか?

新城市は市民自治を謳っている。多種多様な人々が存在する市民社会が自治を行っていくには、とにもかくにも話し合いが必要だ。
新城市の縮図のこの3人。穂積氏は市民自治を推し進めるトップだし、他の2氏も自治基本条例の制定に関わった経験があると聞く。
この3人が話し合いで物事を進められないのならば、新城市の市民自治なんてのはどだいムリな話でしかないと言える。
この3人の話合いが新城市の市民自治の率先垂範とならなければいけないのではないか?
市民自治を謳うのならば、まずはエライ人が見本を見せてほしいものだ。

この公開政策討論会が3人の話し合いによって開催されるに至る。多種多様な考えを持つ人たちが話し合いによって合意に達する。そんな市民自治のあるべき姿の良い例になってほしいと思うよ、ホント。  

2017年08月03日 Posted by けま at 02:26Comments(0)市長選挙