以前から調べてみたかったこと (終)
白井議員が2014年07月29日のブログに「 中日新聞の記事への抗議 」と題して、その内容を添付した記事を書いている。
こちら → 中日新聞への抗議(PDF).pdf
(http://slmichihiro.up.seesaa.net/image/E4B8ADE697A5E696B0E8819EE381B8E381AEE68A97E8ADB0EFBC88PDFEFBC89.pdf)
7月24日の中日新聞記事に対して「事実を報道していない。公平・中立の立場を投げ捨てる報道姿勢だ。」と、かなり強い調子で非難している。
読めば、「なるほどなぁ」と感じるのだが、ではこれが事実だとする証拠はあるのか?
これは中日新聞記事にも言えることで、白井議員のこの抗議文を読めば「なるほど~、確かに白井議員の言うこととは違うところもある」と感じるのだが、では中日新聞記事が事実だとする証拠は何だろう?
どちらも「自分の書いた事こそホンモノである!」と主張していて、それはもちろん「まぁそうでしょうなぁ」と思うけれども、ではその主張を外部から強力に裏付ける『証拠』は無いのか?と聞きたくなる。
証拠というのは、つまりこれら諸々の会議の場の録音、その録音を元にした議事録、のことだ。
中日新聞側にしろ、白井議員にしろ、録音か議事録を証拠にして「これ、ココの部分。よく聞いて(よく読んで)。」と引用した記事を書いてくれればよかった。
その場の生の発言を挙げてくれれば、どちらが本当のことを言っているのかくらいは私たちにもわかるだろう。
というわけで、7月23日の全員協議会の録音か議事録があればいいのだが、これがわからない。
きっと市に問い合わせれば議事録でもでてくるだろう、とは思うのだが・・・。
このシリーズをだらだら書いてきて、今さらこれがわかってどうなるのか、という気にもなってきている。
当時の人たちはこれら中日新聞記事を読んでこの問題をわかった気になり、その理解で多くの批判を行った。
多分誰も中日新聞の報道姿勢に疑問を持たず、この問題を一から調べて真実は何かを追求しようとした市民はいなかったと思う。
勝ち負けの問題ではないが、中日新聞の思惑通りに市民が理解し疑念を抱かせなかったことは中日新聞の勝ちと言えるのではないか。
いくら反論しても白井議員の声は全く問題にされなかった。
新城市議会としての意見も耳にすることはなかった。
真実が市議会側にあるとしてもそれが世間に広まらなかったのは、情報の発信力として議会側の力不足だった。つまり中日新聞に負けたということだ。
「まさか市議会がそんな決定をしないだろう」と、市議会擁護の動きが市民から出なかったことも、市議会にとっては情けないことだった。信頼されていない一つの証拠ではないか。
この長田問題、そのことから派生したブログ規制問題。
事実はなんだったのか?、ということをただ知りたくて色々調べてきて、大体の構造はわかったつもりだ。
そして何か教訓めいたものを導くとしたら、
『 会議の録音、議事録は全て記録し残しておけ 』
『 録音、議事録は誰もが簡単に見られるようにしておけ 』
ということだろうか。
市政に関係するどんなことでも、議事録さえ残しておいてくれれば、そしてそれに簡単にアクセスできれば、疑念が浮かぶようなことは市民が自ら調べる。
それをせずに、行政にしろ、議会にしろ勝手に自前の論を述べるから、市民にとってはただただ疑念ばかりが増すのだ。
白井議員の今までの活動を見てきて、彼がウソをつく人物ではない、ということは自分の中では確信している。
しかしこの件で言えば、議事録の一部分でも引用してくれればそれだけで中日新聞記事のウソ(があれば)が露見するのに、と思う。
新聞記事がウソである、と思って読んでいる人はまずいない。
しかし最近の森友学園問題、加計学園疑惑の報道を見ていると、ニュース番組や新聞などの報道側にも報道姿勢の違いが見て取れる。
我々が見聞きするニュースは原色そのままではなく、報道する側の色が付けられたモノであることを自覚しておかなければならないのが最近の世の中だ。
この新城市議会のブログ規制問題も、中日新聞によるその気配は確かにある。
浅尾議員自身がその“色”に、かなり影響されたフシも見受けられる。
2年も前の問題が、今現在問題になっている森友問題・加計学園疑惑に繋がっているように感じる。
つまり『メディアリテラシー』の問題なのだな。
ということで、最後は尻切れトンボな感じだが自分の中で一応の決着がついたので、この件は終了。
こちら → 中日新聞への抗議(PDF).pdf
(http://slmichihiro.up.seesaa.net/image/E4B8ADE697A5E696B0E8819EE381B8E381AEE68A97E8ADB0EFBC88PDFEFBC89.pdf)
7月24日の中日新聞記事に対して「事実を報道していない。公平・中立の立場を投げ捨てる報道姿勢だ。」と、かなり強い調子で非難している。
読めば、「なるほどなぁ」と感じるのだが、ではこれが事実だとする証拠はあるのか?
これは中日新聞記事にも言えることで、白井議員のこの抗議文を読めば「なるほど~、確かに白井議員の言うこととは違うところもある」と感じるのだが、では中日新聞記事が事実だとする証拠は何だろう?
どちらも「自分の書いた事こそホンモノである!」と主張していて、それはもちろん「まぁそうでしょうなぁ」と思うけれども、ではその主張を外部から強力に裏付ける『証拠』は無いのか?と聞きたくなる。
証拠というのは、つまりこれら諸々の会議の場の録音、その録音を元にした議事録、のことだ。
中日新聞側にしろ、白井議員にしろ、録音か議事録を証拠にして「これ、ココの部分。よく聞いて(よく読んで)。」と引用した記事を書いてくれればよかった。
その場の生の発言を挙げてくれれば、どちらが本当のことを言っているのかくらいは私たちにもわかるだろう。
というわけで、7月23日の全員協議会の録音か議事録があればいいのだが、これがわからない。
きっと市に問い合わせれば議事録でもでてくるだろう、とは思うのだが・・・。
このシリーズをだらだら書いてきて、今さらこれがわかってどうなるのか、という気にもなってきている。
当時の人たちはこれら中日新聞記事を読んでこの問題をわかった気になり、その理解で多くの批判を行った。
多分誰も中日新聞の報道姿勢に疑問を持たず、この問題を一から調べて真実は何かを追求しようとした市民はいなかったと思う。
勝ち負けの問題ではないが、中日新聞の思惑通りに市民が理解し疑念を抱かせなかったことは中日新聞の勝ちと言えるのではないか。
いくら反論しても白井議員の声は全く問題にされなかった。
新城市議会としての意見も耳にすることはなかった。
真実が市議会側にあるとしてもそれが世間に広まらなかったのは、情報の発信力として議会側の力不足だった。つまり中日新聞に負けたということだ。
「まさか市議会がそんな決定をしないだろう」と、市議会擁護の動きが市民から出なかったことも、市議会にとっては情けないことだった。信頼されていない一つの証拠ではないか。
この長田問題、そのことから派生したブログ規制問題。
事実はなんだったのか?、ということをただ知りたくて色々調べてきて、大体の構造はわかったつもりだ。
そして何か教訓めいたものを導くとしたら、
『 会議の録音、議事録は全て記録し残しておけ 』
『 録音、議事録は誰もが簡単に見られるようにしておけ 』
ということだろうか。
市政に関係するどんなことでも、議事録さえ残しておいてくれれば、そしてそれに簡単にアクセスできれば、疑念が浮かぶようなことは市民が自ら調べる。
それをせずに、行政にしろ、議会にしろ勝手に自前の論を述べるから、市民にとってはただただ疑念ばかりが増すのだ。
白井議員の今までの活動を見てきて、彼がウソをつく人物ではない、ということは自分の中では確信している。
しかしこの件で言えば、議事録の一部分でも引用してくれればそれだけで中日新聞記事のウソ(があれば)が露見するのに、と思う。
新聞記事がウソである、と思って読んでいる人はまずいない。
しかし最近の森友学園問題、加計学園疑惑の報道を見ていると、ニュース番組や新聞などの報道側にも報道姿勢の違いが見て取れる。
我々が見聞きするニュースは原色そのままではなく、報道する側の色が付けられたモノであることを自覚しておかなければならないのが最近の世の中だ。
この新城市議会のブログ規制問題も、中日新聞によるその気配は確かにある。
浅尾議員自身がその“色”に、かなり影響されたフシも見受けられる。
2年も前の問題が、今現在問題になっている森友問題・加計学園疑惑に繋がっているように感じる。
つまり『メディアリテラシー』の問題なのだな。
ということで、最後は尻切れトンボな感じだが自分の中で一応の決着がついたので、この件は終了。
2017年05月30日 Posted by けま at 10:29 │Comments(0) │市政を考える
以前から調べてみたかったこと 6
6月5日の浅尾議員の「抗議文」の中に
『(自分だけが)一般質問の自由と権利を制限されようとしている』
という個所がある。
つまり浅尾議員はこの時点で、自分だけが議会側から大きな制限を受けようとしている、と感じていた。
この「抗議文」に対して議運は調査をして「報告書」を提出している。
中身では、そういった事実は無く、浅尾議員の思い込みである、と結論付けられていた。
その結果を鑑み、議長からは「謝罪を求める文書」が浅尾議員に渡された。
その中身には、「事前に事実確認を確実に行うこと」 という文言があった。
これが7月28日。
前の記事にも書いたが、この「文書」は浅尾議員に宛てて書かれたもの。なので中身の文章の主語は「浅尾議員が」とか「浅尾議員は」となるものが多い。読めばわかる。
だから「事前に事実確認を確実に行うこと」の主語は「浅尾議員は」となる。
『 自分でしっかり事実確認してからブログに書いてくれ (議会が事前に検閲なんてしない)』
という意味になる。
浅尾議員のツイッターからは、26日にもこの「文書」が手渡されていた可能性が示唆されていた。
この「謝罪を求める文書」での「事前に事実確認を確実に行うこと」を、浅尾議員は「ブログ記事の事前確認を要求していました」と、空耳ならぬ空目している。
明らかな事実誤認なのだが、つまり7月28日には「現実的にブログ規制が行われる」と浅尾議員は思い込んでいたことになる。
なぜ7月28日に空目してしまったか?
24日の中日新聞記事では、「ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」と書かれていて、ここから
「新城市議会は、議員個人のブログを規制するらしい」という認識がネットを中心に広まった。
浅尾議員もこの記事に対して24日のツイッターで触れている。
浅尾議員自身はこの記事の元になった23日全員協議会に出席していたが、23日にはブログでもツイッターでも発言していない。
24日のツイッターも、中日新聞を読んでからの午後9時からのものだった。
つまり中日新聞記事に大きく影響された発言であることが考えられる。
(この辺は「以前から調べてみたかったこと 4」でも書いた。)
こんなツィートをしている。
「ブログで告発した僕のやり方への批判(市議のブログに一定の制限をもうけること等)へとすり替わっていく状況に背筋が寒くなりました」
つまり24日には中日新聞記事に大きく影響を受けて、「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という記事に歩み寄る感じになっている。
24日に、議会が「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」と、浅尾議員は思い込んでいるので、28日の「(浅尾議員自身が)事前に事実確認を確実に行うこと」を「(議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました」と空目したのだろう。
こうやって傍から眺めると、浅尾議員の勘違いも無理はないかと思えてきた。
6月5日の「抗議文」からは、7月28日に「議会の事前確認はしない」という姿勢を議会は示した。
ところが7月23日全員協議会では「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という姿勢になってしまっていた。(24日新聞記事では)
24日に「規制ルールを作る」と議会が言っている記事を読んだのに、28日に渡された「文書」で「事前確認はしない」などと180度違うことが書かれているのはなぜだ?
28日の「文書」は長田問題より以前の6月5日の「抗議文」の対するものだから、浅尾に対する一般質問や発言での制限はしないというのは理解できるにしても、じゃあ24日になぜ「規制ルールを作る」とか言い出すのか(新聞記事をそのまま信用するけど)?と、浅尾議員が思うのも無理はない・・・、かもしれない。
だらだらと長く書いてきたけれども、ようやく着地した感じだ(自分の中で納得してw)。
つまり、
『 では、7月24日の中日新聞記事は正しいのか? 』
『 23日全員協議会で、本当に「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」のか? 』
ということで、まだ続ける(ホントくどいw)
『(自分だけが)一般質問の自由と権利を制限されようとしている』
という個所がある。
つまり浅尾議員はこの時点で、自分だけが議会側から大きな制限を受けようとしている、と感じていた。
この「抗議文」に対して議運は調査をして「報告書」を提出している。
中身では、そういった事実は無く、浅尾議員の思い込みである、と結論付けられていた。
その結果を鑑み、議長からは「謝罪を求める文書」が浅尾議員に渡された。
その中身には、「事前に事実確認を確実に行うこと」 という文言があった。
これが7月28日。
前の記事にも書いたが、この「文書」は浅尾議員に宛てて書かれたもの。なので中身の文章の主語は「浅尾議員が」とか「浅尾議員は」となるものが多い。読めばわかる。
だから「事前に事実確認を確実に行うこと」の主語は「浅尾議員は」となる。
『 自分でしっかり事実確認してからブログに書いてくれ (議会が事前に検閲なんてしない)』
という意味になる。
浅尾議員のツイッターからは、26日にもこの「文書」が手渡されていた可能性が示唆されていた。
この「謝罪を求める文書」での「事前に事実確認を確実に行うこと」を、浅尾議員は「ブログ記事の事前確認を要求していました」と、空耳ならぬ空目している。
明らかな事実誤認なのだが、つまり7月28日には「現実的にブログ規制が行われる」と浅尾議員は思い込んでいたことになる。
なぜ7月28日に空目してしまったか?
24日の中日新聞記事では、「ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」と書かれていて、ここから
「新城市議会は、議員個人のブログを規制するらしい」という認識がネットを中心に広まった。
浅尾議員もこの記事に対して24日のツイッターで触れている。
浅尾議員自身はこの記事の元になった23日全員協議会に出席していたが、23日にはブログでもツイッターでも発言していない。
24日のツイッターも、中日新聞を読んでからの午後9時からのものだった。
つまり中日新聞記事に大きく影響された発言であることが考えられる。
(この辺は「以前から調べてみたかったこと 4」でも書いた。)
こんなツィートをしている。
「ブログで告発した僕のやり方への批判(市議のブログに一定の制限をもうけること等)へとすり替わっていく状況に背筋が寒くなりました」
つまり24日には中日新聞記事に大きく影響を受けて、「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という記事に歩み寄る感じになっている。
24日に、議会が「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」と、浅尾議員は思い込んでいるので、28日の「(浅尾議員自身が)事前に事実確認を確実に行うこと」を「(議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました」と空目したのだろう。
こうやって傍から眺めると、浅尾議員の勘違いも無理はないかと思えてきた。
6月5日の「抗議文」からは、7月28日に「議会の事前確認はしない」という姿勢を議会は示した。
ところが7月23日全員協議会では「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という姿勢になってしまっていた。(24日新聞記事では)
24日に「規制ルールを作る」と議会が言っている記事を読んだのに、28日に渡された「文書」で「事前確認はしない」などと180度違うことが書かれているのはなぜだ?
28日の「文書」は長田問題より以前の6月5日の「抗議文」の対するものだから、浅尾に対する一般質問や発言での制限はしないというのは理解できるにしても、じゃあ24日になぜ「規制ルールを作る」とか言い出すのか(新聞記事をそのまま信用するけど)?と、浅尾議員が思うのも無理はない・・・、かもしれない。
だらだらと長く書いてきたけれども、ようやく着地した感じだ(自分の中で納得してw)。
つまり、
『 では、7月24日の中日新聞記事は正しいのか? 』
『 23日全員協議会で、本当に「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」のか? 』
ということで、まだ続ける(ホントくどいw)
2017年05月23日 Posted by けま at 12:21 │Comments(0) │市政を考える
以前から調べてみたかったこと 5
長田問題発言を調べているうちに、期せずして浅尾議員の発言や行動への疑問点が浮かんできてしまった。
が、前のブログで大事なことを書き忘れてしまったので、改めてこちらで書いておこう。
まず6月5日の浅尾議員の「抗議文」は、長田議員問題発言とは全く関係の無い出来事だ。
なので、
7月25日に議会運営委員会の「報告書」が議長へ渡されたこと、
7月28日に浅尾議員に「謝罪を求める文書」が議長より渡されたこと、
これらは6月5日「抗議文」に関係した出来事で、繰り返して書くけれども、長田議員問題発言とは全く関係のないことだ。
これはあくまで想像だけれども、この「抗議文」のことだけなら28日に渡された「謝罪を求める文書」に対して浅尾議員も素直に謝罪に応じたかもしれない。
前の記事で想像した「 7月24日の中日新聞記事の影響ではないか 」ということもなく、『 事前に事実確認を確実に行うこと 』という文の主語は『 浅尾議員をはじめ情報発信する議員自身が 』と理解したかもしれない。
しかしだ・・・・・。
23日 長田問題に関しての全員協議会があった。
24日 長田問題に関する全員協議会のことが新聞記事になった。
25日 「抗議文」の「報告書」が議長に提出
26日 議長から呼び出される(この日に「文書」が渡された可能性)
28日 「抗議文」に対する「謝罪を求める文書」が浅尾議員に渡される
この時系列、関係ない事柄がこうもタイミングよく並ぶか? という印象を受けるのだが・・・。
じゃあ長田問題全員協議会の直後に、「抗議文」に対する「謝罪を求める文書」が浅尾議員に渡される『 意味 』は何なのか?ということになるけれども。
改めてどういう「謝罪」が求められたか見てみると、
1)ブログに掲載した「抗議文」なる文書を含む文章に対して適切な対応を求める (多分そのブログを削除しろ、ということだろう)
2)「抗議文」なる文書は、事実確認をしなかったことで新城市議会の信頼を失墜したことに謝罪する旨を記した文書をブログに掲載すること
3)IT活用を含む公にする文書等については、公人としての立場をわきまえ、事前に事実確認を確実に行うこと
一番肝要なのは、3)事前に事実確認を確実に行うこと だろうか。
つまり深読みすれば、『 長田問題をブログに書くなら、「事実確認を確実に行え」 』ということになるだろうか。
まぁ、世間の知らなかった長田問題発言を伝えてくれたわけで、これは紛れもない事実だった。
浅尾議員の大きな功績だと思う。
それか単に『 長田問題を世間に知らせやがって勝手なことをしてくれたもんだ。ちょうど「抗議文」の「謝罪文書」をまだ出していなかったから、長田問題での騒動にも謝罪するようなカタチに見えるように、このタイミングで出してしまおう 』という議会のセコい考えだろうか。
かなり妄想が入っているが。
ここまで書いてきて疑問なのは、意図的にか、ナチュラルに空目したのかわからないけれども、「文書」での『 (当事者が、今回の件なら浅尾議員が)事前に事実確認を確実に行うこと 』を、 浅尾議員は『 (議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました 』と捉えたこと、その理由だ。
ナチュラルに空目したのなら、「すいません、読み違えました」で済むことかと思う。
まぁこんだけ大きく世間に「ブログ規制か!?」と広まったものを「ゴメン」では済ませないと思うけど。
このまま黙っていてもいいけど、そういう単純な思い違いならまだ安心なところもある。
意図的だとしたら、これはどうだろう。
だいぶ前から、浅尾議員が自分の議員活動に制限を加えられていることを実感していたのだろうか?と勘ぐってしまう。自由な発言・活動が保障されていれば「事実確認を行う」が「事前確認を行う」と読み違えることなどあるだろうか。
こうなってしまうとほとんど想像の世界になってしまう。
浅尾議員の本当に気持ち、議会の本当の思惑は、実際に聞いてみなければわからない。
ただ出来事だけが妙にウマいこと並んでいることが、妙な想像を働かせてしまう。
が、前のブログで大事なことを書き忘れてしまったので、改めてこちらで書いておこう。
まず6月5日の浅尾議員の「抗議文」は、長田議員問題発言とは全く関係の無い出来事だ。
なので、
7月25日に議会運営委員会の「報告書」が議長へ渡されたこと、
7月28日に浅尾議員に「謝罪を求める文書」が議長より渡されたこと、
これらは6月5日「抗議文」に関係した出来事で、繰り返して書くけれども、長田議員問題発言とは全く関係のないことだ。
これはあくまで想像だけれども、この「抗議文」のことだけなら28日に渡された「謝罪を求める文書」に対して浅尾議員も素直に謝罪に応じたかもしれない。
前の記事で想像した「 7月24日の中日新聞記事の影響ではないか 」ということもなく、『 事前に事実確認を確実に行うこと 』という文の主語は『 浅尾議員をはじめ情報発信する議員自身が 』と理解したかもしれない。
しかしだ・・・・・。
23日 長田問題に関しての全員協議会があった。
24日 長田問題に関する全員協議会のことが新聞記事になった。
25日 「抗議文」の「報告書」が議長に提出
26日 議長から呼び出される(この日に「文書」が渡された可能性)
28日 「抗議文」に対する「謝罪を求める文書」が浅尾議員に渡される
この時系列、関係ない事柄がこうもタイミングよく並ぶか? という印象を受けるのだが・・・。
じゃあ長田問題全員協議会の直後に、「抗議文」に対する「謝罪を求める文書」が浅尾議員に渡される『 意味 』は何なのか?ということになるけれども。
改めてどういう「謝罪」が求められたか見てみると、
1)ブログに掲載した「抗議文」なる文書を含む文章に対して適切な対応を求める (多分そのブログを削除しろ、ということだろう)
2)「抗議文」なる文書は、事実確認をしなかったことで新城市議会の信頼を失墜したことに謝罪する旨を記した文書をブログに掲載すること
3)IT活用を含む公にする文書等については、公人としての立場をわきまえ、事前に事実確認を確実に行うこと
一番肝要なのは、3)事前に事実確認を確実に行うこと だろうか。
つまり深読みすれば、『 長田問題をブログに書くなら、「事実確認を確実に行え」 』ということになるだろうか。
まぁ、世間の知らなかった長田問題発言を伝えてくれたわけで、これは紛れもない事実だった。
浅尾議員の大きな功績だと思う。
それか単に『 長田問題を世間に知らせやがって勝手なことをしてくれたもんだ。ちょうど「抗議文」の「謝罪文書」をまだ出していなかったから、長田問題での騒動にも謝罪するようなカタチに見えるように、このタイミングで出してしまおう 』という議会のセコい考えだろうか。
かなり妄想が入っているが。
ここまで書いてきて疑問なのは、意図的にか、ナチュラルに空目したのかわからないけれども、「文書」での『 (当事者が、今回の件なら浅尾議員が)事前に事実確認を確実に行うこと 』を、 浅尾議員は『 (議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました 』と捉えたこと、その理由だ。
ナチュラルに空目したのなら、「すいません、読み違えました」で済むことかと思う。
まぁこんだけ大きく世間に「ブログ規制か!?」と広まったものを「ゴメン」では済ませないと思うけど。
このまま黙っていてもいいけど、そういう単純な思い違いならまだ安心なところもある。
意図的だとしたら、これはどうだろう。
だいぶ前から、浅尾議員が自分の議員活動に制限を加えられていることを実感していたのだろうか?と勘ぐってしまう。自由な発言・活動が保障されていれば「事実確認を行う」が「事前確認を行う」と読み違えることなどあるだろうか。
こうなってしまうとほとんど想像の世界になってしまう。
浅尾議員の本当に気持ち、議会の本当の思惑は、実際に聞いてみなければわからない。
ただ出来事だけが妙にウマいこと並んでいることが、妙な想像を働かせてしまう。
2017年05月16日 Posted by けま at 13:49 │Comments(0) │市政を考える
以前から調べてみたかったこと 4
浅尾議員ご自身のブログ6月5日の記事に「抗議文」が載っている。
→ http://asao.dosugoi.net/e648146.html
詳しくはこちらを読んでください。
この抗議文に対して議会運営委員会が調査を行い、抗議内容が全くの誤解によることが議会運営委員会で確認された。
7月25日にこの「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された。
7月28日に「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された。
ここでの「報告書」、「謝罪を求める文書」は白井議員のブログに載っている。
「報告書」
「謝罪を求める文書」
どのような謝罪を求められたかというと、
・ブログに掲載した「抗議文」なる文書を含む文章に対して適切な対応を求める (多分そのブログを削除しろ、ということだろう)
・「抗議文」なる文書は、事実確認をしなかったことで新城市議会の信頼を失墜したことに謝罪する旨を記した文書をブログに掲載すること
・IT活用を含む公にする文書等については、公人としての立場をわきまえ、事前に事実確認を確実に行うこと
以上の3点だ。(これは「文書」から抜き書きしたもの)
これについて同じ28日に浅尾議員はツイッターで発言している。
・僕の謝罪を求め、さらにブログ記事の事前確認を要求していました。
・「弁護士に相談の上、法廷闘争も含めて検討します」と答えました。
(浅尾議員のツイッターはまとめがあるのでそちらを参照 → https://togetter.com/li/697376)
ここで「文書」に書かれていることと、浅尾議員の認識の違いが表れている。
文脈を読み、適切だと思われる主語を()で入れてみた。
「文書」では
『 (当事者が、今回の件なら浅尾議員が)事前に事実確認を確実に行うこと 』
浅尾議員は
『 (議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました 』
「報告書」の調査の経緯は少し疑問な点もあるけれども、この2か所を比べると主語は明らかに違うと思われる。
「文書」には、事前確認は本人が確実に行え、と書いてあるようにしか読み取れない。
これをどう錯覚したら、議会が事前確認を要求している、と読み取れるのだろうか。
これはやはり浅尾議員の勘違いとしか言えないような気がする。
なぜこんな勘違いをしてしまったか?
これは7月24日の中日新聞記事の影響ではないか?と想像するほかない。
この辺りの出来事を時系列で並べてみる。
7月23日 全員協議会
7月24日朝 中日新聞朝刊記事(23日の全員協議会のことが記事のベース)
・「ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」
7月24日21時浅尾議員ツイッター
・新たな問題は、長田発言をきっかけに公人である僕たち議員のインターネット上の活動を規制する方向へと新城市議会が動いたこと
・中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです
・昨日の議会事務局は、議長の採決を正確に書き留めることが出来なかったのです
・「SNSで情報を発信する際のルールづくりをしていくことも賛成多数で決めた」(「東愛知」)ことに断固反対
7月25日 「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された
7月28日 「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された
24日の中日新聞での「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という記事が浅尾議員の頭にこびりついていて、28日の「文書」を「ブログ記事の事前確認を要求していました」と読んでしまったのではないだろうか。
上の時系列では浅尾議員の24日のツィートの主だったものを載せた。
前回の記事で浅尾議員への疑問を書いたが、ここにもいくつか疑問な点がある。
注意したいのは、この日(24日)の朝に中日新聞朝刊に件の記事が載り、夜21時に23日のことをツィートしている、という点だ。
ツィートのなかのコレ → 中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです。
このツィートに強い違和感を感じる。
全員協議会(23日)には浅尾議員も参加してるはずで、その場に本人もいるのだ。
なのになぜ 「 実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです 」 などというツィートをするのだろう?
「 議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた 」という危機的な状況に賛成する議員を、なぜその場にいる浅尾議員自身がチェックをしなかったのか?
この日の傍聴者は20名ほどいたという。ならばその傍聴者にも確認をとるとか(私は傍聴したときに議員の挙手をチェックしたことがある。傍聴席からもチェックできる。)、あるいは中日新聞記者にも確認を取ってみるとか(記事の最後には記者の名前が載っている。連絡は可能なはず)、当然すると思われる確認手段をなぜ取らなかったのだろうか?
そもそもこのツィートでの出来事は23日の全員協議会で起こったことだ。
なぜこんな大変な状況だったことを23日にツィートしなかったのか?
なぜ24日の中日新聞記事を 読 ん で か ら 、23日のことをツィートしているのか?
こうやって書いてみると、先ほど書いた「中日新聞記事が、浅尾議員の頭にこびりついていて、」というより、むしろ中日新聞記事を利用して「議会から迫害を受けている自分」を演出しているようにも見えてしまう。
「新城市議会が議員の情報発信を制限しようとしている」という事件を、浅尾議員からの情報で判断しようとするのは避けた方がいいのかもしれない。
→ http://asao.dosugoi.net/e648146.html
詳しくはこちらを読んでください。
この抗議文に対して議会運営委員会が調査を行い、抗議内容が全くの誤解によることが議会運営委員会で確認された。
7月25日にこの「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された。
7月28日に「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された。
ここでの「報告書」、「謝罪を求める文書」は白井議員のブログに載っている。
「報告書」
「謝罪を求める文書」
どのような謝罪を求められたかというと、
・ブログに掲載した「抗議文」なる文書を含む文章に対して適切な対応を求める (多分そのブログを削除しろ、ということだろう)
・「抗議文」なる文書は、事実確認をしなかったことで新城市議会の信頼を失墜したことに謝罪する旨を記した文書をブログに掲載すること
・IT活用を含む公にする文書等については、公人としての立場をわきまえ、事前に事実確認を確実に行うこと
以上の3点だ。(これは「文書」から抜き書きしたもの)
これについて同じ28日に浅尾議員はツイッターで発言している。
・僕の謝罪を求め、さらにブログ記事の事前確認を要求していました。
・「弁護士に相談の上、法廷闘争も含めて検討します」と答えました。
(浅尾議員のツイッターはまとめがあるのでそちらを参照 → https://togetter.com/li/697376)
ここで「文書」に書かれていることと、浅尾議員の認識の違いが表れている。
文脈を読み、適切だと思われる主語を()で入れてみた。
「文書」では
『 (当事者が、今回の件なら浅尾議員が)事前に事実確認を確実に行うこと 』
浅尾議員は
『 (議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました 』
「報告書」の調査の経緯は少し疑問な点もあるけれども、この2か所を比べると主語は明らかに違うと思われる。
「文書」には、事前確認は本人が確実に行え、と書いてあるようにしか読み取れない。
これをどう錯覚したら、議会が事前確認を要求している、と読み取れるのだろうか。
これはやはり浅尾議員の勘違いとしか言えないような気がする。
なぜこんな勘違いをしてしまったか?
これは7月24日の中日新聞記事の影響ではないか?と想像するほかない。
この辺りの出来事を時系列で並べてみる。
7月23日 全員協議会
7月24日朝 中日新聞朝刊記事(23日の全員協議会のことが記事のベース)
・「ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」
7月24日21時浅尾議員ツイッター
・新たな問題は、長田発言をきっかけに公人である僕たち議員のインターネット上の活動を規制する方向へと新城市議会が動いたこと
・中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです
・昨日の議会事務局は、議長の採決を正確に書き留めることが出来なかったのです
・「SNSで情報を発信する際のルールづくりをしていくことも賛成多数で決めた」(「東愛知」)ことに断固反対
7月25日 「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された
7月28日 「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された
24日の中日新聞での「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という記事が浅尾議員の頭にこびりついていて、28日の「文書」を「ブログ記事の事前確認を要求していました」と読んでしまったのではないだろうか。
上の時系列では浅尾議員の24日のツィートの主だったものを載せた。
前回の記事で浅尾議員への疑問を書いたが、ここにもいくつか疑問な点がある。
注意したいのは、この日(24日)の朝に中日新聞朝刊に件の記事が載り、夜21時に23日のことをツィートしている、という点だ。
ツィートのなかのコレ → 中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです。
このツィートに強い違和感を感じる。
全員協議会(23日)には浅尾議員も参加してるはずで、その場に本人もいるのだ。
なのになぜ 「 実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです 」 などというツィートをするのだろう?
「 議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた 」という危機的な状況に賛成する議員を、なぜその場にいる浅尾議員自身がチェックをしなかったのか?
この日の傍聴者は20名ほどいたという。ならばその傍聴者にも確認をとるとか(私は傍聴したときに議員の挙手をチェックしたことがある。傍聴席からもチェックできる。)、あるいは中日新聞記者にも確認を取ってみるとか(記事の最後には記者の名前が載っている。連絡は可能なはず)、当然すると思われる確認手段をなぜ取らなかったのだろうか?
そもそもこのツィートでの出来事は23日の全員協議会で起こったことだ。
なぜこんな大変な状況だったことを23日にツィートしなかったのか?
なぜ24日の中日新聞記事を 読 ん で か ら 、23日のことをツィートしているのか?
こうやって書いてみると、先ほど書いた「中日新聞記事が、浅尾議員の頭にこびりついていて、」というより、むしろ中日新聞記事を利用して「議会から迫害を受けている自分」を演出しているようにも見えてしまう。
「新城市議会が議員の情報発信を制限しようとしている」という事件を、浅尾議員からの情報で判断しようとするのは避けた方がいいのかもしれない。
2017年05月16日 Posted by けま at 11:08 │Comments(0) │市政を考える
以前から調べてみたかったこと 3
あれから色々調べていて自分なりにわかってきたことも多いのだが、それらわかってきた断片をつなぎ合わせることが難しい。
前回からの続きで、白井議員の反論から入りたいところだけれどもうまくまとまらず、自分の文才の無さが恨めしい。
とりあえずわかってきたところを書いてみようと思う。
まずは、浅尾議員の7月14日のブログ『新城市本会議での品位に欠ける恥ずべき発言に関する申し入れ』。
長田問題は6月18日に発生しているが、なぜ一か月後に記事にしているのか?
これは件の浅尾議員のブログにその理由が書いてある。
・インターネットで傍聴された市民のみなさんから批判の声が寄せられている
(浅尾議員のもとに、ということだろう。)
・発言が行われた時、私は、本会議に出席して聞いていましたが、「動議」という方法を知らなかったため、議会中の問題化が出来ませんでした。
(なぜその時に問題としなかったのか?と言う点に答えている)
・このまま、この問題を、うやむやにしてはいけないと感じました。共産党の仲間や市民のみなさん、各関係者と慎重な検討と議論を重ねた結果、まずは本日、私からの申し入れ書として市長と議長に提出することにしました。
ということで、一か月後の7月14日に申し入れをしようとした、とのことだ。
しかしこの日のブログでは、14日に議長が不在だったため17日に再度提出することにした。
この17日の模様は浅尾議員のツイッターで確認できる。
(ちなみに浅尾議員の長田問題に関係するツィートはまとめられている。
→ https://togetter.com/li/697376
この17日のツィートで大事な点は「7月16日の議会による長田議員への処分を、浅尾議員は全く知らなかった、ということ」だ。
知らなかったがゆえに、「一方的に知らないうちに隠せば(録画の削除)、解決する問題ではないと思います」と言っている。
ここで白井議員のブログの2014年07月29日の記事を読んでみる。
『中日新聞の記事への抗議』
→http://slmichihiro.seesaa.net/article/402835943.html
ここで添付されている「中日新聞への抗議(PDF).pdf」という資料を読んでみると興味深いことが書かれている。
・議会は本会議最終日に、議長から「不穏当発言確認後、削除すること」が伝えられていた。浅尾議員を含めて全ての議員から異論の声は上がらなかった。
「申し入れ」という正式な文書の中では、
・「私が、議場でその発言を聞いた時に思ったのは、こんなことを質問・提案していいのかと言う驚きと、恥ずかしさでした」
・「動議を知らなかったので議会中の問題化はできなかった」
と書かれているが、議会の最終日には議長の方から「不穏当発言があれば削除するよ。ありますか?」と聞かれている。
ならばここで「こんなことを質問・提案していいのかと言う驚きと、恥ずかしさ」を、なぜ発言しなかったのだろうか?
「私が、議場でその発言を聞いた時に思ったのは、こんなことを質問・提案していいのかと言う驚きと、恥ずかしさでした」
がウソか。
ウソならウソでいい。驚きも恥ずかしさもなかったんだから、議会最終日に異論の声を上げなかったのもわかる。
でも長田議員発言中に浅尾議員が思ったという「驚きと、恥ずかしさ」は確実にウソになってしまうわけだし、それを議長に提出する「申し入れ」という公的な文書に書くことは問題だろう。
ウソでないなら、議会最終日に異論の声を上げなくては。
動議を知らなかった故に議会中の問題化ができなかったことを挽回できるチャンスを、議長の方から振ってくれたのだから。
「浅尾議員を含めて全ての議員から異論の声は上がらなかった。」という白井議員の言葉がウソでないなら、上げる機会があったのに、上げなかった不誠実さが残ってしまう。
この2点。
どちらかが浅尾議員の行動への疑問として残ることになってしまう。
浅尾議員の真意は一体どこにあったのだろうか。
前回からの続きで、白井議員の反論から入りたいところだけれどもうまくまとまらず、自分の文才の無さが恨めしい。
とりあえずわかってきたところを書いてみようと思う。
まずは、浅尾議員の7月14日のブログ『新城市本会議での品位に欠ける恥ずべき発言に関する申し入れ』。
長田問題は6月18日に発生しているが、なぜ一か月後に記事にしているのか?
これは件の浅尾議員のブログにその理由が書いてある。
・インターネットで傍聴された市民のみなさんから批判の声が寄せられている
(浅尾議員のもとに、ということだろう。)
・発言が行われた時、私は、本会議に出席して聞いていましたが、「動議」という方法を知らなかったため、議会中の問題化が出来ませんでした。
(なぜその時に問題としなかったのか?と言う点に答えている)
・このまま、この問題を、うやむやにしてはいけないと感じました。共産党の仲間や市民のみなさん、各関係者と慎重な検討と議論を重ねた結果、まずは本日、私からの申し入れ書として市長と議長に提出することにしました。
ということで、一か月後の7月14日に申し入れをしようとした、とのことだ。
しかしこの日のブログでは、14日に議長が不在だったため17日に再度提出することにした。
この17日の模様は浅尾議員のツイッターで確認できる。
(ちなみに浅尾議員の長田問題に関係するツィートはまとめられている。
→ https://togetter.com/li/697376
この17日のツィートで大事な点は「7月16日の議会による長田議員への処分を、浅尾議員は全く知らなかった、ということ」だ。
知らなかったがゆえに、「一方的に知らないうちに隠せば(録画の削除)、解決する問題ではないと思います」と言っている。
ここで白井議員のブログの2014年07月29日の記事を読んでみる。
『中日新聞の記事への抗議』
→http://slmichihiro.seesaa.net/article/402835943.html
ここで添付されている「中日新聞への抗議(PDF).pdf」という資料を読んでみると興味深いことが書かれている。
・議会は本会議最終日に、議長から「不穏当発言確認後、削除すること」が伝えられていた。浅尾議員を含めて全ての議員から異論の声は上がらなかった。
「申し入れ」という正式な文書の中では、
・「私が、議場でその発言を聞いた時に思ったのは、こんなことを質問・提案していいのかと言う驚きと、恥ずかしさでした」
・「動議を知らなかったので議会中の問題化はできなかった」
と書かれているが、議会の最終日には議長の方から「不穏当発言があれば削除するよ。ありますか?」と聞かれている。
ならばここで「こんなことを質問・提案していいのかと言う驚きと、恥ずかしさ」を、なぜ発言しなかったのだろうか?
「私が、議場でその発言を聞いた時に思ったのは、こんなことを質問・提案していいのかと言う驚きと、恥ずかしさでした」
がウソか。
ウソならウソでいい。驚きも恥ずかしさもなかったんだから、議会最終日に異論の声を上げなかったのもわかる。
でも長田議員発言中に浅尾議員が思ったという「驚きと、恥ずかしさ」は確実にウソになってしまうわけだし、それを議長に提出する「申し入れ」という公的な文書に書くことは問題だろう。
ウソでないなら、議会最終日に異論の声を上げなくては。
動議を知らなかった故に議会中の問題化ができなかったことを挽回できるチャンスを、議長の方から振ってくれたのだから。
「浅尾議員を含めて全ての議員から異論の声は上がらなかった。」という白井議員の言葉がウソでないなら、上げる機会があったのに、上げなかった不誠実さが残ってしまう。
この2点。
どちらかが浅尾議員の行動への疑問として残ることになってしまう。
浅尾議員の真意は一体どこにあったのだろうか。
2017年05月09日 Posted by けま at 10:56 │Comments(0) │市政を考える
以前から調べてみたかったこと 2
7月16日に夏目議長から長田議員へ口頭で注意がなされ、問題の発言部分が議事録から削除、録画も削除、という処分が実行された。
これが良いことか悪いことかという疑問はさておき、市議会としての長田議員への対応は一応これで決着を見たと言っていいだろう。
しかしまだ対応しなければならない事柄が残っていて、ひとつは7月14日の浅尾議員のブログにある「新城市本会議での品位に欠ける恥ずべき発言に関する申し入れ」。
この申し入れでは浅尾議員は以下の回答を求めている。
1、 長田議員の提案内容を倫理的、道義的・政治的責任の観点から、長田議員への適切な対処を求めます。
2、今回の長田議員の提案内容について、市の見解を求めます。
この2点に対して議会は回答するのかどうか。
もうひとつは政治倫理審査会での審査結果だ。
7月25日に議員2名(誰かは判明せず)より、長田議員発言問題の政治倫理条例への違反の有無の審査請求がなされ、30日に政治倫理審査会が設置された。
今ではおなじみになった『政倫審』。
この政倫審で、長田議員の責任が審査され処分方法が出されることになる。
この政倫審設置の経過は白井議員のブログにも書かれていて、
(2014年08月04日 長田議員は辞職すべきか?)
→ http://slmichihiro.seesaa.net/article/403154940.html
先に挙げた浅尾議員の申し入れへの回答に応えたような書き方になっている。
というわけで、この時点では長田問題に残された課題は不適切発言への市の見解と政倫審の結果待ちということになっており、ここからなぜ議員の情報発信規制の話が出てくるのか?
書いている私も、今さらながら首をかしげたくなってくる感じだが、ここで転機となる新聞記事が出される。
その前にこの時点での浅尾議員の見解を記しておこう。
少し遡って、7月17日。
この日の浅尾議員のツイッターで以下の事がわかる。
・この日の申し入れはかなわず、22日に再度提出することになった。
・中日新聞記者から取材を受け、そのなかで長田市議質問の議会録画が削除されていることを知らされた。
・事務局にも問い合わせ、16日に削除された事実を確認した。
・これに対して「一方的に知らないうちに隠せば(録画の削除)、解決する問題ではないと思います」とツィートしている。
つまり、冒頭に書いた16日の議会による長田議員への処分を、浅尾議員は全く知らなかった、ということがわかる。
そして22日のツイッター。
・議長への申し入れ。長田議員の辞職と記者会見を求める。
・市長にも申し入れと懇談。市長からも議事録削除の件を聞かされる。答弁した市の立場も問われると発言。
・「議長には、議会閉会後の議事録削除や録画の削除を命じる権限は無いと思います。」
申し入れは無事提出できたようだ。しかし長田議員に対する議会の処分については納得していない感じだ。
この議会の処分を他の議員さんたちは知っていたのだろうか?
前回のブログにより、白井議員をはじめとする議運の議員は知っていたと思うが、どうなのだろう?
今となってはわからない。
そして7月24日、転機となった新聞記事が出る。
■中日新聞 2014/7/24 朝刊
『議員の情報発信を制限へ 新城市議会「ルールつくる」』
市議会全員協議会の冒頭、不適切発言を謝罪する長田市議=23日、愛知県新城市で愛知県新城市の長田共永市議(49)=無所属=が少子化対策として「穴の開いたコンドームを配っては」と市議会で発言した問題で、新城市議会は二十三日、全員協議会を開催。浅尾洋平市議(37)=共産=がブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた
■東愛知新聞 平成26年7月24日
『不適切発言の長田市議謝罪 新城市議会全協 進退は議運で協議』
新城市の長田共永(ともなが)市議(49)=無所属、3期=が6月定例会の一般質問で「穴の開いた避妊具を配ってはどうか」などの不適切な発言をしたことを受け、新城市議会は23日、議員18人の全員協議会を開いた。
冒頭、長田市議は「市民の方々に迷惑をかけ申し訳ない」と謝罪し、所属する総合政策特別委員会の委員長を辞任することを表明。進退については「議員の職責を果たしていきたい」と述べた。
全協では、長田市議の進退、議会のこれまでの対応、情報の発信手段を議論。長田市議の進退に関しては、ほかの市議から辞職を求める申し入れがあったことから、今後は議会運営委員会で協議することを決めた。さらに必要とあれば、処遇についての政治倫理審査委員会を開く。
今回の不適切発言は、ほかの市議が自身のブログで紹介したことで表面化した。全協では、市議がSNS(ソーシャルネットワーク)で情報を発信する際のルールづくりをしていくことも賛成多数で決めた。
手元に残っているのはこの2紙の記事だが、大きく世論に訴えたのは中日新聞の記事だ。
この記事を改めて読んでみて、皆さんはどう感じるだろうか?
特にこの部分、
『 ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた 』
うーむ、やはり、
「長田議員発言問題を世に知らしめたこと」
↓
「議会軽視」
↓
「情報発信を制限するルールを作ると決める」
としか読み取れないか。
長田議員の不適切発言問題が、浅尾議員の議会軽視を咎めるための議員個人の情報発信を制限する決定、に切り替わった瞬間と言えるだろうか。

これが一気にネット中心に世間に広まり、新城市議会の不名誉につながった。
そしてこのような世間の見方に対して、白井議員が自身のブログで反論を展開し始めた。
さらに続く。
これが良いことか悪いことかという疑問はさておき、市議会としての長田議員への対応は一応これで決着を見たと言っていいだろう。
しかしまだ対応しなければならない事柄が残っていて、ひとつは7月14日の浅尾議員のブログにある「新城市本会議での品位に欠ける恥ずべき発言に関する申し入れ」。
この申し入れでは浅尾議員は以下の回答を求めている。
1、 長田議員の提案内容を倫理的、道義的・政治的責任の観点から、長田議員への適切な対処を求めます。
2、今回の長田議員の提案内容について、市の見解を求めます。
この2点に対して議会は回答するのかどうか。
もうひとつは政治倫理審査会での審査結果だ。
7月25日に議員2名(誰かは判明せず)より、長田議員発言問題の政治倫理条例への違反の有無の審査請求がなされ、30日に政治倫理審査会が設置された。
今ではおなじみになった『政倫審』。
この政倫審で、長田議員の責任が審査され処分方法が出されることになる。
この政倫審設置の経過は白井議員のブログにも書かれていて、
(2014年08月04日 長田議員は辞職すべきか?)
→ http://slmichihiro.seesaa.net/article/403154940.html
先に挙げた浅尾議員の申し入れへの回答に応えたような書き方になっている。
というわけで、この時点では長田問題に残された課題は不適切発言への市の見解と政倫審の結果待ちということになっており、ここからなぜ議員の情報発信規制の話が出てくるのか?
書いている私も、今さらながら首をかしげたくなってくる感じだが、ここで転機となる新聞記事が出される。
その前にこの時点での浅尾議員の見解を記しておこう。
少し遡って、7月17日。
この日の浅尾議員のツイッターで以下の事がわかる。
・この日の申し入れはかなわず、22日に再度提出することになった。
・中日新聞記者から取材を受け、そのなかで長田市議質問の議会録画が削除されていることを知らされた。
・事務局にも問い合わせ、16日に削除された事実を確認した。
・これに対して「一方的に知らないうちに隠せば(録画の削除)、解決する問題ではないと思います」とツィートしている。
つまり、冒頭に書いた16日の議会による長田議員への処分を、浅尾議員は全く知らなかった、ということがわかる。
そして22日のツイッター。
・議長への申し入れ。長田議員の辞職と記者会見を求める。
・市長にも申し入れと懇談。市長からも議事録削除の件を聞かされる。答弁した市の立場も問われると発言。
・「議長には、議会閉会後の議事録削除や録画の削除を命じる権限は無いと思います。」
申し入れは無事提出できたようだ。しかし長田議員に対する議会の処分については納得していない感じだ。
この議会の処分を他の議員さんたちは知っていたのだろうか?
前回のブログにより、白井議員をはじめとする議運の議員は知っていたと思うが、どうなのだろう?
今となってはわからない。
そして7月24日、転機となった新聞記事が出る。
■中日新聞 2014/7/24 朝刊
『議員の情報発信を制限へ 新城市議会「ルールつくる」』
市議会全員協議会の冒頭、不適切発言を謝罪する長田市議=23日、愛知県新城市で愛知県新城市の長田共永市議(49)=無所属=が少子化対策として「穴の開いたコンドームを配っては」と市議会で発言した問題で、新城市議会は二十三日、全員協議会を開催。浅尾洋平市議(37)=共産=がブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた
■東愛知新聞 平成26年7月24日
『不適切発言の長田市議謝罪 新城市議会全協 進退は議運で協議』
新城市の長田共永(ともなが)市議(49)=無所属、3期=が6月定例会の一般質問で「穴の開いた避妊具を配ってはどうか」などの不適切な発言をしたことを受け、新城市議会は23日、議員18人の全員協議会を開いた。
冒頭、長田市議は「市民の方々に迷惑をかけ申し訳ない」と謝罪し、所属する総合政策特別委員会の委員長を辞任することを表明。進退については「議員の職責を果たしていきたい」と述べた。
全協では、長田市議の進退、議会のこれまでの対応、情報の発信手段を議論。長田市議の進退に関しては、ほかの市議から辞職を求める申し入れがあったことから、今後は議会運営委員会で協議することを決めた。さらに必要とあれば、処遇についての政治倫理審査委員会を開く。
今回の不適切発言は、ほかの市議が自身のブログで紹介したことで表面化した。全協では、市議がSNS(ソーシャルネットワーク)で情報を発信する際のルールづくりをしていくことも賛成多数で決めた。
手元に残っているのはこの2紙の記事だが、大きく世論に訴えたのは中日新聞の記事だ。
この記事を改めて読んでみて、皆さんはどう感じるだろうか?
特にこの部分、
『 ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた 』
うーむ、やはり、
「長田議員発言問題を世に知らしめたこと」
↓
「議会軽視」
↓
「情報発信を制限するルールを作ると決める」
としか読み取れないか。
長田議員の不適切発言問題が、浅尾議員の議会軽視を咎めるための議員個人の情報発信を制限する決定、に切り替わった瞬間と言えるだろうか。

これが一気にネット中心に世間に広まり、新城市議会の不名誉につながった。
そしてこのような世間の見方に対して、白井議員が自身のブログで反論を展開し始めた。
さらに続く。
2017年05月07日 Posted by けま at 11:17 │Comments(0) │市政を考える
以前から調べてみたかったこと 1
ブログを書き始めた時からもう一度調べ直してみたいことがあった。
長田議員の不適切発言と、そこから派生した新城市議会の議員個人の情報発信への規制の問題だ。
今さらこれの真相(と言っていいものか・・?)がわかったところで、なにか収穫があるのかどうかわからないが、これは単に個人的に調べてみたいこと。
というわけで、当時の情報を色々漁ってみた。
そもそもの始まりは、2014年6月の定例会2日目、18日の長田議員のこの質問。
『 愛知県新城市の長田共永市議は6月の本会議で少子化対策として「婚姻届を頂いた方には来年の市制10周年の年に合わせて子どもを産んでもらうために、穴の開いたコンドームを配ったり、出産祝い金の代わりに(精力がつくとされる地元名産の)自然薯を送ったりしてはどうか」などと発言。』
これは前からぼちぼち情報を集めていた中で見つけた記事なのだが、元が何だったか忘れてしまった。
が、要するにこういう発言をしてしまったわけだ。
で、この長田議員の不適切発言を一般市民の皆さんが知ることになったのは浅尾議員のこのブログ記事からだ。
2014年07月14日『新城市本会議での品位に欠ける恥ずべき発言に関する申し入れ』
http://asao.dosugoi.net/e661996.html
ほぼ一か月後にこの記事が書かれた。
普通に思うことは、「なぜ一か月後にこの記事を?」ということだ。
6月定例会の期間中にこの不適切発言についてその他の議員から何も声が上がらなかったのだろうか?
あるいは議長がその場で注意するとか、議会運営委員会などが何かのアクションを起こすとか、そういうことはなかったのか?
と思ったのは、最近発生した浅尾議員の懲罰動議、柴田議員の問題発言などのこれらの発言に対して、今の市議会は割と早い対応をしているからだ。
2014年6月の時点でブログを書いていたのは浅尾議員、白井議員、加藤議員。facebookでは小野田、滝川、柴田、山崎の各議員。
今さらながら当時の記事を眺めてみた(我ながらご苦労なことだw)
長田議員の不適切発言に言及している議員は一人もいなかった。
当の浅尾議員でさえ、6月の時点では触れていない。
浅尾議員の件は置いといて(笑、このことだけで「市議会議員全員で示し合わせて隠ぺいしていたのか!」と結論付けるのは早とちりというもので。
この不適切発言について、議会は全く手を付けていなかったわけでもないようなのだ。
それがわかるのが白井議員の2014年07月26日のブログ『議会がもめています。』
→http://slmichihiro.seesaa.net/article/402641847.html
「議会としては、従来のように、不穏当発言(長田発言)を議長、議会運営委員会、本人の確認の上、削除する方向で進んでいましたが、」
この部分。
この時期白井議員は議会運営委員だったようで、やはり長田議員のあの発言は不適切だったと判断しており、そのための対処作業中だったようだ。
ただこの対処方法がよくなかった。このことについては同ブログで白井議員も言及している。
1)議会の従来の不穏当発言の処理方法の問題が露呈した
・不穏当発言を削除してきた従来の対応への疑問(隠ぺいしているのでは?という疑問を市民に抱かせる)
・対応の遅さ(少なくとも浅尾議員の7月14日の記事が出るまで処理が終わっていなかった。6月定例会は27日で終わっているのに)
・全議員への周知の不徹底
2)議員の対応方法の問題点も明らかになった
・各議員の認識の甘さ
・議会として集団で解決するという意識の欠如
・・誰かが対応するのでは?
・・問題議員へ忠告さえしない無責任議員の多さ
・・同僚議員・議長に問題提起もせずにブログアップする議員(浅尾議員のことかw)
( 以上、白井議員の同ブログより。私が勝手にまとめました。 )
という反省の元に「議会改革を進めなければ」と白井議員も強く思われたようで、この不穏当発言の処理については先ほど挙げた浅尾議員の懲罰動議、柴田議員への注意に表れているように、スピーディーな対応ができるようになってきた。
この点は評価できるところだろう。
浅尾議員の2014年07月14日のブログの功績ともいえる。ご自身も懲罰動議でブーメランをくらってしまったけれども・・・。
で、この時の対処は結局どうなったか。
浅尾議員の7月14日のブログで表になったこの事件は18日に新聞記事やネットでのニュースになっている。
■The Huffington Post 2014年07月18日
市議会は問題の発言部分を議事録から削除する方針で、夏目勝吾議長が7月16日、長田氏に口頭で注意した。47NEWSなどが報じた。
■毎日新聞 2014年07月18日
新城市議:「穴の開いた避妊具配ったら」少子化対策で発言
・市議会は問題の発言部分を議事録から削除する方針で、夏目勝吾議長が今月16日、長田市議に厳重注意した。
■【共同通信】2014/07/18
愛知 「穴開き避妊具配っては」 新城市議が一般質問
・議長は7月16日、市議としての品位と配慮に欠けるとして口頭で注意し、発言を議事録から削除することを決めた。
14日の浅尾議員の記事の2日後の16日に『夏目勝吾議長が今月16日、長田市議に厳重注意した』ということだ。
そしてこの時点で『問題の発言部分を議事録から削除する方針』ということも決まっていたらしい。
白井議員のブログから考えれば、浅尾議員の暴露から大慌てで2日間で対処方法を考えたというよりは、予定通りあるいは少し前倒しで16日に処分をした、と見る方が妥当ではないかと思う。
長くなったので続く。
長田議員の不適切発言と、そこから派生した新城市議会の議員個人の情報発信への規制の問題だ。
今さらこれの真相(と言っていいものか・・?)がわかったところで、なにか収穫があるのかどうかわからないが、これは単に個人的に調べてみたいこと。
というわけで、当時の情報を色々漁ってみた。
そもそもの始まりは、2014年6月の定例会2日目、18日の長田議員のこの質問。
『 愛知県新城市の長田共永市議は6月の本会議で少子化対策として「婚姻届を頂いた方には来年の市制10周年の年に合わせて子どもを産んでもらうために、穴の開いたコンドームを配ったり、出産祝い金の代わりに(精力がつくとされる地元名産の)自然薯を送ったりしてはどうか」などと発言。』
これは前からぼちぼち情報を集めていた中で見つけた記事なのだが、元が何だったか忘れてしまった。
が、要するにこういう発言をしてしまったわけだ。
で、この長田議員の不適切発言を一般市民の皆さんが知ることになったのは浅尾議員のこのブログ記事からだ。
2014年07月14日『新城市本会議での品位に欠ける恥ずべき発言に関する申し入れ』
http://asao.dosugoi.net/e661996.html
ほぼ一か月後にこの記事が書かれた。
普通に思うことは、「なぜ一か月後にこの記事を?」ということだ。
6月定例会の期間中にこの不適切発言についてその他の議員から何も声が上がらなかったのだろうか?
あるいは議長がその場で注意するとか、議会運営委員会などが何かのアクションを起こすとか、そういうことはなかったのか?
と思ったのは、最近発生した浅尾議員の懲罰動議、柴田議員の問題発言などのこれらの発言に対して、今の市議会は割と早い対応をしているからだ。
2014年6月の時点でブログを書いていたのは浅尾議員、白井議員、加藤議員。facebookでは小野田、滝川、柴田、山崎の各議員。
今さらながら当時の記事を眺めてみた(我ながらご苦労なことだw)
長田議員の不適切発言に言及している議員は一人もいなかった。
当の浅尾議員でさえ、6月の時点では触れていない。
浅尾議員の件は置いといて(笑、このことだけで「市議会議員全員で示し合わせて隠ぺいしていたのか!」と結論付けるのは早とちりというもので。
この不適切発言について、議会は全く手を付けていなかったわけでもないようなのだ。
それがわかるのが白井議員の2014年07月26日のブログ『議会がもめています。』
→http://slmichihiro.seesaa.net/article/402641847.html
「議会としては、従来のように、不穏当発言(長田発言)を議長、議会運営委員会、本人の確認の上、削除する方向で進んでいましたが、」
この部分。
この時期白井議員は議会運営委員だったようで、やはり長田議員のあの発言は不適切だったと判断しており、そのための対処作業中だったようだ。
ただこの対処方法がよくなかった。このことについては同ブログで白井議員も言及している。
1)議会の従来の不穏当発言の処理方法の問題が露呈した
・不穏当発言を削除してきた従来の対応への疑問(隠ぺいしているのでは?という疑問を市民に抱かせる)
・対応の遅さ(少なくとも浅尾議員の7月14日の記事が出るまで処理が終わっていなかった。6月定例会は27日で終わっているのに)
・全議員への周知の不徹底
2)議員の対応方法の問題点も明らかになった
・各議員の認識の甘さ
・議会として集団で解決するという意識の欠如
・・誰かが対応するのでは?
・・問題議員へ忠告さえしない無責任議員の多さ
・・同僚議員・議長に問題提起もせずにブログアップする議員(浅尾議員のことかw)
( 以上、白井議員の同ブログより。私が勝手にまとめました。 )
という反省の元に「議会改革を進めなければ」と白井議員も強く思われたようで、この不穏当発言の処理については先ほど挙げた浅尾議員の懲罰動議、柴田議員への注意に表れているように、スピーディーな対応ができるようになってきた。
この点は評価できるところだろう。
浅尾議員の2014年07月14日のブログの功績ともいえる。ご自身も懲罰動議でブーメランをくらってしまったけれども・・・。
で、この時の対処は結局どうなったか。
浅尾議員の7月14日のブログで表になったこの事件は18日に新聞記事やネットでのニュースになっている。
■The Huffington Post 2014年07月18日
市議会は問題の発言部分を議事録から削除する方針で、夏目勝吾議長が7月16日、長田氏に口頭で注意した。47NEWSなどが報じた。
■毎日新聞 2014年07月18日
新城市議:「穴の開いた避妊具配ったら」少子化対策で発言
・市議会は問題の発言部分を議事録から削除する方針で、夏目勝吾議長が今月16日、長田市議に厳重注意した。
■【共同通信】2014/07/18
愛知 「穴開き避妊具配っては」 新城市議が一般質問
・議長は7月16日、市議としての品位と配慮に欠けるとして口頭で注意し、発言を議事録から削除することを決めた。
14日の浅尾議員の記事の2日後の16日に『夏目勝吾議長が今月16日、長田市議に厳重注意した』ということだ。
そしてこの時点で『問題の発言部分を議事録から削除する方針』ということも決まっていたらしい。
白井議員のブログから考えれば、浅尾議員の暴露から大慌てで2日間で対処方法を考えたというよりは、予定通りあるいは少し前倒しで16日に処分をした、と見る方が妥当ではないかと思う。
長くなったので続く。