9月28日朝刊の記事 2

予定地外の平屋の建物の所有者さんに対して実際に補償はすでに支払われているのだから、その「居住実態」は補償理由に値したのだろう。

その理由を確認するために、加藤市議をはじめとする皆さんはその補償理由の書かれた報告書の情報開示請求を行った、と記事にある。
ところが開示されたものは、肝心の理由部分が非開示(黒々と墨塗りされていた)だったワケなのだ。

こうなってくると市の態度に疑いを持たざるを得なくなる。

新聞記事ではこの補償に関する調査をコンサルタント会社に依頼したようで、その報告書は市に渡された。
市が直接調査をしたのではないのだな。

市が自ら書いたモノなら、書いたモノの責任は市にある。
だから見せちゃマズイものに、市自らスミを塗るのはわかる。

しかし報告書は市とは全く別のコンサルタント会社が書いたモノで、書いたモノの責任はコンサルタントにある。
市は別に隠す必要はなく、「コンサルタントがこんな風に報告してきたので私ら(市)はそれに基づいたまでの事ですぅ。」
としていればイイんじゃないか?
なぜ他人が書いたモノに、市がスミを塗るのだ?(非開示なのだ?)

考えられることは、「その報告書に書かれていることは、市にも責任があるから」しかないだろう。
くどいようだけれども、報告書はコンサルタントが作ったものでその内容に対して市には何も責任はない。

市に責任があるとしたら、

・個人のプライバシーに関することが書かれている部分なので非開示にした。

これは昨今の風潮からすれば十分あり得る。
非開示だけれどもそのスミ塗り報告書の下には「居住実態あり」と書かれており、それに基づき市は補償を行った。
市の対応に何の問題も無し。加藤市議らも納得。

これぐらいしかないだろう。

しかし加藤市議らは一度は情報開示請求を行い、実際にスミ塗り文を読んでいる。
プライバシー部分だけが非開示になっているわけではないと踏んだからこそ、監査請求を行なったはずだ。
加藤市議らは何か切り札的なモノを握っているのではないか?

あと考えられるのは、

・報告書の内容に対して市からなんらかの指示が出されていた。

指示、もしくは依頼して、それを盛り込んだ報告書だからこそ市も責任があると考え非開示部分を設けたのだ。
「責任がある」というより「バレたらマズイ」という感覚だろう。

一体バレたらマズイことって何なのだ?
それは非開示部分で、新聞記事によれば「補償理由」だ。
バレたらマズイ「補償理由」ってなんだ?

このバレたらマズイ補償理由と、加藤市議たちが「行政裁判にすることも検討している」という覚悟がこの事件の重要なカギだろう。
行方を注視していきたい。  

2016年09月30日 Posted by けま at 12:43Comments(0)新庁舎建設

9月28日朝刊の記事

新城新庁舎建設に伴う用地補償について、疑わしい事柄があるようだ。

これはパパパさんのブログに経緯が詳しく書かれており、新聞記事の切り抜きも載っていて事柄の中身がわかる。
→「今日の朝刊記事(住民監査請求に関する)」 http://pensee.dosugoi.net/e902389.html(「パパゲーノの夢」より)

まず確認しておきたいのは記事で使われている「事業用地」という言葉だ。
「用地補償」とか「用地取得」とか「用地買収」とかいう言葉に使われている「用地」。
ま、当たり前なんだけど、これは「新庁舎建設のために必要な土地」のこと。
もっと具体的に言うと、今は取り壊してなくなっている市民体育館の南側に「新たに取得した土地」のこと、だ。

「事業用地」には新庁舎が建てられるわけだから、「建設予定地」とも書かれている。

さてこの「事業用地」=「建設予定地」。
ここに昔から住んでいた人にはどこかに移転してもらわなければならないので、市から補償が支払われることになった。
これは当然のことで、よく理解できる。

しかしこの「事業用地」=「建設予定地」の『外』の『物件』に対しても補償が支払われているケースがあるらしい。

?? ちょっとわからんゾ。

なぜ「事業用地」『外』の物件(建物)に補償が支払われるんだ?
私の家は市内野田にあって十分「事業用地外」だけれども、この私の家(物件)にも補償が支払われる可能性があった、ってことか!?
しまった!もらい損ねたワイ・・・。

とヒートアップしてしまいそうな頭を冷やしつつ、中日新聞の記事をよっく読んでみると市用地開発課担当の人がこう言っている。
「用地の内外で建物を一体的に利用する場合は補償の対象になり得る。」
「今回のケースは母屋と離れのような関係で住める状態と判断して補償した。」※1

なるほど、母屋と離れ、みたいな関係は「建物を一体的に利用する場合」に相当するわけか。

そして市用地開発課の人の説明の前段ではこう書いてある。

「平屋の建物の所有者は用地内に住居があり、」
  (この「所有者」は用地内に住んでるから補償を受ける対象なのだな。)

「平屋でも家族が居住していたとして、市が補償した」※2
  (そうか、この「平屋」が、「所有者」の住居を母屋とすると離れに当たるわけか。)

ん? 「平屋の建物」ってなんだ?

新聞記事の最初にこう書いてある。
「建設予定地外にあった『平屋の建物』の所有者に対して市が補償を支払った・・」

あー、そうか。この「平屋の建物」が「離れ」で、「平屋の建物=離れ」が「予定地外」なのか。
ようやく繋がった。なんで最初からよく読まないんだ、オレw

「母屋と離れ」を常識的に解釈すれば、同じ土地に二棟あるパターンとか、同じ土地でなくても狭い道を挟んでの二棟で家族ともども行き交っているとか、そんな感じだろうか。
この所有者さんの家もそんな実態だったのだろう(好意的に解釈)。
「用地内に母屋があり野田に離れがあるので、野田の離れを立て直す費用も補償してほしい!」と言ってもこれは「母屋と離れ」と言うにはあまりに無理スジな話というわけか(笑。

ん? じゃあこの新聞記事まとめるとこんな感じだと思うが・・・  
      ↓
「平屋の建物」は用地外だから、本来は補償の対象ではない。
しかし「母屋と離れ」を適用できるパターンとして、「離れ=平屋の建物」は用地外だけれども補償の対象になった。

一体この記事の何が問題なワケ? なにか見落としてるか?

そこでもう一度記事をよっく読むと、多分これではないかと。

・「平屋でも『家族が居住していた』として」←※2
・「母屋と離れのような関係で『住める状態』と判断して」←※1
・「加藤市議らは平屋の建物の『居住実態』についても争う」←新聞記事最後の段

離れに「家族が住んでいたのか?」、離れが「住める状態であればいいのか?」
というような「居住実態」が重要なカギになっているようだ。

長くなったので続く。  

2016年09月30日 Posted by けま at 09:18Comments(0)新庁舎建設

議員さんも市民

前回の続き。
9月議会の決算委員会において浅尾議員の第129号議案に対して動議が出され、結局この質問に対しての回答は得ることができなかった。

この浅尾議員の第129号議案の内容は、浅尾議員のブログに載っている。

「下江議長からの「依頼」と僕の「回答書」」(9月5日)
http://asao.dosugoi.net/e895230.html
 
このブログの画像の2枚目にこう書いてある。

第129号議案
2-1-1 一般管理費 契約検査一般事務経費
「電子入札についての参加資格(入札権)の要件を伺う。」

これは要するに、打桐厚史議員の奥さんの会社の受注激増に対する疑惑に対しての質問なのだな。

『契約検査一般事務経費?
つまり市内各事業者の入札に関して必要な市の経費のことか。
そういえば「契約検査」で「入札」とくれば打桐議員の疑惑がまだ晴れていないじゃないか。
市議会議員の妻の会社が入札に参加できることがそもそも問題じゃないのか?
よーし、じゃあこの機会にそこんとこ質してみよう!』

って感じで、浅尾議員は考えたんじゃなかろうか?
あくまで想像だけれども、この考えの道筋、私はよーくわかるよw
浅尾議員は私のような一般市民の、幾分思い込みと若干妄想気味で結構飛躍的な論理思考に近しい感じがする(笑。

でも決算審査てのは、
「予算執行により当初の目的が果たされたのか、今後の政策に反映しなければならない課題は明らかにされたのか」
ということが同じ日の浅尾議員のブログの画像1枚目に書いてあるのがわかる。

入札のシステムにかかる費用と、入札のシステムの運用は別、ということだろうか。
入札権と議員の関わりは、入札システムの運用に関係する事柄だから決算委員会での議案にはそぐわない、と。

と、解釈してみたが、決算委員会で浅尾議員にはこういう感じの説明は為されたのだろうか?


議員さんはある意味専門職だから、行政のおかしな動きに対しては猛勉強して知識を身に着け対抗していって欲しい。
が、もう一面でいえば私たち一般市民の代表であり、私たち一般市民そのものと言ってもいいだろう。

議会で質問している議員さんは私たちの代表で、議員さんは「市民」でもあるのだ。

だからさ、役所の窓口で住民票のもらい方がわからずにまごまごしている市民に対するがごとく、浅尾議員の第129号議案が決算委員会にそぐわないのなら、わかりやすく説明してほしいものだよ。
なんでイカンのかって。
窓口でうろうろしてると職員さんは「何か御用ですか?」って声掛けしてくれるじゃないの。
提出する申請書やらに不備があっても丁寧に説明して直してくれるじゃないの。
聞いてこなきゃ答えない、書類の不備は突き返すだけ、そんな不親切な市役所職員さんはいないでしょ?
親切な職員さんのトップたちが議会に参列しているんだからさ、トップの人達も親切でなきゃおかしいでしょうが。
職員さんの上司は率先垂範してないのかね?

行政と議員の丁々発止の場を、傍聴席で、インターネットで、議事録で、市民は見ている。
市民のための行政、議会なのだから、議会の場でお互いが専門用語や慣習でもって「わかるよね?」で終わらせるのはやめてほしいものだ。
その過程が一般市民にも理解できるような運営を求めたい。

浅尾議員のような「議会ってもんをわかってない若造が!」的な人物こそが、私たち一般市民なのだ。
妙に通ぶって、議会では黙っていて、決定には右に倣え、的な議員さんより、私は素人っぽい浅尾議員を応援したいよ。
行政も、わかっていない議員さんにはむしろ丁寧に対応してほしいものだよ。


で、浅尾議員、できたら事の顛末もブログで発信してもらえるとありがたいわ。  

2016年09月23日 Posted by けま at 10:53Comments(0)新城市議会

9月12日の予算決算委員会でのできごと

リンクばかりになってしまうが、最近気になったのがこちら。

「考えよう!しんしろ新市庁舎」
・9月12日の予算決算委員会の傍聴に関する記事
https://www.facebook.com/sincityhall/posts/1094765917244121

ただならぬ雰囲気の伝わる記事で、新城議会は何をやっているのか?と考え込んでしまう。
が、一方大変な目にあった浅尾議員のブログにはこの原因となったと思われる記事がある。

多分発端はこれ。以下浅尾議員のブログから。

「副市長が、私の反対討論に疑義(議長への文書)を示す。」(7月1日)
http://asao.dosugoi.net/e878637.html

議会が終わっているのに行政側から浅尾議員に対して「質疑」と称した文書が議長経由で送られてきている。
議会での発言に質疑があるなら、議会で質疑するのがスジってもんだと思うんだが、違うんだろうか?
議会が終わってから議員さんに「質疑です!」とかさ、場外バトルみたいなもんでしょう?
「ルールを守ろうよ、行政さん!」と思うのだが、この辺りのやり取りがいわゆる「慣習的な議会のルール」として黙認されているのかもしれない、とも思う。
市民にはわからないところなんだよな。

しかしそれにも増して感じることは、浅尾議員だけがなんだか槍玉にあげられている感じがすることだ。
議会も行政も浅尾議員に偏見持っているんじゃないか?


そして次はこれ。
「私の9月議会の一般質問の「発言通告」全文です。」(9月2日)
http://asao.dosugoi.net/e893841.html
これは画像を見ると8月26日に提出していることがわかる。
一般質問の「発言通告書」なので、先頭に挙げた予算委員会のものではないけれども。
このように議会での発言の前に議員さんは「発言通告書」なるものを提出し、それが「議会運営委員会」で内容をチェックされる。


このことは小野田ナオミ議員のfacebookでの記事でも確認される。
https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1082212701858286
(日付は8月29日)

ここで意味深な言葉使いがあって、
「提出された全議員の発言通告書に目を通した後、訂正部分につきましては各議員にその旨を伝えますが、それに応じて直す議員もいらっしゃれば直さない議員もいらっしゃいます。」

つまり「議会運営委員会」の委員である議員さんであれば、議員の当日の発言内容が訂正されたものであるかどうかはわかっているのだな。


で、これ。
「下江議長からの「依頼」と僕の「回答書」」(9月5日)
http://asao.dosugoi.net/e895230.html
最初の画像を見ると、「1 予算質疑通告書における指摘事項」「2 決算質疑通告書における指摘事項」と書いてあるのがわかる。

これが小野田議員の記事における「訂正部分につきましては各議員にその旨を伝えます」なのだろう。
で、浅尾議員はこの文書に対してかなり反発しておられるご様子。

2枚目の画像はその訂正部分なのだが、注目は「第129議案」の箇所。
「決算審査で質疑することではないのでは。:議員必携、決算審査の着眼点」
と、青背景の白抜き文字で指摘してある。

この部分が冒頭の予算決算委員会の傍聴でのやりとりの大本になった個所だろう。

浅尾議員はこの画像の後で訂正した箇所を2つ挙げているが、この「第129議案」については訂正していないことがわかる。
訂正せずに通告書どおりに発言しちゃったんだね。


ここまでの流れは議会の前段階の話で、議会での発言はいきなりその場で為されるものではなく、「議会運営委員会」の委員を務める議員さんや行政側もその発言内容を事前に把握していることがわかる。
浅尾議員の「第129議案」についても、「議会運営委員会」は彼が訂正せずに発言することはすでにわかっていたことなのだな。

だから冒頭での「考えよう!しんしろ新市庁舎」さんの9月12日の予算決算委員会の傍聴に関する記事において、
「突如小野田議員が議運を開いて検討すべきとの動議を出し、申し合わせたように賛同議員が多数たって、議運が急きょ開かれることになりました(後の情報から申し合わせていたことが分かりました)。」
となったわけだ。
「議会運営委員会」の小野田議員が動議を出すのもわかるし、他の議員についても事前に根回ししていたのだろう。

ここまでの出来事は、まぁ理解できるし納得もできる。
要は議会運営のルールに則った出来事なのだ。

浅尾議員がそれに則っていなかったことが原因なのだが、では浅尾議員の質疑内容はどこで回答を得ればよかったのだろうか?

長くなったので続きは次回。  

2016年09月14日 Posted by けま at 04:59Comments(0)新城市議会

勉強しよう!

厳密に分けることは難しいが、私たち住民が市政に関わるときに2つの道があると思うようになった。

ひとつめは市を活性化させる道。
今現在無いモノを新たに創り出し、市を盛り上げていこう! というもの。

堅苦しい事柄で言えば、自治基本条例の作成、若者議会や女性議会の開催、などはこの方向性だと思う。
「盆ダンス」とか「どやばい村」なんていうイベントは記憶に新しい。
市が関わっているけれども堅苦しくは無く、若者主体に新城市を盛り上げよう!という明るさがある。

市の主導ではないけれども、市民それぞれが新城市を活性化させようと多くの自主的な取り組みも多い。
最近なら、今日9月3日に行われる「野田城伝」てのがある。
 → http://slmichihiro.seesaa.net/article/441525524.html

これだけではなく、実に多くの市民の自主的な取り組みがあって紹介しきれない。
いつもチェックさせてもらっているのはコチラ。

 「新城勝手に応援隊」 → http://shinshiroouenn.dosugoi.net/

近隣のイベント情報はほぼ全てこちらのブログで入手可能。
ブログ主のナツさんのマメな情報収集力は実に素晴らしい。
私たちも色んなイベントに足を運んで、新城市の活性化に協力したいものだ。



もうひとつは市の問題点に焦点を当てて、解決のために色々考えたり、行動していこうというもの。

最近の一番の問題と言えば、八名地区の産廃問題だろう。

 「山本拓哉のひとりごと」 → http://takuya-y.jugem.jp/

このブログ主の山本拓哉氏が中心となり地域の皆さんと一緒に、地道に粘り強く、タナカ興業と市に対して元の生活環境を取り戻すために行動しておられる。

特に苦労しているのは、相手が一企業だけでなく「新城市」でもある、ということだ。
「活性化の道」は先にも挙げたように、市が積極的にかかわってくれることが多い。
新城市に大いにメリットがあるからだ。
それに比べ市の問題点はその対象が「新城市」でもあるだけに、『市のメンツから見ればデメリットがある。』
市民のパワーのみで対処しなくてはならない。常に劣勢だ。
(本来市の役割は市民生活の維持向上にあるわけだから、「市のメンツ」なんてことを考えてほしくないんだけどね。)

「市の問題点」は一度きりの行動で終わる、または解決するものではなく、息の長い活動が必要なものだ。
そして仮に問題が解決したとしても、普通の生活が取り戻されるだけのことで、何か活性化するという類のものではない。

先に挙げた「市を活性化させる道」に比べれば、市民の目にも留まりにくく苦労の多い道なのだ。


長々と書いてしまったが、今回書きたかったことはこれ。
 
「会報(その2)が発行されました」
  →(http://pensee.dosugoi.net/e891492.html

お馴染み、パパパさんのブログ「パパゲーノの夢」からのお知らせ。
本日9月3日、「新城市政を考える会」の勉強会が開催される。
 (新城文化会館104会議室にて 14時開始!)

市民の目に留まりにくい苦労の多い道を敢えて歩む「新城市政を考える会」!
などと、重々しい書き方をしては、かえって市民の皆さんの足を遠ざけるものになってしまうかw

どうか、市の問題点も知っておいてほしい。
市の活性化もモチロン大切だが、問題点を把握しておくことは、市政を考えるバランス感覚を保つためにも必要なことだ。
本日お昼から、時間のある方はぜひ気軽に足を運んでください。

私、行けなくて残念です・・・。  

2016年09月03日 Posted by けま at 07:47Comments(2)市政を考える

第7回 新城若者議会 傍聴

今ごろ書くか!って感じだが、先月26日、第7回新城市若者議会の傍聴に行ってきた。
いつもは主に消防防災センターに集まり議論を重ねている若者議会の面々は、この日は新城市議会議場で中間発表を行った。
席の正面にずらっと居並ぶ市役所のエラい人たちを前に、それぞれのチームの政策発表を行うのはずいぶんと緊張しただろうと思う。
議場を使うということで、会議の進行やお作法も議会のソレと同じように行われたのだろう。
いちいち挙手してから発言したり、自席にあるマイクをいちいち立てなきゃならないとか、戸惑うことも多く、めんどくさいなぁと思ったのではないか(笑。

なかなか体験できることではないと思うので、ここでの感想はぜひ若者議会でのブログとかで発信してほしいところ。
「あのような『形式』に拘るような儀式めいたことをなぜするのか?」という視点で、ぜひ若者らしい意見を聞いてみたいものだ。

話が逸れた。

若者議会は現在2期目。
前回1期の時にも市議会議場を使っての中間発表があって、私はそれにも傍聴に行った。
その時の傍聴者は少なかった。私を含めて4、5名といったところ。
今回は傍聴席がほぼ埋まるぐらいの盛況(?)ぶりだった。
少し早めに席に着いていたのだが、近くで話している人にこっそり聞き耳を立ててみると、市外の行政に関わる人、大学でなにやら研究している人っぽい感じ。
市議会議員も何人かいたし、市職員もいたと思うけれども、市外への認知度もかなり高まってきていることがわかる。
こんな人もfacebookで取り上げてくれている。

→長坂なおとさん(豊橋市市議会議員)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1551709538188284&set=a.498463170179598.132488.100000477574559&type=3&theater

上に挙げた長坂さんの記事で「通常の議会では、行政は答えるだけで、質問はないので向こうから質問が来るのは新鮮。」とあるけれども、行政側からの多くの質問は、質問というより各政策をホメるものであった。
これは前回の時も同じような感じで、「まずはホメて、ヤル気を認めて継続へのモチベーションを与えないと」という気遣いの表れ、のように感じた。
この辺りの「気遣い」は、わからないでもない。
まだ始まったばかりの若者議会。まずは続けてみない事にはその成果はわからない、というのが正直なところだろう。

「若者議会」の政策をいきなり厳しく批判しては、主役たる若者たちが尻込みしてしまうかもしれない。
若者議会を継続していける体制を整えつつ、若者たちの政策提案が厳しく批判されてもそれに立ち向かえるガッツを養ったり、政策の現実的な落としどころを見つけるワザを身につけること、このさじ加減が難しいところだろう。
そういう将来を期待するために、今は「まずホメる」。
文句ばかりの私も、若者議会は長い目で見て、今は「がんばれ!」とホメていきたいw


ところで、「若者らしさ」「若者視点」とはなんだろう?

こんなやりとりがあった。
最後に発表した政策チームの「もっくる新城✕若者議会もっくるもっとくる事業」の発表において「若者目線の観光モデルルートを紹介します」という提言に対して、「奥三河観光協議会のHPに観光モデルコースが現在75あるが、『若者目線』のモデルルートとは具体的にどういうものか?」と行政側から質問があったのだ。

「え?75もモデルルートがあんの?」と私自身が驚いた。
(いや~、びっくり。ホントにあるんだね → http://www.okuminavi.jp/course/

その政策チームもまだ具体的には考えていなかったようで、後々考えていきたい、という感じの回答になった。

さて、この時の行政側のキモチはどんなものだっただろう。

ひとつは、純粋に「若者目線」の具体的なルートを知りたい、というものだろう。
観光の目的には具体性が伴うものだ。例えば、「歴史的な遺産遺物を見たい」「自然を見たい」「山、川で遊びたい」などなど。
そんな中での「若者目線」とはなんぞや?ということだろう。

若者の嗜好、志向、要するに「好き嫌い」ということだろうか。
それらが様々な分野に向けられるとき「若者目線」という言葉が使われるように思われる。

例えば今回の政策チームの中で「図書館リノベーション事業」に取り組んでいるチームがある。
その中の意見では「席で飲食可能に」とか「BGMが欲しい」とか、いかにも若者らしいものがあるのだが、政策提言における「若者らしさ」って、若者の「好き嫌い」を現実化するものなのだろうか。
この図書館の例でいけば、利用者は若者だけでは無いなかで、限定された層(すなわち若者層)の意見を反映させるような政策提言を、私たちは「若者」に求めているのだろうか。
観光ルートのような、個人や年齢層の好き嫌いが色濃く反映されるようなものなら「若者目線」もわからないではないが、政策一般に押し広げた時の「若者目線」とはどうあるべきなのだろうか?

もうひとつは、私のようなひねくれモノが考え付くような意地の悪いモノ。
「お前ら『若者』とかいって、ただの勉強不足だろう。すでに75の観光ルートがあることさえ知らんかったのだろう。知っていたら具体的な提案があって然るべきだ。なんでもかんでも『若者目線』とか言っておけばイイってもんじゃないぞ」
みたいな。

行政側の質問で「75」って数字が出た時に「お前ら(若者たち)そんなことも知らんの?」という、行政側の心の声が聞こえた気がしたもんでw

若者の経験不足、そこから来る知識不足。
「若者目線」には常にそういう「不足」がもたらす、「そんなのすでにありますぅ」的提案が多いようにも見受けられる。
斬新なことを言っているようで、実はすでにあったとか。


・・・などと、結局「年寄りが若者に文句垂れている図」になってしまった。

若者議会には「メンター」という、助言や手助けをする市職員が各チームに何人か付いている。
彼らの補助で、若者たちが若者らしさを失わず、より良い政策提言をしていけるような形を徐々に作り上げていくことを期待したい。  

2016年09月02日 Posted by けま at 10:04Comments(0)市政を考える