こんなことで申し訳ない気持ち

「産廃から環境を守る東三河連絡会」に参加した日、実はタナカ興業が「肥料」と称するモノが投入されている休耕地にも行ってみた。

少し迷ってしまい、一応到着はした・・・。
カーナビや、山本氏のブログの画像、その他の方の画像から推測してまず間違いないと思うのだが、
正直なところ「100パーセントここだ!」と断定できない。お恥ずかしい。

着いたのが5時を少し過ぎていて辺りはもう暗くなっていて、「写真を撮ってもまともに写らないしなぁ・・・」と撮らなかったのだが、それはちょっと後悔している。
画像暗くてもアップしとけば一応証拠になるし。
こんな書きっぷりでは行ってないみたいだよなぁ(苦笑


風がとても強い日で、休耕地側から風がびゅうびゅうと私の方に吹いていたのだが。
なにも臭わなかった。

しかもこの休耕地とされているところに濃い緑の玉がこんもりと植えられていた。
パッと見、「キャベツ?」って感じ。


臭わない、キャベツ(のようなもの)がたっぷり、現地なのかはっきりしない。


「こんな3拍子そろったところが、ホントにタナカ興業が「エセ肥料」を投入したところなのか?」
「オマエ、本当に現地に行ったのか? 行ったとしても全く違うところじゃねぇのか?」

というツッコミが聞こえてきそう。


渥美遠いですが、もう一回しっかり場所を確かめて行ってきます。
ついでに東細江のタナカ興業の工場にも行ってみます。
今度は明るいうちに。


言い訳めいてるけど、時間が経つと風雨により汚染物質が薄まったり流れ出してしまったり、地下に浸透してしまったりで、検出されなかったりするらしい。
ここの排水から水質汚濁に係る環境基準の2倍のヒ素が検出された、という報告があったのが3月13日。
すでに7か月経過していて、これぐらい経つと臭わなくなってしまうのだろうか。
臭いとヒ素は関係ないけど。

そしてあのキャベツ。
ちょいとググってみたら、秋冬キャベツは11月に収穫が始まるようなのであの畑の様子も間違いではないようだ。
が、暗い中遠くからながめただけなので果たして本当にキャベツなのかはっきりしない。
にしても、あれは市場に流通するのだろうか?
それともタナカ興業の肥料が無害であることをアピールするパフォーマンス的畑作なのだろうか?
誰か食べるのか?  

2015年10月30日 Posted by けま at 06:36Comments(0)産廃問題

産廃会議に参加した

10月25日田原市渥美文化会館にて「第11回 産廃から環境を守る東三河連絡会」に参加してきた。

新城で定期的に開催されている産廃会議になかなか都合がつかず出られなかったが、旧渥美町で開かれたこの会には、この日自分のいた場所や時刻など条件が奇跡的にうまく重なって参加することができた。
それにしても渥美文化会館は新城からは遠い(笑)。 毎月これに参加している山本拓哉氏はホントえらい。

参加人数は私を入れて18名。正面4人が山本氏はじめ新城から来た人のようで、田原、豊橋の人は12名のようだった。
残りの2人は私と、後ろでレジュメなどをまとめててくれてた方。

意外に参加人数が少ない印象だが、まだ一般市民の感覚として切迫したものがないのだろうか。
農業、畜産の盛んなところでもあるので、いわゆる「臭い」に関してはなかなかクローズアップされにくいところがある、と会議で言っていたような気がする。

各地区の進展報告が新城から順に田原、豊橋、と続いた。
どの地域の方も産廃関連のことを多岐に渡り勉強または情報収集されており、とても参考になった。

例えば業者の名前も、私は新城に進出しようとしている「タナカ興業」しか知らなかったが、他に色々あることを知った。考えてみれば他にも同業の会社があってもおかしくないわけで、そんなことに思い至らないほど勉強不足だった。

様々な意見の中で私が一番印象に残ったのは、田原の女性の方が言ったこの言葉。
「新城で発生する下水汚泥はどこに行っているのでしょうか?」

決して「新城のモノは新城で処理しろ、田原に持ってくるな」というニュアンスで発せられたものではなかった。
つまり、生活するうえで発生してしまう「下水汚泥」はどう処理するのが適切なのか?という根本的な問い、なのだ。

山本氏は「それは行政側の問題、行政の処理の仕方が悪く住民に被害が及んでいる」と、バサッと一刀両断だ。
先ほどの根本的なことを市民に考えさせるのも行政側のひとつの手段だとも言った。
下水汚泥が出てしまうのは市民の側にも責任があるのだから、ある程度ガマンしてもらわないと・・・的な言い回しで市民の口を封じるらしい。

私たちが衛生的な生活を送るには下水道の整備は必要で、その結果として下水汚泥が発生するのは「必要悪」だ。
その処理にもしコストがかかるのなら、私たちは衛生的な生活との引き換えにそのコストを引き受けなければならないのが筋だろう。
そのコストはつまり「増税」というカタチで私たちにのしかかってくる。
市民としては、そこを避けていてはいけないのではないか?
なぜ行政はそいう説明をしないのだろう?「下水処理にはおカネがかかります、ご理解ください」と。

コストをかけずに処理をすることが優秀な行政の在り方なのか?
そのために悪徳業者がはびこる余地を残してしまい、結果的に市民が迷惑を被ってしまっては行政の取った「コストをかけない手段」はなんだったのかという話にならないか?

喫緊の問題としては「タナカ興業」のような業者が操業することを断固拒否しなくてはならない。
そのための運動、活動を続けていく必要があるだろう。
と同時に、私たちの生活の中での「下水処理行政の在り方」も勉強して、根本的に「下水汚泥」を極力発生させない、環境に負荷を与えない処理方法などを考えていく必要もあるのではないか。

そんなことを考えさせられた会議だった。  

2015年10月29日 Posted by けま at 02:56Comments(2)産廃問題

ただの言い訳

昨日まちづくり集会実行委員会があって傍聴させてもらった。

話し合いは活気に満ちて、委員さんたちが皆積極的に意見を述べ、それがだんだんと一つのカタチに集約されていく様を見ることはとても楽しかった。
傍聴の規定で私は何も意見はできないのだけれども、思わず小さな声で独り言を呟いてしまうような、実にワクワクするような話し合いだった。

正式な発表は近いうちに実行委員会の方からあるだろうから、ここでは具体的なことは触れないでおこう。
漠然としか書けないが、未来に視線を向けたポジティブな内容だ。

楽しく傍聴させてもらいながら、もうひとつ思ったのは新城南部の産廃問題だ。

本当はこの産廃問題を、今話し合われているこの実行委員会で議題として提案できないか?と思っていた。
傍聴規定で私は発言できないことは分かっていたけれども。

提案できないか?と言っておきながら、恥ずかしいことに未だに産廃会議には参加できていない。
その産廃会議、どういう雰囲気でおこなわれているのだろうか。

産廃問題の解決に精力的に尽力しておられる山本拓哉氏の10月23日付ブログでは、
「本当は、欠格事項を摘発して一発不許可で皆でビールかけ!っと願っていましたが、どうも今の法律には不許可にする条項が無いようで、仕方ありません。不戦の戦いで勝利するしかないようです。」
と書かれていた。
長期的な戦いを余儀なくされ、その相手は直接的にはタナカ興業、間接的には市長に行政。
明るい、というかあまり盛り上がる雰囲気ではなさそうな、そんな感じの会議なのだろうか。
想像でしか言えないんだけど・・・。


その想像の範囲でしか言えないのだが、同じ新城市民が行っている会議なのにこの雰囲気の違いはどうだろう?
私には市民にとってとても不幸な状況に見えて仕方ない。

市民誰もが、市の未来を明るく語れるそういう会議を持ちたい。

この前参加させてもらった地域報告会でもいくつか問題は指摘されたが、それらは解決されれば地域の生活がプラスに転化するものが多かった。
(例えばこども園駐車場が夜は真っ暗だ、という問題。外灯が設置されれば安全度が増す、というような。)
しかし産廃問題は、業者が操業すれば今の生活がマイナスになるだけ。
業者が操業しなくて地域の住民が得られることは「今の生活が維持されるだけ」で、プラスの要素は無い。
先にプラスのことが見えない戦いのための会議を、ずっと続けなくてはならない気持ちはいかばかりか。


私に何ができるのか。もう少し拡張すれば、同じ新城市に住む人として何ができるのだろうか。
実効的なことはさておき、すぐに実行できて一番大切なのは「知ること」「知っておくこと」ではないか。
産廃問題、まずは状況を知っておこう。
産廃会議に出てみる(次回は11月1日と言ってました。10月25日には渥美文化会館でも開催されます)とか、
先ほど引用させてもらった山本拓哉氏のブログ(http://takuya-y.jugem.jp/)、
facebookの「新城の環境を考える市民の会」(https://www.facebook.com/shinshiro.sanpai/photos_stream)とかを見るといいと思う。
その上で、みんなが自分で考えて賛成か反対か態度を決めればいい。


今回のまちづくり集会実行委員会は、「知ってもらう」ための良い機会だった。
が、それができなかったオレ。
「できなかった」という言い方が言い訳がましい。それをしなかったオレ、だ。

明るく活気に満ちた会議に冷や水をぶっかけることができなかった。
「ぶっかけられない最低なヤツだ」が、ぶっかけても最低なヤツだろう。

悪者になりきれない偽善だらけの卑怯者の根性なしはわかっていたが、再度自覚した。
でもブログは続けていこう。恥をさらし続けて市の問題を考えていこう。  

2015年10月23日 Posted by けま at 08:16Comments(0)まちづくり集会産廃問題

「新城市地域産業総合振興条例(案)」(長い、難しい)

「新城市地域産業総合振興条例(案)」という長い名前の条例案があって、これが次回の会議の議題になっている。
今度で3回目の会議だが、その3回ともこの条例案の事がなにかと取り上げられている。
産業振興と市民自治会議がどう関係するのだろうと思っていたが、この案のなかに「産業自治」なる新しい言葉が盛り込まれていて、この関連で市民「自治」会議にも話が持って来られているようだ。

「産業自治」の定義は、「市民・事業者・市が自らの意思でそれぞれの役割を果たすとともに、お互いに協力しあうこと」だそうだ。


この案は市のホームページで公開されています。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,44058,169,782,html
ページ内、「2.意見募集項目」の「1 条例(案)のポイント」でわかりやすく解説されています。


まちづくり集会のところで書いたが、「条例で定めた以上執行しなくてはならない」という言葉がとても印象に残っている。
実際には「第○条~」と書かれた具体的な項目が執行されるわけだが、それらの大本の考え方が常に実現化される可能性を秘めていることに注意したいところだ。

で、気になるのが先に挙げた産業自治の定義にある「市民・事業者・市が自らの意思で~」というところ。
条例で、つまり法律でもって、なんで私たち市民の「自らの意思で~」とか決められなくてはならないのか?
自分の意思は自分のモノであって、それを条例で定められる、こちらの意思など無視するように定められる、ってどういうことなのだろうか?

その「市民」には言葉の定義、求められる役割が決まっていて、
まず「市民」
 ↓
住民、市内で働く人若しくは学ぶ人又は市内において公益活動をする団体をいいます。
(案 第2条(1))

そして「市民の役割」
 ↓
1 事業者が提供する商品及びサービスに関心を深め、購入するよう努めること。
2 事業者が提供する商品及びサービスについて、事業者に対して提案し、又は意見を伝えるよう努めること。
(案 第6条 (1)(2))

と、こうなっている。
市民は新城市に住んでる人ってことで問題ないけれども、次の「役割」ってのもまた疑問にあふれた内容だ。

要するに地元企業の商品を買おう、商品に意見を言おう、ということだが、そんなことをなぜ条例で決められなきゃならんのか?
「地域産業振興」の名のもとに買う義務を法律的に負わせられるコト、なわけだ。モノを買う自由を制限させられる内容とならないのだろうか?

この条例は、一番の大本は「地域産業振興」だ。
産業の主体はこの条例の言葉の定義で言えば「事業者」で、「産業振興」は「事業者支援」とイコールで結ばれる。
それは条例(案)にもしっかり書かれていて、
1 事業者への支援
2 起業・創業の支援
3 コミュニティビジネスへの支援
4 連携・交流への支援
(案 第7条 (1)~(6))

1はそのまま事業者支援、2は起業・創業した人はイコール事業者、3はコミュニティビジネスをする人は事業者、4は事業者が「連携・交流」する支援、というわけで支援を受けるのは専ら事業者なのだな。

で、市民はその事業者の売るものを買え、と。
市民もそのフトコロで持って事業者を支えるわけで、徹底して事業者支援の条例であることがわかる。

市民のフトコロから出たお金は商品売上として事業者に渡り、そのお金を元手に再生産された商品を市民がまた買う。
こうしてお金が地域で循環する仕組みが作られる、と。
マコトに結構な仕組みだし、そりゃこれが理想とする姿なのもわかる。

しかしさぁ、「市民に強制的に買わせる仕組み」を条例で作っといてお金が地域を循環する仕組みでござい、って計画経済みたいじゃないの。これでソ連はつぶれたぞ。
事業者が魅力的な商品を産み出して、市外からお金が入ってくるようにして、そのお金を再生産に回し市内市民の雇用を生み出すのが最も理想的なんじゃないのかな。
魅力的な商品を産み出す支援としての条例でなくては、経済規模の大きくない新城市で高齢者の年金を資本にしてお金を循環させても先細りじゃないか?

書いているうちに色々気づいてきたぞ。これがブログに書く私なりのメリットだ。
私のような素人の戯言には違いないが、ひとつパブコメに書いてやろう。  

2015年10月17日 Posted by けま at 10:34Comments(0)市民自治会議

情報について

第3回市民自治会議のお知らせが郵送されてきた。
議題のひとつに「地域産業総合振興条例策定事業について」というものがあった。

現在新城市では「新城市地域産業振興条例(案)」への意見を募集している。
「パブリックコメント手続き制度」、とかいう制度に基づいているらしい。「パブコメ」という言葉をよく耳にするけれども、このことだな。

というわけで新城市のホームページを見てみると、画面左側の並び、「市役所のご案内」の下4番目に「パブリックコメント」とあるのでここをクリックしてみる。
するとページが切り替わって、2つの項目がある。
ひとつは「パブリックコメント制度」、もうひとつは「パブリックコメント終了案件一覧」。
どちらをクリックしても「新城市地域産業振興条例(案)」への意見募集を詳しく説明してくれているページにはたどりつかない。

いったいどういうことか?

意見を募集しているなら、市のHPを開いたら真っ先に目につく場所にリンクを張り付けておくべきではないか?
ワンクリックでそのページにたどりつけるようにしておかないのはナゼなんだ?
意見してほしくないのだろうか?

というわけで。
目的のページにたどり着くには、市HP画面上部の一番右端「市政」をクリック。
画面が切り替わって「メニュー一覧」の中の「ただいま募集しています」の「ご意見募集」をクリック。
画面が切り替わって『「新城市地域産業総合振興条例(案)」への意見を募集します。』をさらにクリック。
ようやく意見募集説明のページにたどりつきます。

階層にして、トップのホームから4階層目。なんでこんなに下の階層にあるのか。

以前、議会報告会に参加しようとして直前の議会の議事録を見ておこうと思ったら、市のHPに載っていなくて、メールでその旨確認してみたら「まだ出来上がっていない」と返事をもらったことがあった。
私が市民自治会議の委員に応募したのは、この情報開示の遅さをどうにかしたいと思ったからだ。

議会報告会に参加することは市民自治の観点から大変良いことだと思うが、予備知識も無く参加してもただ議員の言う事にうなずくだけのものになってしまう。
議員がきちんと仕事をしているか、議会での発言が報告会で矛盾していることはないか、これらをチェックできて初めて「意味のある報告会参加」になると思うのだ。

そのために議事録をチェックしておこうと思ったら、先ほどの市からの返事。
市民自治を謳っているくせにこの始末。いったいどういう事?

自治の一番の基礎は、市民が「知ること」だ。そのために情報はすべて開示されなければならない。
そして情報は正確で、速く、検索が容易でなくてはならないだろう。

この「新城市地域産業振興条例(案)」についても最初に書いたように検索が容易ではない。
まるで、「意見してみよう!」という市民のやる気を殺ぐかのような構造だ。
情報開示がこんなことでは市民自治をいくら謳ったところで広まらないだろう。


最初は「新城市地域産業振興条例(案)」について書こうと思ったけど、つい筆があらぬ方向に進んでしまった(笑。
これはまた次の機会に。

この情報開示についての改善は、委員である間に確実に市に実行してもらえるようにしつこく意見していくつもり。  

2015年10月12日 Posted by けま at 02:19Comments(0)市民自治会議

いわゆる産廃問題について

この前の第2回市民自治会議では、具体的には「第3回市民まちづくり集会」のことが議題になった。
その関連で資料として、第1回、第2回の市民まちづくり集会の当時のパンフレットをもらったことはこの前のブログで書いた。

そのなかで第1回の議題として「新庁舎建設」が取り上げられていることに、少し驚いた。

第3回まちづくり集会ではその「新庁舎建設」に関する住民投票が議題になってしまい、市民間でしこりを残さないよう実行委員会は様々な配慮をし、それでもヤジのことが問題になってしまったというのに(笑。

しかもこの第1回は平成25年8月25日開催。この年の11月に「新庁舎建設」が争点になった市長選挙が行われている。
選挙戦の前に、その争点になる議題をまちづくり集会に据えるとは、穂積市長もやるものだと思った。
言ってみれば、市民の対立や混乱を招きかけない議題でもあるわけで、穂積市長に不利な展開もあり得たのかもしれない。そういう意味で、よくやったものだと感心する面もある。

http://tomako.dosugoi.net/e553874.html
この第1回市民まちづくり集会のことを市長がブログに書いている。


このように、できたら避けてしまいたい事柄もまちづくり集会では議題として取り上げることができる。
そういう意味で私が今取り上げて欲しいと思っている議題が新城南部地区の産廃問題だ。

南部地区の皆さんが地域の環境被害を食い止めようとがんばってらっしゃる。
しかし豊川を挟んだ市北部では直接の害が及ばない分、いまひとつ関心が薄い。

産業廃棄物は、私たちが快適な生活、便利な生活を追い求めた結果出てきてしまうものだ。
市南部に進出し操業しようとしている「タナカ興業」はその産業廃棄物処理業者で、そういう業者がいてくれるからこそ、私たちの今の生活も成り立っていることを考えなくてはならない。

一番の問題はその「タナカ興業」が実際に豊橋、田原で処理施設から耐えがたい異臭を周囲にまき散らしていること、異臭のする廃棄物(タナカは“肥料”と称している)を不法投棄していることだ。

豊橋、田原でやっていることを新城でやらない保証はない。むしろ新城でもやる可能性が高い。
だから南部地区のみなさんは反対しているわけだ。
タナカ興業が周囲に異臭をまき散らさない操業をしてくれるならば、そういう実績があるならば、反対する理由もないのだ。

社会に必要な業者であっても、環境を汚すことはあってはならない。
環境を汚さない操業をすること、そのことで大きなコストがかかるのなら、それは快適な生活を送る我々市民がその代償としてコストを負担しなくてはならない。

このような環境問題を大きなテーマに据えて、今現実に環境被害が起きようとしている新城南部にスポットを当てて、その実態を正しく知ることは「意見を交換し情報及び意識の共有を図る」まちづくり集会に相応しい議題だと思う。
これが議題になって市北部の市民にも関心が高まり、南部地区の皆さんの励みになればまちづくり集会も意義あるものになるだろう。

10月28日の次回市民自治会議で提案してみよう。  

2015年10月10日 Posted by けま at 03:36Comments(0)産廃問題

第2回市民自治会議 2

第2回市民自治会議、2つめの議題は「市民まちづくり集会について」。

資料として第1回、第2回のまちづくり集会のパンフレットをもらったので、その時の議題を見てみると。

第1回(平成25年8月25日)
・第1部 新庁舎建設
・第2部 新城の未来を語る

第2回(平成26年10月19日)
・第1部 若者の主張!私たちの考えるまち
・第2部 皆で話そう!グループディスカッション(若者が住みたいまちについて)

これからの新城をどのようにしていこうか?、ポジティブシンキングでいこう! という感じだろうか。
辛気臭い議題より未来に希望がもてる方がいいだろうな、とは思う。

「市民まちづくり集会」は新城市自治基本条例の第15条に規定されている。
その第1項にはこう書いてある。
「市長又は議会は、まちづくりの担い手である市民、議会及び行政が、ともに力を合わせてより良い地域を創造していくことを目指して、意見を交換し情報及び意識の共有を図るため、3者が一堂に会する市民まちづくり集会を開催します。」

第3回の市民まちづくり集会は住民投票に伴い行われたもので、わかりにくいとされた選択肢の「情報及び意識の共有を図るため」という目的が重視された。
選択肢を選ばなくはならない前提があるため、「どちらが良いのか?」という視点を拭い去れない。
どうしても選んだ先の優劣(市民一人ひとりにとっての、だが)が気になる。
穏やかに平和的に「情報及び意識の共有を図る」のが非常に難しかった、という事務方の説明は同情的に理解できた。
第1回、第2回ではなかったヤジも第3回では多く飛び、「荒れた第3回」という印象は委員の多くが持っていたようで、このようなまちづくり集会にはしたくなかった気持ちはわかる。

私もこのブログで第3回まちづくり集会の総括をしていたので、そこで考え至った事を意見してみた。
ひとつは、「市民が本当に欲していた情報を提供することができたのか、まちづくり集会実行委員会は反省が必要ではないか?」ということ。

この場に実行委員会の人がいれば「市民が本当に欲していた情報を提供することができたのか?」、
と聞いてみたかったのだけれども、いなかったので提案みたいな感じの言い方になって歯切れが悪かった(笑

聞き方によっては「実行委員会が悪い」みたいな感じの言い方になるのだが、やはりそう捉える委員もいて、「悪者さがしをしても仕方がないので先に繋がる意見を云々」みたいな意見もでた。
まぁ、そう取られても仕方ない。
人がやってることだから、「実行された事柄」に反省を求めれば、「実行された事柄」に関わった人を悪く言ってしまうカタチになるのは仕方ない。
私も「悪者を特定して、はい反省終了!」などとは全く考えてなく、実行委員会の方で提供しようとした情報と、市民が本当に欲していた情報をどう一致させたらよいか、そこを考えていくべきだろうという事をわかってもらいたかったのだけれども。

さてもうひとつは、「議会が決めた条例なのだから質疑応答など、議会が答えるべきところは多かったように思うが、なぜそうしなかったのか?」ということ。

これは事務方から色んな説明を受けた。 実はまだよくわかっていない。

まずは議会には「議決権」しかない、ということ。
今回のまちづくり集会は条例に基づいて開催されたもので、いわゆる「執行権」を持ったまちづくり実行委員会が執り行ったもの。
「執行権」のない議会がまちづくり集会で説明することはできない・・・的な説明だったように記憶している。間違っていたらすいません。個人的によく勉強したいところです。

選択肢がおかしいとかわかりにくいとか、いろいろ問題点の山積みな事柄だったわけだから、実行委員会は「こんな選択肢を説明しなくてはならないまちづくり集会はやりたくない、やれない」と拒否をしたらどうだろう?とも聞いてみたのだが、これも条例で開催が決められている以上は執行権を持つまちづくり集会がやらなくてはならなかった、と説明を受けた。
それはつまり、「どんなにくだらない条例でも議決した以上は執行されなければならない」ということだ、とも言われた。

議決の結果執行されるに至ったくだらない条例は、執行する機関に無理を背負わせることになる。
しかし議会は「議決権」しかないことを理由に、その条例を説明する責任は無い、と、こういう事らしいのだ。

「これは議会が一番悪いですね。決めるだけ決めといてあとは知りません、ってアリなんですか?」
と、かねてから思っていたことも含めて言ったら、実にその通りとばかりに事務方もうなずいていた(笑
事務方のような行政の立場としては議会の議決にはなかなかモノが言いにくいらしい。

しかし・・・、議会がこのようなどうしようもない条例を作ったとして、これにダメ出しするにはどうしたらいいのか?
それがどうもこれといった手だてが無いらしいのだ。
もちろん地方自治法における議員のリコールという手段はあるが、「辞めさせる」のもちょっとイキすぎな感じがするし・・・。。
なにしろ「条例」は一度決まればやるほかないのが定めだ。今回の住民投票でそれがよっくわかった。

今回の住民投票では大多数の議員が選択肢1を推していたが、結果は選択肢2が多く得票した。
民意を汲み取れなかった議員に反省を求める声が議会内で出ているが、そういう反省は表に出てきていない。
議員にも個人としての信念があるだろうから、必ずしも民意に沿わなくてはならないこともないだろうと、私個人としては思う。
それよりも、今回の住民投票のように「道路変更が新庁舎建設とどう結びつくのか、説明しないとわからない」ようなわかりにくい条例を作ってしまったことに議会としての反省を求めたい。

市民はもちろん、執行しなければならなかった実行委員会にも相当な負担をかけたことの重みをわかってほしい。
議員提案にしろ、市から出た提案にしろ、審議には十分な時間をかけてその提案の及ぶ範囲を十分考慮してほしい。
そういう重大な仕事をしているのだという今一度考えてほしいものだ。  

2015年10月03日 Posted by けま at 08:43Comments(0)まちづくり集会市民自治会議