第3者委員会の是非
公開討論会に山本氏が参加する意思を表明した、とのことだ。
穂積氏、白井氏、双方のブログにもその旨の報告が書かれている。
これでこの後どうなるか?
白井氏のブログの言葉を借りると、
「予定候補者3人がそれぞれ公開政策討論会のための第三者委員会設立のための準備会委員3人を提案し、計9人が協議を始めることになります」
というワケで、計9人が予定を調整して「政策討論会実施委員会(仮称)」の第1回を開始することとなる。
9人もの一般市民のみなさん、それぞれお仕事をされている方もいるでしょうし、ご都合もあるでしょう。
一体9人皆が集まれる日程が組めるのか。まずそこからしてハードルが高く感じる。大丈夫だろうか?
実施委員会(仮)の設置は穂積氏の提案だが、この話が出てきたときからずっと疑問だ。
なぜ実施委員会(仮)が必要なのだろうか?
穂積氏のブログを読んでも、この第3者委員会の設置の理由が書かれていない。(と思うのだが、私の見落としもあるかもしれない)
最初にこの第3者委員会に言及するのは7月5日の「白井倫啓さんからの公開質問状とそれへの回答(市長選)」の記事。
6.
これらを実現するためには、公平・中立の第三者委員会を立ち上げ、その委員会によって運営されることが望まれます。
この部分。
『これらを実現するため』というのが第3者委員会立ち上げの理由に当たると思うが、では『これら』は何を指すか。この 6. の前段を見てみると。
5.の中の、
『告示前も含む全選挙期間中の政策討論のあり方について、候補(予定)者同士が協議を持ち、一定のルールを取り決め、さまざまな手法について検討を加え、合意できるところから実現をはかっていくこと』
この部分が相当するかと思うのだが、どうだろうか。
候補者同士が協議を持ち、と書いてあるのだから、穂積、白井、山本の3氏が協議すりゃいいんじゃないかと思うのだ。
そこから一足飛びに「公平・中立の第三者委員会を立ち上げ」と繋げてしまう、その思考の道筋がわからない。
一体どういう事?
穂積氏の考えをかなり忖度することになるけれども、「第三者委員会」を修飾する「公平・中立」という言葉がカギになるだろうか。
つまり候補者同士での協議は「公平・中立」ではない。
だから「公平・中立な第3者委員会」で協議をする。
こういう感じの思考の道筋だろうか。
しかしそうであったとしても疑問は消えない。
候補者同士の協議は「公平・中立」ではない、という事だとしても、それが何か問題なのだろうか?
3人で協議する中で、例えば演説する時間に3人の間で不公平が生じたとする。
協議の中で不公平が生じたのなら、不公平な立場に追いやられた候補者はその時点で討論会を辞退すればいいだけのことではないか。
討論会は絶対にやらなければならないものではない。法的な縛りがあるわけではないのだ。
辞退したからといって、何かペナルティがあるわけではない。
元の1人に立ち返って、1人の選挙活動を続行すればいいのだ。
「公平」の意味は広辞苑によると「かたよらず、えこひいきのないこと」だ。
3人で納得いくまで協議して「かたよらず、えこひいきのない」ルールを作ればいいのでないだろうか?
それともなんだ、3人で協議すると「かたよって、えこひいきのある」ルールができてしまうのだろうか。
当事者同士で協議して、3人の間で公平でないルールができあがってしまう、って一体どういう状況なんだ?
私が想像するのは、
1)討論会を必ず開催する義務があってそこから抜けられない
2)3人の間でなんらかの力関係ができてしまう。力関係を強要される。
こんなところだろうか。
先にも書いたが、討論会はいつでも辞退できるのだから、不公平な立場になってしまうなら辞退すればよい。
そして、3人はそれぞれ議会や産廃問題でやりあってきた仲だ。3人の中で抜けられない力関係が生じ、それに従わなければならない状況になる、なんて考えられない。そんな状態になるなら誰かが辞退するだろう。
イヤならいつでも討論会を辞退できる自由が担保されていて、それでも討論会を開催したいと3人が願うのなら、そこには様々な取引や妥協が生まれるだろうけど、3人にとって納得のできるルールが出来上がるはずだと思うのだ。
その取引や妥協は生々しいものかもしれないけれど、そういう本音で協議することは3人にとって互いの腹の内を探る良い機会にもなるのではないか。
第3者委員会を作るより、直接3人で話し合ったほうがよっぽど「公平・中立」を期待できるのではないかと思うのだ。
こうやって書いてきて気が付いたのだが、「公平・中立」というのは候補者3人にとっての「公平・中立」だと感じる。
例えば3人で直接協議をし討論会のルールが作られたとすると、そのルールは3人にとって「公平・中立」なルールといえるだろう。
で、これは例えばの話。
ルールの中で「討論会のビデオ録画はする」「しかしビデオは公開しない」という項目があったらどうだろうか?
候補者3人が納得していても、こ れ は 市民・有権者が黙っていないだろう(笑。
つまり討論会のルールには有権者に対しての「公正さ」が望まれる。
この「公正さ」の担保のために第3者委員会は必要なのだ、と候補者3人のうちの誰かが言及しているだろうか?
長くなったので続く。
穂積氏、白井氏、双方のブログにもその旨の報告が書かれている。
これでこの後どうなるか?
白井氏のブログの言葉を借りると、
「予定候補者3人がそれぞれ公開政策討論会のための第三者委員会設立のための準備会委員3人を提案し、計9人が協議を始めることになります」
というワケで、計9人が予定を調整して「政策討論会実施委員会(仮称)」の第1回を開始することとなる。
9人もの一般市民のみなさん、それぞれお仕事をされている方もいるでしょうし、ご都合もあるでしょう。
一体9人皆が集まれる日程が組めるのか。まずそこからしてハードルが高く感じる。大丈夫だろうか?
実施委員会(仮)の設置は穂積氏の提案だが、この話が出てきたときからずっと疑問だ。
なぜ実施委員会(仮)が必要なのだろうか?
穂積氏のブログを読んでも、この第3者委員会の設置の理由が書かれていない。(と思うのだが、私の見落としもあるかもしれない)
最初にこの第3者委員会に言及するのは7月5日の「白井倫啓さんからの公開質問状とそれへの回答(市長選)」の記事。
6.
これらを実現するためには、公平・中立の第三者委員会を立ち上げ、その委員会によって運営されることが望まれます。
この部分。
『これらを実現するため』というのが第3者委員会立ち上げの理由に当たると思うが、では『これら』は何を指すか。この 6. の前段を見てみると。
5.の中の、
『告示前も含む全選挙期間中の政策討論のあり方について、候補(予定)者同士が協議を持ち、一定のルールを取り決め、さまざまな手法について検討を加え、合意できるところから実現をはかっていくこと』
この部分が相当するかと思うのだが、どうだろうか。
候補者同士が協議を持ち、と書いてあるのだから、穂積、白井、山本の3氏が協議すりゃいいんじゃないかと思うのだ。
そこから一足飛びに「公平・中立の第三者委員会を立ち上げ」と繋げてしまう、その思考の道筋がわからない。
一体どういう事?
穂積氏の考えをかなり忖度することになるけれども、「第三者委員会」を修飾する「公平・中立」という言葉がカギになるだろうか。
つまり候補者同士での協議は「公平・中立」ではない。
だから「公平・中立な第3者委員会」で協議をする。
こういう感じの思考の道筋だろうか。
しかしそうであったとしても疑問は消えない。
候補者同士の協議は「公平・中立」ではない、という事だとしても、それが何か問題なのだろうか?
3人で協議する中で、例えば演説する時間に3人の間で不公平が生じたとする。
協議の中で不公平が生じたのなら、不公平な立場に追いやられた候補者はその時点で討論会を辞退すればいいだけのことではないか。
討論会は絶対にやらなければならないものではない。法的な縛りがあるわけではないのだ。
辞退したからといって、何かペナルティがあるわけではない。
元の1人に立ち返って、1人の選挙活動を続行すればいいのだ。
「公平」の意味は広辞苑によると「かたよらず、えこひいきのないこと」だ。
3人で納得いくまで協議して「かたよらず、えこひいきのない」ルールを作ればいいのでないだろうか?
それともなんだ、3人で協議すると「かたよって、えこひいきのある」ルールができてしまうのだろうか。
当事者同士で協議して、3人の間で公平でないルールができあがってしまう、って一体どういう状況なんだ?
私が想像するのは、
1)討論会を必ず開催する義務があってそこから抜けられない
2)3人の間でなんらかの力関係ができてしまう。力関係を強要される。
こんなところだろうか。
先にも書いたが、討論会はいつでも辞退できるのだから、不公平な立場になってしまうなら辞退すればよい。
そして、3人はそれぞれ議会や産廃問題でやりあってきた仲だ。3人の中で抜けられない力関係が生じ、それに従わなければならない状況になる、なんて考えられない。そんな状態になるなら誰かが辞退するだろう。
イヤならいつでも討論会を辞退できる自由が担保されていて、それでも討論会を開催したいと3人が願うのなら、そこには様々な取引や妥協が生まれるだろうけど、3人にとって納得のできるルールが出来上がるはずだと思うのだ。
その取引や妥協は生々しいものかもしれないけれど、そういう本音で協議することは3人にとって互いの腹の内を探る良い機会にもなるのではないか。
第3者委員会を作るより、直接3人で話し合ったほうがよっぽど「公平・中立」を期待できるのではないかと思うのだ。
こうやって書いてきて気が付いたのだが、「公平・中立」というのは候補者3人にとっての「公平・中立」だと感じる。
例えば3人で直接協議をし討論会のルールが作られたとすると、そのルールは3人にとって「公平・中立」なルールといえるだろう。
で、これは例えばの話。
ルールの中で「討論会のビデオ録画はする」「しかしビデオは公開しない」という項目があったらどうだろうか?
候補者3人が納得していても、こ れ は 市民・有権者が黙っていないだろう(笑。
つまり討論会のルールには有権者に対しての「公正さ」が望まれる。
この「公正さ」の担保のために第3者委員会は必要なのだ、と候補者3人のうちの誰かが言及しているだろうか?
長くなったので続く。
2017年07月27日 Posted by けま at 09:59 │Comments(0) │市長選挙
公開政策討論会、新聞に載りました
公開政策討論会の記者会見が19日に行われ、昨日7月20日の各新聞に載った。
見得を切ってしまったわけで、これで開催しない(できない)となったらちょいとカッコがつかない。
山本拓哉氏もブログで参加への前向きな意思を表明し、これで役者がそろったというのに。
記事ではメンバー全員が同意できる個人または団体の政策討論会実施委員会(仮称)を設置するとのこと。
これは伝え聞いたものだが、穂積氏と白井氏はすでに各3名のメンバーを選出済みとのことだ。
あとは山本氏からのメンバーが選出されれば委員会のカタチは成立する。
早速話し合いに入り、早く公開討論会を開催して欲しいものだ。
と、すんなりいけばいいのだけど、記事でもあるように『メンバー全員が同意できる個人または団体』てのが不安を煽る。
つまり候補者の誰かが「アンタの選んだメンバーが気に入らない」とか言い出さないか、かなり心配だ。
実際そうなると、メンバーの選び直しでしょ? で、大体一週間ぐらい延びるじゃないですか。
そんなことを2、3回やってみなさいな。あっという間に8月も終わり。もう9月議会が始まっちまいますよ。
議会は議会できっちりやってほしいから、公開討論会はちょいとお預けとかなりかねないでしょ。
そうするとマジで開催が危ぶまれる。ちょいとカッコがつかないどころか、大恥かくことにならないか。
そそ、そこですわ。 一体誰が大恥かくのか。
そりゃ、「公開討論会やりましょう!」って言った人じゃないんすか?
と、妄想を働かせていたワタシの頭脳にビビッと閃いたのがひとつ前の自分のブログ。
引用すると、
↓
7月4日 市長と5分間の面談。市長から公開討論会の提案。白井氏これを受ける。
・穂積回答1を受け取るがその場で見ず、帰宅後見る。
・秘書人事課から「記者への連絡をしたいが、回答書と公開質問状を一緒に送るがいいか?」との問い合わせがある(どういう意味だ?)
7月4日 穂積回答1 「政策討論の様々な手法を提案」
7月4日 白井公質2 「提案は歓迎。質問へ回答してほしい」
7月6日 穂積回答2 「政策公開の様々な場とルールを作ることを提案(文書上では公開討論会を提案していない)」
7月6日 白井公質3 「全ては公開討論会の場でということのようですので・・・」
→ これは7月4日の面談での発言を受けての事だろう
7月7日 穂積回答3 「白井公開質問状3の冒頭「全ては公開討論会の場ということのようですので・・了解」と書いてある」→ 公開討論は白井氏からの提案だ、という認識。
ちょっと読みにくい思うが私的メモなのでご容赦。
つまり、白井氏の認識では「公開討論会の提案は、7月4日に穂積氏から口頭であった。」
しかし穂積氏のブログや回答書から読み取れるのは「公開討論会は、白井氏からの公開質問状3で提案されたものとして了解。」
両者とも「あちらが公開討論会を提案してきた」と認識しているように読み取れる。
穂積氏が公開討論会を提案したことは間違いないわけだが(白井氏が直接聞いているわけだし)、文書上では穂積氏は「白井氏が記したから」と自分が提案したのではないというニュアンスを出しているのはなぜだろうか。
とまた別の疑問が湧いてきたのだが、今回はひとまず置いておく。
以上。
新聞記事でも公開討論会の提案は穂積氏になっているし、白井氏も自身のブログで穂積氏から提案があったと記している。
私のブログにも「公開討論会は穂積氏の提案」と名無しさんはコメントしてくれていた。
ここまで周囲が証言しているのに、穂積氏の回答書No3では「白井氏が公開討論会を提案してきたので了解した」と書いてある。
それはなぜか。
つまり公開討論会が開催されなかったら、
△△氏は「いや~、○○さんご提案の討論会なのに開催できませんでしたなぁ、あっはっは。(○○さん恥かきましたな~w)」
という感じの、相手を貶める雰囲気を作ろうってんじゃないのかっ(笑)!
とかいう政治宣伝は公開討論会の意義を貶めるモノらしいから、候補者のみなさんはメンバーに文句言わないで、早急に政策討論会実施委員会(仮称)が動き出せるように協力してほしい。
見得を切ってしまったわけで、これで開催しない(できない)となったらちょいとカッコがつかない。
山本拓哉氏もブログで参加への前向きな意思を表明し、これで役者がそろったというのに。
記事ではメンバー全員が同意できる個人または団体の政策討論会実施委員会(仮称)を設置するとのこと。
これは伝え聞いたものだが、穂積氏と白井氏はすでに各3名のメンバーを選出済みとのことだ。
あとは山本氏からのメンバーが選出されれば委員会のカタチは成立する。
早速話し合いに入り、早く公開討論会を開催して欲しいものだ。
と、すんなりいけばいいのだけど、記事でもあるように『メンバー全員が同意できる個人または団体』てのが不安を煽る。
つまり候補者の誰かが「アンタの選んだメンバーが気に入らない」とか言い出さないか、かなり心配だ。
実際そうなると、メンバーの選び直しでしょ? で、大体一週間ぐらい延びるじゃないですか。
そんなことを2、3回やってみなさいな。あっという間に8月も終わり。もう9月議会が始まっちまいますよ。
議会は議会できっちりやってほしいから、公開討論会はちょいとお預けとかなりかねないでしょ。
そうするとマジで開催が危ぶまれる。ちょいとカッコがつかないどころか、大恥かくことにならないか。
そそ、そこですわ。 一体誰が大恥かくのか。
そりゃ、「公開討論会やりましょう!」って言った人じゃないんすか?
と、妄想を働かせていたワタシの頭脳にビビッと閃いたのがひとつ前の自分のブログ。
引用すると、
↓
7月4日 市長と5分間の面談。市長から公開討論会の提案。白井氏これを受ける。
・穂積回答1を受け取るがその場で見ず、帰宅後見る。
・秘書人事課から「記者への連絡をしたいが、回答書と公開質問状を一緒に送るがいいか?」との問い合わせがある(どういう意味だ?)
7月4日 穂積回答1 「政策討論の様々な手法を提案」
7月4日 白井公質2 「提案は歓迎。質問へ回答してほしい」
7月6日 穂積回答2 「政策公開の様々な場とルールを作ることを提案(文書上では公開討論会を提案していない)」
7月6日 白井公質3 「全ては公開討論会の場でということのようですので・・・」
→ これは7月4日の面談での発言を受けての事だろう
7月7日 穂積回答3 「白井公開質問状3の冒頭「全ては公開討論会の場ということのようですので・・了解」と書いてある」→ 公開討論は白井氏からの提案だ、という認識。
ちょっと読みにくい思うが私的メモなのでご容赦。
つまり、白井氏の認識では「公開討論会の提案は、7月4日に穂積氏から口頭であった。」
しかし穂積氏のブログや回答書から読み取れるのは「公開討論会は、白井氏からの公開質問状3で提案されたものとして了解。」
両者とも「あちらが公開討論会を提案してきた」と認識しているように読み取れる。
穂積氏が公開討論会を提案したことは間違いないわけだが(白井氏が直接聞いているわけだし)、文書上では穂積氏は「白井氏が記したから」と自分が提案したのではないというニュアンスを出しているのはなぜだろうか。
とまた別の疑問が湧いてきたのだが、今回はひとまず置いておく。
以上。
新聞記事でも公開討論会の提案は穂積氏になっているし、白井氏も自身のブログで穂積氏から提案があったと記している。
私のブログにも「公開討論会は穂積氏の提案」と名無しさんはコメントしてくれていた。
ここまで周囲が証言しているのに、穂積氏の回答書No3では「白井氏が公開討論会を提案してきたので了解した」と書いてある。
それはなぜか。
つまり公開討論会が開催されなかったら、
△△氏は「いや~、○○さんご提案の討論会なのに開催できませんでしたなぁ、あっはっは。(○○さん恥かきましたな~w)」
という感じの、相手を貶める雰囲気を作ろうってんじゃないのかっ(笑)!
とかいう政治宣伝は公開討論会の意義を貶めるモノらしいから、候補者のみなさんはメンバーに文句言わないで、早急に政策討論会実施委員会(仮称)が動き出せるように協力してほしい。
2017年07月21日 Posted by けま at 00:45 │Comments(0) │市長選挙
公開討論会に至る経緯、どっかにまとまってない?
こちら、新城市の自治基本条例やまちづくり集会などに積極的に係わりアドバイスしてくれている松下啓一教授のブログ。
→「松下啓一 自治・政策・まちづくり」
今回の穂積氏、白井氏による公開政策討論会開催に向けての流れを随時まとめてくれていて、非常にわかりやすい。
松下教授のコメントも一々ごもっともなモノで、このように開催の要項が決まって早期の開催が為されれば良いなぁと思う。
この先もまとめてくれそうなので要チェックだw
前回の私のブログでコメントしてくれた方が「穂積氏は4年前にも山本氏に対して同じような提案をしていたことを云々」と教えてくれていたが、そんなことがあったことは私も知っていた。
この時は確か穂積氏からの提案に山本氏が拒否を示したと記憶していて、なぜ拒否をするのだろう?と山本氏の態度に疑問を感じていたことを憶えている。
松下教授のこの時点での最新の記事(「☆熟議の市長選挙⑫ 穂積市長はなぜ提案したのか(2)(三浦半島))
ではその時の経過をまとめてくれている。こういうのも非常にありがたい。
当時、穂積氏は第3者に作成によるウェブサイト上での対話形式を提案したのだそうだ。
これは知らなかった。
と、これを読ませてもらっていると、ひねくれ者の私には沸々と疑問が湧いてくる。
前回の記事で私は勘違いしていて、先ほどの名無しのコメントさんから指摘を受けて気付いたことなのだが、今回の公開討論会の提案は白井氏からではなく穂積氏からの提案だった。
しかしこの公開討論会の提案もいきなり穂積氏から出されたものではなく、公開討論会に至る一番最初の出来事は、白井氏からの穂積氏と山本氏に出された公開質問状がその発端であった。
このことを強調しておかなくては、と思うのだ。
公開質問に対して回答することは、つまり“公開”されるのだ。
穂積氏が当初素直に回答していたら、多分白井氏のブログの上で公開されていただろうと思われる。
これ、つまり前回の市長選挙で穂積氏の提案していた『ウェブサイト上での対話形式』ではないだろうか。
もちろんこのまま白井氏のブログでの公開は問題が多いだろうと考えられる。
当時の穂積氏の提案「第3者に作成によるウェブサイト」での公開が、公平性や公正さを保つ上で望ましいと思う。
というような問題はあるにしても、ウェブ上での対話形式はむしろ穂積氏が前回選挙で提案していて、図らずも白井氏が今回同じような発想をしてくれたのだ。
だ っ た ら 、白井氏の提案にそのまま乗っかればいいんじゃないかと思うのだ。
「いいですね、私も前回の選挙で同じような提案を山本氏に下のですが・・・云々」みたいにコメントしながら、もちろん「第3者作成のウェブサイトで」などの条件を提案して。
白井氏の「公開質問に回答するという形式」を尊重して、細かな条件を詰めていく形をとっていけばよかったんじゃないかと思うのだ。
なぜ今回「公開討論会で」などと逆提案をしたのか。
ひねくれ者の私には、こういうところが穂積氏のイヤらしいところに思えてならない。
市民自治条例にしても若者議会にしても、この人は『自分が発案したんですよっ!』的な名誉を欲しがるように見えるのだ。
今回の公開討論会に決まった経緯も・・・・
この「・・・・」の後の文を書く前に、その前段の経緯を両氏のブログで追ってみたのだが、「公開討論会提案」のニュアンスが双方で少し異なっている感じもあるのだけれども・・・。
7月4日 市長と5分間の面談。市長から公開討論会の提案。白井氏これを受ける。
・穂積回答1を受け取るがその場で見ず、帰宅後見る。
・秘書人事課から「記者への連絡をしたいが、回答書と公開質問状を一緒に送るがいいか?」との問い合わせがある(どういう意味だ?)
7月4日 穂積回答1 「政策討論の様々な手法を提案」
7月4日 白井公質2 「提案は歓迎。質問へ回答してほしい」
7月6日 穂積回答2 「政策公開の様々な場とルールを作ることを提案(文書上では公開討論会を提案していない)」
7月6日 白井公質3 「全ては公開討論会の場でということのようですので・・・」
→ これは7月4日の面談での発言を受けての事だろう
7月7日 穂積回答3 「白井公開質問状3の冒頭「全ては公開討論会の場ということのようですので・・了解」と書いてある」→ 公開討論は白井氏からの提案だ、という認識。
ちょっと読みにくい思うが私的メモなのでご容赦。
つまり、白井氏の認識では「公開討論会の提案は、7月4日に穂積氏から口頭であった。」
しかし穂積氏のブログや回答書から読み取れるのは「公開討論会は、白井氏からの公開質問状3で提案されたものとして了解。」
両者とも「あちらが公開討論会を提案してきた」と認識しているように読み取れる。
穂積氏が公開討論会を提案したことは間違いないわけだが(白井氏が直接聞いているわけだし)、文書上では穂積氏は「白井氏が記したから」と自分が提案したのではないというニュアンスを出しているのはなぜだろうか。
とまた別の疑問が湧いてきたのだが、今回はひとまず置いておく。
続き。
この公開討論会が決まった経緯のなかでも、7月4日に白井氏へ秘書人事課から「記者への連絡をしたいが、回答書と公開質問状を一緒に送るがいいか?」との問い合わせがあった、と白井氏のブログでもあるように早く表に出したい気持ちが窺える。
公開討論会は選挙への立候補予定者、つまり個人的なあるいは私的なものであるのに、行政(秘書人事課)が口出ししてくるにはなぜだろうか?
現職市長が何か言わなきゃ秘書人事課も動きはしないだろうに。秘書人事課が「現職市長は次の選挙では立候補するみたいだから」と忖度でもしたのか。
この辺りは現職市長も自重しないといけないと思うのだが、余程マスコミにウケたいのか。
白井氏の公開質問状から始まった今回の公開討論会開催の件。
前回選挙での穂積氏の提案と白井氏の取ろうとした手法は似ている。公開討論会を提案するのは結構だが、その前に白井氏の公開質問状形式に少しは敬意を示したらどうかと思うのだ。
穂積氏のブログを読んでいると「有権者のため」を旗印に、白井氏への回答には一切答えず終始自分の考えに従わせるような書きっぷりに「オレ(穂積氏)が公開討論会をリードしてるんだぜ」みたいなイヤらしさを感じてならない。
とはいえお二人のやり取りは実に結構なもの。「有権者のために」というご主張もごもっとも。
公開討論会が有権者にとって有益なものになればそれでイイです、ハイ。
→「松下啓一 自治・政策・まちづくり」
今回の穂積氏、白井氏による公開政策討論会開催に向けての流れを随時まとめてくれていて、非常にわかりやすい。
松下教授のコメントも一々ごもっともなモノで、このように開催の要項が決まって早期の開催が為されれば良いなぁと思う。
この先もまとめてくれそうなので要チェックだw
前回の私のブログでコメントしてくれた方が「穂積氏は4年前にも山本氏に対して同じような提案をしていたことを云々」と教えてくれていたが、そんなことがあったことは私も知っていた。
この時は確か穂積氏からの提案に山本氏が拒否を示したと記憶していて、なぜ拒否をするのだろう?と山本氏の態度に疑問を感じていたことを憶えている。
松下教授のこの時点での最新の記事(「☆熟議の市長選挙⑫ 穂積市長はなぜ提案したのか(2)(三浦半島))
ではその時の経過をまとめてくれている。こういうのも非常にありがたい。
当時、穂積氏は第3者に作成によるウェブサイト上での対話形式を提案したのだそうだ。
これは知らなかった。
と、これを読ませてもらっていると、ひねくれ者の私には沸々と疑問が湧いてくる。
前回の記事で私は勘違いしていて、先ほどの名無しのコメントさんから指摘を受けて気付いたことなのだが、今回の公開討論会の提案は白井氏からではなく穂積氏からの提案だった。
しかしこの公開討論会の提案もいきなり穂積氏から出されたものではなく、公開討論会に至る一番最初の出来事は、白井氏からの穂積氏と山本氏に出された公開質問状がその発端であった。
このことを強調しておかなくては、と思うのだ。
公開質問に対して回答することは、つまり“公開”されるのだ。
穂積氏が当初素直に回答していたら、多分白井氏のブログの上で公開されていただろうと思われる。
これ、つまり前回の市長選挙で穂積氏の提案していた『ウェブサイト上での対話形式』ではないだろうか。
もちろんこのまま白井氏のブログでの公開は問題が多いだろうと考えられる。
当時の穂積氏の提案「第3者に作成によるウェブサイト」での公開が、公平性や公正さを保つ上で望ましいと思う。
というような問題はあるにしても、ウェブ上での対話形式はむしろ穂積氏が前回選挙で提案していて、図らずも白井氏が今回同じような発想をしてくれたのだ。
だ っ た ら 、白井氏の提案にそのまま乗っかればいいんじゃないかと思うのだ。
「いいですね、私も前回の選挙で同じような提案を山本氏に下のですが・・・云々」みたいにコメントしながら、もちろん「第3者作成のウェブサイトで」などの条件を提案して。
白井氏の「公開質問に回答するという形式」を尊重して、細かな条件を詰めていく形をとっていけばよかったんじゃないかと思うのだ。
なぜ今回「公開討論会で」などと逆提案をしたのか。
ひねくれ者の私には、こういうところが穂積氏のイヤらしいところに思えてならない。
市民自治条例にしても若者議会にしても、この人は『自分が発案したんですよっ!』的な名誉を欲しがるように見えるのだ。
今回の公開討論会に決まった経緯も・・・・
この「・・・・」の後の文を書く前に、その前段の経緯を両氏のブログで追ってみたのだが、「公開討論会提案」のニュアンスが双方で少し異なっている感じもあるのだけれども・・・。
7月4日 市長と5分間の面談。市長から公開討論会の提案。白井氏これを受ける。
・穂積回答1を受け取るがその場で見ず、帰宅後見る。
・秘書人事課から「記者への連絡をしたいが、回答書と公開質問状を一緒に送るがいいか?」との問い合わせがある(どういう意味だ?)
7月4日 穂積回答1 「政策討論の様々な手法を提案」
7月4日 白井公質2 「提案は歓迎。質問へ回答してほしい」
7月6日 穂積回答2 「政策公開の様々な場とルールを作ることを提案(文書上では公開討論会を提案していない)」
7月6日 白井公質3 「全ては公開討論会の場でということのようですので・・・」
→ これは7月4日の面談での発言を受けての事だろう
7月7日 穂積回答3 「白井公開質問状3の冒頭「全ては公開討論会の場ということのようですので・・了解」と書いてある」→ 公開討論は白井氏からの提案だ、という認識。
ちょっと読みにくい思うが私的メモなのでご容赦。
つまり、白井氏の認識では「公開討論会の提案は、7月4日に穂積氏から口頭であった。」
しかし穂積氏のブログや回答書から読み取れるのは「公開討論会は、白井氏からの公開質問状3で提案されたものとして了解。」
両者とも「あちらが公開討論会を提案してきた」と認識しているように読み取れる。
穂積氏が公開討論会を提案したことは間違いないわけだが(白井氏が直接聞いているわけだし)、文書上では穂積氏は「白井氏が記したから」と自分が提案したのではないというニュアンスを出しているのはなぜだろうか。
とまた別の疑問が湧いてきたのだが、今回はひとまず置いておく。
続き。
この公開討論会が決まった経緯のなかでも、7月4日に白井氏へ秘書人事課から「記者への連絡をしたいが、回答書と公開質問状を一緒に送るがいいか?」との問い合わせがあった、と白井氏のブログでもあるように早く表に出したい気持ちが窺える。
公開討論会は選挙への立候補予定者、つまり個人的なあるいは私的なものであるのに、行政(秘書人事課)が口出ししてくるにはなぜだろうか?
現職市長が何か言わなきゃ秘書人事課も動きはしないだろうに。秘書人事課が「現職市長は次の選挙では立候補するみたいだから」と忖度でもしたのか。
この辺りは現職市長も自重しないといけないと思うのだが、余程マスコミにウケたいのか。
白井氏の公開質問状から始まった今回の公開討論会開催の件。
前回選挙での穂積氏の提案と白井氏の取ろうとした手法は似ている。公開討論会を提案するのは結構だが、その前に白井氏の公開質問状形式に少しは敬意を示したらどうかと思うのだ。
穂積氏のブログを読んでいると「有権者のため」を旗印に、白井氏への回答には一切答えず終始自分の考えに従わせるような書きっぷりに「オレ(穂積氏)が公開討論会をリードしてるんだぜ」みたいなイヤらしさを感じてならない。
とはいえお二人のやり取りは実に結構なもの。「有権者のために」というご主張もごもっとも。
公開討論会が有権者にとって有益なものになればそれでイイです、ハイ。
2017年07月15日 Posted by けま at 05:13 │Comments(0) │市長選挙
新城市でも選挙ありますよ 2
前々回と前前々回の2回の選挙では、現職穂積市長に対して2人が対抗馬として戦っている。
この現職1人に対して2人の対抗馬という構図だと、対抗場の2人を合わせた票数は2回とも現職を上回っている。
この2回から考えられるのは、現職に対する反対票は潜在的にはかなり多いということではないだろうか?
だから、対抗馬を一本に絞った方が現職に勝てる可能性は高くなると思うのだが。
ところがそうは簡単に結論付けられないのが前回の選挙結果だ。
前回の選挙では、現職に対して山本拓哉氏が1人で対抗した。
わずか911票差で山本氏が敗れている。
この911票差。
1人で対抗したからこそ、この票差まで迫ることができた、と考えるのか。
1人で対抗しても、この票差を埋めることができなかった、と考えるのか。
この時の選挙は争点が割と明確で、新庁舎建設計画に対する是非が問われた戦いだった。
山本氏は豪華新庁舎建設反対の立場で負けたわけだが、この後に行われた住民投票では反対側が勝ってるわけで、この選挙で山本氏が勝てなかった911票差は本当に惜しい、悔しいものであっただろう。
この負けた原因を「私の力不足で云々」という決まり文句的な反省で終わらせていては、多分次も負けるだろう。
潜在的に多くいると思われる反現職票をどうやって掘り起こしたらよいのか。どうやって味方につけるのか。
そのために必要なことはなんだろうか?
私はここで白井氏と山本氏が大同団結できないかと思っているのだけれども・・・。
今は市長選挙の前哨戦にあたるわけだが、面白い動きが出てきている。
白井氏の提案で、候補者が一堂して公開政策討論会をやろう、と言っているのだ。
↑ (これ、私の間違いです。正しくは『穂積氏の提案』です。)
これに乗ったのは現職穂積市長で、当人同士のブログでその様子を見ることができる。
白井倫啓氏のブログ「新城市を変えるのはあなたですby市議会議員 白井倫啓」
穂積市長のブログ「山の舟歌・第3章(新城市長ブログ)」
やはり最後は政策の是非になるのだろうか。
私もこれは選挙の本筋だと思うし、白井氏、現職市長もそう思っているようだ。
この前の911票差も、政策論議の差で負けたのかもしれない。
なのに、山本氏はこの公開詮索討論会には付き合わないらしい。これは一体どういう事か?
選挙と言えば毎度のこと、候補者名の連呼連呼連呼。あの選挙カーには辟易している人も多いだろう。選挙期間中は公職選挙法の縛りで結局あの連呼しかできないのだけれども、だからこそ選挙の王道にして本筋の政策討論は候補者にとっては自分の主張を存分に有権者に訴えることができる絶好の機会なのではないか。
その王道本筋を避ける動きは、マイナスイメージにならないかね?
山本氏、それでいいのか。
白井氏は選挙の王道本筋を目指す傾向が強くて、政策の是非で優位に立てば選挙でも票を獲ることができるとさえ考えているように見受けられる。
現職はこの政策討論会に前向きな姿勢を見せつつも、新しい提案として第3者委員会による討論会の場やルールの制定を求めてきた。
これなんか真っ当な提案に見えつつも、かなり怪しい動きだ。
新庁舎建設での住民投票では現職と白井氏は互いに反目しあう仲だった。そんな状況を経てきた新城市内に果たして両氏に対して本当に第3者であり得る中立な立場の人間はいるのだろうか?
誰を選んでも両者からクレームがついて、いつまでたっても第3者が決まらず結局公開討論会はお流れ、みたいな結果がうっすら見えてくる。
これこそが現職の狙いではないか。・・・と勘ぐってしまう。
というように現職は強かだ。きっと選挙の王道本筋を目指す姿勢を見せつつ、組織票固めに東奔西走しているに違いない。
選挙を数字から見て分析するという選挙の本筋ではないデータからも、選挙に勝つための道筋を探すというような強かさを、白井氏、山本氏にも考えてほしいと思う。
・・・結局前回の終わりに“つづく”とか書いておきながら、数字からは大した見方は見つけられなかったなぁ。反省。
訂正
お名前がわからないのですが、この記事へのコメントしてくれた方が「公開政策討論会を申し出たのが穂積氏。」とご指摘くださいました。
2017年07月04日の白井氏のブログ「穂積市長から回答です」に、確かにそのように書かれていました。
私の間違いでした。戒めを込めて本文ではそのままにしておき、本文下側に色を付けて但し書きをしておきます。
ご指摘ありがとうございます。
この現職1人に対して2人の対抗馬という構図だと、対抗場の2人を合わせた票数は2回とも現職を上回っている。
この2回から考えられるのは、現職に対する反対票は潜在的にはかなり多いということではないだろうか?
だから、対抗馬を一本に絞った方が現職に勝てる可能性は高くなると思うのだが。
ところがそうは簡単に結論付けられないのが前回の選挙結果だ。
前回の選挙では、現職に対して山本拓哉氏が1人で対抗した。
わずか911票差で山本氏が敗れている。
この911票差。
1人で対抗したからこそ、この票差まで迫ることができた、と考えるのか。
1人で対抗しても、この票差を埋めることができなかった、と考えるのか。
この時の選挙は争点が割と明確で、新庁舎建設計画に対する是非が問われた戦いだった。
山本氏は豪華新庁舎建設反対の立場で負けたわけだが、この後に行われた住民投票では反対側が勝ってるわけで、この選挙で山本氏が勝てなかった911票差は本当に惜しい、悔しいものであっただろう。
この負けた原因を「私の力不足で云々」という決まり文句的な反省で終わらせていては、多分次も負けるだろう。
潜在的に多くいると思われる反現職票をどうやって掘り起こしたらよいのか。どうやって味方につけるのか。
そのために必要なことはなんだろうか?
私はここで白井氏と山本氏が大同団結できないかと思っているのだけれども・・・。
今は市長選挙の前哨戦にあたるわけだが、面白い動きが出てきている。
白井氏の提案で、候補者が一堂して公開政策討論会をやろう、と言っているのだ。
↑ (これ、私の間違いです。正しくは『穂積氏の提案』です。)
これに乗ったのは現職穂積市長で、当人同士のブログでその様子を見ることができる。
白井倫啓氏のブログ「新城市を変えるのはあなたですby市議会議員 白井倫啓」
穂積市長のブログ「山の舟歌・第3章(新城市長ブログ)」
やはり最後は政策の是非になるのだろうか。
私もこれは選挙の本筋だと思うし、白井氏、現職市長もそう思っているようだ。
この前の911票差も、政策論議の差で負けたのかもしれない。
なのに、山本氏はこの公開詮索討論会には付き合わないらしい。これは一体どういう事か?
選挙と言えば毎度のこと、候補者名の連呼連呼連呼。あの選挙カーには辟易している人も多いだろう。選挙期間中は公職選挙法の縛りで結局あの連呼しかできないのだけれども、だからこそ選挙の王道にして本筋の政策討論は候補者にとっては自分の主張を存分に有権者に訴えることができる絶好の機会なのではないか。
その王道本筋を避ける動きは、マイナスイメージにならないかね?
山本氏、それでいいのか。
白井氏は選挙の王道本筋を目指す傾向が強くて、政策の是非で優位に立てば選挙でも票を獲ることができるとさえ考えているように見受けられる。
現職はこの政策討論会に前向きな姿勢を見せつつも、新しい提案として第3者委員会による討論会の場やルールの制定を求めてきた。
これなんか真っ当な提案に見えつつも、かなり怪しい動きだ。
新庁舎建設での住民投票では現職と白井氏は互いに反目しあう仲だった。そんな状況を経てきた新城市内に果たして両氏に対して本当に第3者であり得る中立な立場の人間はいるのだろうか?
誰を選んでも両者からクレームがついて、いつまでたっても第3者が決まらず結局公開討論会はお流れ、みたいな結果がうっすら見えてくる。
これこそが現職の狙いではないか。・・・と勘ぐってしまう。
というように現職は強かだ。きっと選挙の王道本筋を目指す姿勢を見せつつ、組織票固めに東奔西走しているに違いない。
選挙を数字から見て分析するという選挙の本筋ではないデータからも、選挙に勝つための道筋を探すというような強かさを、白井氏、山本氏にも考えてほしいと思う。
・・・結局前回の終わりに“つづく”とか書いておきながら、数字からは大した見方は見つけられなかったなぁ。反省。
訂正
お名前がわからないのですが、この記事へのコメントしてくれた方が「公開政策討論会を申し出たのが穂積氏。」とご指摘くださいました。
2017年07月04日の白井氏のブログ「穂積市長から回答です」に、確かにそのように書かれていました。
私の間違いでした。戒めを込めて本文ではそのままにしておき、本文下側に色を付けて但し書きをしておきます。
ご指摘ありがとうございます。
2017年07月09日 Posted by けま at 00:25 │Comments(2) │市長選挙
新城市でも選挙ありますよ
東京都都議会議員選挙がつい先日終わった。
選挙運動中や選挙結果については色々な意見が巷にあふれていてとても興味深い。
私たちの新城市でも10月に市長と市議会議員の選挙がある。
新城市長選挙及び新城市議会議員一般選挙の期日及びその告示日について
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,51214,166,690,html
市長選については、現職に山本拓哉氏、白井倫啓氏の3人が出馬を表明している。
平成21年に行われた市長選と同じ顔ぶれになり、今回はどうなるのか大変興味があるところだ。
このブログでも依然触れたが、選挙ジョッキー座間宮ガレイさんの選挙分析がすこぶる面白かった。
なので私も猿真似しようと思い、市の選挙管理員会に資料を請求してみた。
その前に。
過去の選挙データは市のHPの選挙管理委員会のカテゴリで手に入れることができる。
平成17年11月13日 新城市長選挙・新城市議会議員一般選挙
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,3332,166,691,html
平成21年11月1日 新城市長選挙・新城市議会議員一般選挙
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,14869,166,691,html
平成25年11月10日執行 新城市長選挙・新城市議会議員一般選挙
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,34344,166,691,html
以上のデータでわかるのは、
1 有権者数 と 投票者数 の男女別。
2 得票数 の各候補者別。
の2つ。
私が請求したのはさらに2つ。
1 旧新城市、鳳来町、作手村 の 有権者数 と 投票者数。
2 同じく各地区別の 各候補者の得票数。
特に2が分かれば、少なくとも現職がどの旧地区で多く得票しているかがわかる。
そこを新たに開拓するのか、そこは敢えて無視するのか、選挙戦略が見えてくるなぁ、などと妄想しながら選管からの返信を待った。
返信の結果、1のデータはもらえたが、2については、
『秘密選挙の保持のため、各投票区の票を混同をしてから開票をしているので、地域ごとの候補者
の得票数についてはお答えすることができません。』
ということで入手できなかった。
これは確かに納得のいく返事なのだが、では前回の県議選で山本拓哉氏が新城市地区では旧鳳来、作手より多く得票していた、とかいう話はどこから出てきたのだろうか?
などという疑問を持ちつつも、これらのデータで次の市長選を考えてみたいなぁ・・・と漠然と考えている。

で、これが自分用にまとめてみたもの。
私が表計算に全く慣れていなく、しかも自分にわかればいいや、と雑にまとめたので大変見にくいと思うが、もし皆さんの中で次回市長選を考えるときの何かの足しになればと思いアップしてみた。
新城市の人口減少傾向が有権者数の減少にも表れている。
同じように現職の得票数も減少しているのがわかる。有権者数自体が減っているのだから当然と言えば当然だ。
しかしどうだろう、この3回の結果から見て次回も1万4千票くらいの固定票持っていると考えてもいいのではないだろうか。
これは全得票数の半分弱。これだけの得票マシーンに果たして2人は勝てるのか。
ていうか 『 勝てない 』と見るのがフツーではないか。
勝つために考えられるのは
1・投票率アップ、浮動票をどれだけ取り込めるか。
2・現職対抗馬の一本化。
と思うがどうだろうか?
浮動票を当てにするのは難しいのではないか?
今回と同じケースの前々回の選挙の投票率は77.32%。残り22.68%、票数にして9512票。
投票率が100%あったとしての9512票だ。これを2人で分けて大体4700票ほどか。
この時の現職の投票数は15268。
さっきの4700を山本氏の投票数に加えると14347。白井氏は11776。全く及ばない。
だから投票率100%で、なおかつ浮動票を全て回収できても、多分現職の固定票には負ける可能性は高い。
この前々回の選挙。
多分皆さんご存知かと思うが、山本氏と白井氏の得票数を足すと16723で、現職15268に勝っているのだ。
興味深いのは前々前回の選挙。
この時も3氏が立候補していて、現職16904に対して対抗2氏の合計が17174で、現職に勝っているのだ。
すいません。ちょっと時間が無いけどもう少し書きたいので、続く。
選挙運動中や選挙結果については色々な意見が巷にあふれていてとても興味深い。
私たちの新城市でも10月に市長と市議会議員の選挙がある。
新城市長選挙及び新城市議会議員一般選挙の期日及びその告示日について
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,51214,166,690,html
市長選については、現職に山本拓哉氏、白井倫啓氏の3人が出馬を表明している。
平成21年に行われた市長選と同じ顔ぶれになり、今回はどうなるのか大変興味があるところだ。
このブログでも依然触れたが、選挙ジョッキー座間宮ガレイさんの選挙分析がすこぶる面白かった。
なので私も猿真似しようと思い、市の選挙管理員会に資料を請求してみた。
その前に。
過去の選挙データは市のHPの選挙管理委員会のカテゴリで手に入れることができる。
平成17年11月13日 新城市長選挙・新城市議会議員一般選挙
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,3332,166,691,html
平成21年11月1日 新城市長選挙・新城市議会議員一般選挙
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,14869,166,691,html
平成25年11月10日執行 新城市長選挙・新城市議会議員一般選挙
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,34344,166,691,html
以上のデータでわかるのは、
1 有権者数 と 投票者数 の男女別。
2 得票数 の各候補者別。
の2つ。
私が請求したのはさらに2つ。
1 旧新城市、鳳来町、作手村 の 有権者数 と 投票者数。
2 同じく各地区別の 各候補者の得票数。
特に2が分かれば、少なくとも現職がどの旧地区で多く得票しているかがわかる。
そこを新たに開拓するのか、そこは敢えて無視するのか、選挙戦略が見えてくるなぁ、などと妄想しながら選管からの返信を待った。
返信の結果、1のデータはもらえたが、2については、
『秘密選挙の保持のため、各投票区の票を混同をしてから開票をしているので、地域ごとの候補者
の得票数についてはお答えすることができません。』
ということで入手できなかった。
これは確かに納得のいく返事なのだが、では前回の県議選で山本拓哉氏が新城市地区では旧鳳来、作手より多く得票していた、とかいう話はどこから出てきたのだろうか?
などという疑問を持ちつつも、これらのデータで次の市長選を考えてみたいなぁ・・・と漠然と考えている。

で、これが自分用にまとめてみたもの。
私が表計算に全く慣れていなく、しかも自分にわかればいいや、と雑にまとめたので大変見にくいと思うが、もし皆さんの中で次回市長選を考えるときの何かの足しになればと思いアップしてみた。
新城市の人口減少傾向が有権者数の減少にも表れている。
同じように現職の得票数も減少しているのがわかる。有権者数自体が減っているのだから当然と言えば当然だ。
しかしどうだろう、この3回の結果から見て次回も1万4千票くらいの固定票持っていると考えてもいいのではないだろうか。
これは全得票数の半分弱。これだけの得票マシーンに果たして2人は勝てるのか。
ていうか 『 勝てない 』と見るのがフツーではないか。
勝つために考えられるのは
1・投票率アップ、浮動票をどれだけ取り込めるか。
2・現職対抗馬の一本化。
と思うがどうだろうか?
浮動票を当てにするのは難しいのではないか?
今回と同じケースの前々回の選挙の投票率は77.32%。残り22.68%、票数にして9512票。
投票率が100%あったとしての9512票だ。これを2人で分けて大体4700票ほどか。
この時の現職の投票数は15268。
さっきの4700を山本氏の投票数に加えると14347。白井氏は11776。全く及ばない。
だから投票率100%で、なおかつ浮動票を全て回収できても、多分現職の固定票には負ける可能性は高い。
この前々回の選挙。
多分皆さんご存知かと思うが、山本氏と白井氏の得票数を足すと16723で、現職15268に勝っているのだ。
興味深いのは前々前回の選挙。
この時も3氏が立候補していて、現職16904に対して対抗2氏の合計が17174で、現職に勝っているのだ。
すいません。ちょっと時間が無いけどもう少し書きたいので、続く。