母校「新城東高校」の統合

新城高校、新城東高校の統合問題も決着がついたようで、平成31年度に統合校が開校されて33年度には完全に統合されるようだ。

形態としては、全日制課程・総合学科(文理系3系列、専門系4系列)。
学校規模は、1学年6学級程度(文理系、専門系各3学級程度)
入試は、文理系と専門系を別枠で実施。
場所は、新城高校のある場所。

とこんな感じだそうだ。

で、このブログでもさんざん論った校名は「愛知県立新城有教館高等学校」と決まった。


この前のブログでも書いたけれども、学校の歴史とはそこで勉強する生徒の皆さんの行いの積み重ねだろう。
「有教」とは論語のなかの「子曰、有教無類」がその由来だそうだ。
意味は「人間は教育によって成るもので、家柄や身分による違いがあるものではない」
素晴らしい教えだ。
生徒さん達にはこれに相応しい学風を醸成すべく、勉学、運動に励んでほしいものだ。


以前のブログとは論調が違うとか言われそうだけれども、新城高校、新城東高校の統合問題、特に校名についてはそれに口出しできるオトナども、さらには新城東高校に関係するオトナどもに向けて口汚く述べてきたつもりだ。

「校名の決定」は現役の生徒さんたちやこれから入学してくる生徒さん達には全くタッチできない事柄だ。
統合においては生徒さんたちに不便を強いることなく、スムーズな移行を私は心から望んでいますよ。


高校統合の一番の理由は地域の少子化だろう。新城市の人口減少に歯止めがかからないことは何年も前からわかっている現象で、市の教育関係者たちにも周知の事実だったはずだ。
だから統合を阻止する、つまり普通科を存続させることに本気で取り組むなら、人口減少または少子化の阻止に本気で取り組まなければならなかったはずだ。
果たして、新城市の教育関係者はそういう取り組みを行ってきたのか?
人口減少は(新城市の)教育分野の扱う問題ではない、という態度だったんじゃないのか?
まぁそれはわからないでもないけれど。

少子化傾向という現実に口出しできないのなら、その現実の中で最善の高等教育環境を整えていくのが教育関係者の取るべき道だろう。
県の教育委員会はその現実策として高校統合を打ち出してきた。
で、新城市の教育委員会とかその周辺の人とか議会とかがそれに対して打ち出した策といえば、
 ・「普通科存続を希望」
 ・「統合なら名前は“新城有教館高校”」
この2つ。

どうだろうね、この体たらく。
結局、「普通科が無くなるなんていや~。」って言ってるだけだろう。
そして、「(どうせ統合なんでしょ)だったら名前は“有教館”にして。」って交換条件出しただけ。
しかもその“有教館”は“時習館”の猿マネ、というガキっぽい憧れからきているというね。
で、交換条件がすんなり通って、万々歳ってところかね、市の教育関係者は。

重ねて言っておきますが、生徒さん達には関係の無いことですよ。
校名決定の経緯に、新城東高校卒業の教育関係者の頭悪そうな対応が垣間見えるってことですわ。
私の目には。
もう母校とか、同窓会とか、そういうのは消滅しましたわ、ワタシ的には。  

2016年10月18日 Posted by けま at 05:31Comments(3)新城市高校統合

県立高校統合の跡地利用

最近の動きで気になったのはこれ。

https://www.facebook.com/sincityhall/posts/1074042419316471

『「新城希望都市を目指す若者の会」(共同代表、今泉・伊藤)が穂積市長に、統合後の跡地利活用について、新城市の将来にかかわる問題であり、予想外の新たな状況が生まれたのだから、これをチャンスに変え、これまでのいきさつを白紙に戻して、庁舎移転を含めて市民の負担が必要最小限になるように、聖域なき検討をしていただきたいと市民提案をした』

発想としてはよく理解できる。
代表者の方もご自身のfacebookで同じようなケースの紹介もされていて、新城でもできるんじゃないか?とも思う。
(こちら→https://www.facebook.com/yoshitaka.imaizumi.37/posts/832486816887870?pnref=story

今現在、新庁舎建設で最優先したいことは、

 1・なるべく早く完成したい 2・大地震にも耐えられる構造である

であると個人的に思っている。

万が一、大地震が発生してしまったら、その後の私たち市民の生活の立て直しは市職員のみなさんの頑張りに頼る他ない。
その職員さんたちを守る頑丈なハコを、早急に完成させてほしい。
職員さんの命を守ることは、私たち市民の命を守ることと同義と考えていいと思う。


もちろん、だからと言って無駄にデカく、無駄に高価な建物を作っていいものでもない。
この間の住民投票ではこの視点で、不完全ではあるが庁舎の大きさ、建設費の見直しをさせることに一応の成功を収めた。
しかし、「新庁舎見直しに関する実務協議」での市側の不誠実な対応は自分にとって忘れがたい。
この先は『特に建設費に関するお金の動きに十分目を光らせて、新庁舎建設を見守っていきたい』と、個人的にはそう考えている。


というわけで、この「跡地利用」の話、今現在の新庁舎建設に対する私の見方からすると、「庁舎完成が遅れてしまわないか?」という懸念が一番大きい。

「新城希望都市を目指す若者の会」さんは早速請願に向けた署名活動を始めているとのことだが、同時に私のような疑問をもつ市民もいるだろうから、できるだけの説明をしてほしいと思う。
署名活動中に説明はするだろうけど、できたらネット上でも見解を示してもらえればありがたいなぁ。  

2016年08月19日 Posted by けま at 11:30Comments(0)新城市高校統合

新しい校名は? 2

前回から続いてこの校名に関する記事は、全てロクに調べもしないで勝手な私の妄想で書いていることをご了承くださいよ(笑


さて、時習館高校や成章高校の校名には地名がついていない。
例えば「豊橋時習館高校」とか「吉田時習館高校」、「田原成章高校」とか。
で、新城高校・新城東高校の統合新校名候補は「新城有教館」だ。
なんでこちらの新校名には地名の「新城」がついているのだろう?

今回の統合の件、在校生にしても卒業生にしても母校の校名がどういう扱いになるのか、気になっている人も多いだろう。
できるなら母校の校名は残ってほしい。卒業後に母校名が消えている、なんてのは悲しい。

一番無難なのは両校名をくっつけることだ。


「新城」高校 + 「新城東」高校 か。
どっちも「新城」がつくもんで、新校名にゃ「新城」を残せばどちらの関係者にもとりあえず納得してもらえるかのん。
(あいかわらずヘタな三河弁でスマン)


というところだろう。
つまり「新城有教館」の「新城」は地名というより、「新城高校」と「新城東高校」の両校名を慮ったモノ、といえるだろう。


ということは 「新城有教館」 = 「新城」 + 「有教館」 という構造になるワケだが、
じゃあ「有教館」部分は新城高校、新城東高校の両校関係者ともに納得している部分なのかね?

前回「有教館」は東三河の進学校の雄「時習館」に憧れた末の名前、と書いた。
すなわち、「進学校目線」の名前なのだ。
そして「進学校」とは同時に「普通科」と言ってもよい。

差別的な書き方になることが心苦しいが、いわゆる「進学校」といえば同時に「普通科」を指していることは明らかな事実だ。
学習塾の宣伝文句を見ればわかる。
地域の有名高校に○○名合格!と書かれたポスターの『有名高校』に実業科高校の名前は無い。実業科高校卒業生の大学進学者はかなり数が少ないから、「ウチに入れば有名高校から大学進学への道が確実ですよ!」を謳いたい学習塾には眼中に無いのだ。
それくらい「進学校」=「普通科」が当たり前になっている。
それは新城東高校関係者にとっても当たり前になっているのではあるまいか。

つまり「有教館」という名前は、「進学校目線」→「普通科目線」→「新城東高校関係者目線」のネーミングセンスなのだ。
さらに妄想をたくましくする(笑。
「新城東高校関係者目線」からすれば、「新城有教館」の「新城」部分は「新城高校」で、「有教館」部分は「新城東高校」とさえ思っているのではあるまいか。
なんというウエメセだ!ww


両校に関係する「新城」のみを校名にすればいいじゃないか。

「新城高校」。

その歴史をちょいと調べてみると、

1910年 - 新城実科高等女学校(後の愛知県立新城高等女学校)創立。
1918年 - 愛知県立農蚕学校(後の愛知県立新城農蚕学校)創立。
1948年10月 - 愛知県立新城高等学校、愛知県立新城農蚕高等学校、愛知県立鳳来寺高等学校を統合し、愛知県立新城高等学校(普通科、家政科、農業科、商業科)が発足。旧新城農蚕高校校地の本校と鳳来寺分校を置く。
1972年 - 普通科を分離独立して、愛知県立新城東高等学校を創設。普通科2,3年生は新城東高校へ転籍。
(ウィキペディアより)

新城東高校も元々は新城高校だったのだ。
また元に戻るのだから校名も「新城高校」に戻ればいいのだ。

そして新城高校の成立は「愛知県立新城高等女学校」と「愛知県立新城農蚕学校」の統合からだ。
古いことはわからないけれども、男女平等の意識に乏しかったと思われる1910年=明治43年に「女子」の「高等教育」を目指した学校が新城にできたことは誇りとしてよいと思う。
「農蚕学校」は地域産業の担い手を養成する目的だろう。

地域産業の育成と女子の高等教育を目指した学校が新城高校の前身なのだ。
これは東三河に十分誇ることのできる立派な歴史だ。

それに対して、藩校は藩士(武士)という当時の特権階級への教育を目指したものだ。
「有教館」とはそういう意味も含んでしまうのだ。

それならば「新城高校」の方が、武士なんかではない田舎者の我らによっぽど相応しい。
むしろ成立の経緯を鑑みれば、いち早く女子への高等教育を目指した先進性や地元産業の育成を目指した地元への愛着が垣間見える「新城高校」を私は誇りに感ずるよ。


まー、そういうわけだで「新城高校」でええじゃないかのん。
(私は新城東高校卒業生だでのん)


ちなみに愛知県立鳳来寺高等学校の前身も
・1935年(昭和10年) - 鳳来寺立鳳来寺女子高等学園(ウィキペディアより)
だそうで、新城奥三河地域は女子の教育に力を入れてたのかね?
こういう歴史、大事にしていこうよ。  

2016年06月21日 Posted by けま at 03:47Comments(8)新城市高校統合

新しい校名は?

https://www.facebook.com/tomonaga.osada/posts/581578888680446?pnref=story

新城市にある2つの高校が統合されるとのニュース。
統合後の校名は「新城有教館高校」が候補にあがっているらしい。

さてこの「有教館」。新城藩に嘗てあった藩校の名前とのことだ。
豊橋にある時習館高校の「時習館」も豊橋は吉田藩の藩校名だそうで、どちらも藩校名つながりだ。
ちなみに田原市にある「成章高校」。こちらも渡辺崋山で有名な田原藩の藩校「成章館」がその由来だ。

「有教館」と「時習館」、実に似ている。
この校名を提案した人、絶対に「時習館高校」を意識したに違いない。
成章高校みたいに「有教高校」でもよかったはずだ。「時習」や「成章」そして「有教」、どれも論語の中の言葉だ。その言葉の意味をその学校での教育に敷衍させるのなら「館」まで含める必要はない。
しかし有教「館」である。 絶  対  に  「時習館」を意識しているに決まってる。

東三河の人間にとって「時習館高校」の校名には特別な響きがある。
何と言っても地元では超有名な進学校。新城から時習館高校に通学することは、ひとつのステイタスだ。
古い人間なんで今の入試制度に疎いのを承知で言うが、豊橋Ⅰ群を受験して見事合格したはイイが「時習館」に振り分けられるか「豊橋南」に振り分けられるかで周囲の見方はずいぶん違ったモノだ。

新城の教育関係の人たちには「時習館」という名前には、憧れや羨望する気持ちが潜在していたのだろう。
そこへ降って湧いた「高校統合」の話だ。新しい校名を付けることができるチャンスが巡ってきたのだ。


ちょっと調べてみたがノン、新城には昔「有教館」とかいう藩校があったそうだのん。
お~、そりゃあええが。「時習館」みたいじゃんか。
いいじゃん、いいじゃん「有教館」! その名前にせまい。
これでわしゃらがも「時習館」に肩を並べれるに。

とかいうノリで決めたに違いない。(下手くそな三河弁でゴメン)

あ~イヤだ。田舎モンの薄っぺらい卑屈な自尊心が見え透いているようで怖気が立つ。
今さら「有教館」なんて、絶対全東三河人が「新城のヤツら、時習館のマネしたよw」とニヤニヤ笑うに決まってる。
その通りだよ、ただの猿真似だよ。歴史も、気概も、教育に対する思いも何にも感じられないよ。
ただのマネだもんな。

「時習館」と、当時名づけた豊橋の人たちはどういう思いだったのだろう。
「成章」と、当時名づけた田原の人たちはどういう思いだったのか。
なぜ、新城高校又は新城東高校が設立される時に、当時の新城の人たちは「有教館」と名付けなかったのか?
きっと豊橋、田原の人たちは地元の歴史を深く知っており、その歴史に誇りを持っていたのだろう。
その歴史と教育に対する期待とが融合すれば、多分必然的に『藩校』に行き着くのではあるまいか。
そこには「進学校として有名になってやろう」などという教育の本質からズレた意識はなかったに違いない。
新城人には、残念ながら当時そういう意識はなかったのだろう。
その代り今、「進学校に憧れる」という薄っぺらい気持ちで「有教館」と名付けようとしている。

新城の歴史的な形容詞に「山湊馬浪」という言葉がある。
これは『町』の営みを形容していると言っていいだろう。物資の移動による商いの盛んな様を表している。
新城は「町人」の街なのだな。思うに、新城には武家的な遺構や文化は少ないように感じる。
だから「藩校」という発想に行き着かなかったのではあるまいか。
しかし新城には太田白雪を案内に松尾芭蕉が来たとかの例にみるように、町の文化度とか俳句や連歌を可能にする町人達の教養の高さがあったのではなかろうか。
調べてないからあるかどうかわからんけど、それなら町人の教育に貢献した私塾の名前とかさ、そういう人物の雅号とか、そんなのを校名にできたら個性的だし歴史も感じられていいじゃん。そういうさ、少しヒネリをきかせた校名にしたいものだよ、せめて。

続けます。  

2016年06月18日 Posted by けま at 05:44Comments(4)新城市高校統合