「議員提出第1号議案」はどうなった

浅尾議員のブログから知る由となった「議員提出第1号議案」。
「議員さんの月給改正か!きっと給料アップに違いないぞ!」と思い込んで前回、前々回のブログを書いた。
最初に書いておくと、今回はこの「給料アップに違いない!」という思い込みの話。

給料改正するならアップにしろダウンにしろ市議全員が合意に至らなければ市民からは賛同を得られないだろう強く思ったので、その旨を主にfacebookのメッセージ機能を通じて市議会議員に送信した。
これ、以前もやったことがある。
(「4月の議会報告会は? 4」→http://kemanomake.dosugoi.net/e864970.html

きっと反対の立場を取られるであろう浅尾、白井、加藤議員のお三人には聞かなかった。
小野田議員とはfacebook上でコメントを交わしていたので、こちらも送らなかった。
残り長田、下江、丸山、打桐、山崎、柴田議員にメッセージを送り、今回も返信があったのは長田議員だけであった。

しかし長田議員、この人、エライね。
人に質問するやり方としては、直接会う、電話で直接言葉を交わす、直筆の文書で聞く、電子メールで聞く、というのが思いつくところだけれども、多分礼儀としては電子メールで聞くことはかなり簡略化されたものかと思う。
昨今の事情や、実際の社会においても電子メールで質問することは非礼には当たらないと思うけど、まぁ、議員さんの中にはこういう簡略化された礼儀にカチンと来る人もいるかもね。

そンなわけで今回の件は時間も無いこともあったので議会初日(23日)の前日夜にメールを送ったのだけど、長田議員からは翌日朝に返信があった。
長田議員は市議を3期務めていて、かのコンドーム発言で失態を晒してしまったワケだけれども、この反応の速さとしっかり返信してくれる誠実さは市議会議員として実に真っ当であると感じる。
もちろん心の中では「メンドウな市民“様”からクレームが来たなぁ。めんどくせぇなぁ。」と思っているだろうが、所詮心の中なぞ覗けないのだから、行動で誠実さを演出できればそれで良いのだ。
今年は選挙だというのにそれさえできない議員もいるのだから。

さて前置きが長くなった。

その返信の内容は以下の通り。
・今回の議案内容は、人事院勧告に伴う期末手当の支給率の変更。
・月額の報酬については報酬審議会で決められているので変わらない。
・現在の支給率は人事院勧告に基づき決められている。
・手当における支給率を人事院勧告に準拠することについては各議員それぞれ意見があるので全会一致となるかはわからない。
・議論を重ねて採決となるだろう。

こんな感じだった。ここでようやく「議員提出第1号議案」の内容を知ることになった。
その内容はつまり「期末手当の支給率の変更」。

「あれれ、月給額の改正(アップ)じゃないのん?」
「期末手当って、つまりボーナス(年2回か)。しかも実額でなくて支給率?」
「・・・思ったより議員さんの給料が改正(アップ)しないんじゃないの・・・?」

ここでようやく、自分が「議員提出第1号議案」の内容を詳しく把握していないことに気づいたのだ。
これは手落ちだった。浅尾議員もその内容には触れていなかったのだ。

「改正=アップ」は確信が持てるし重要視しなくてはならないけれども、「思ったほど」アップされるものではないのかも?
しかも「期末手当」なら年2回だろうし、この時期に採決するなら来年度からの適用だろうし。
・・・ちょっと大げさに考えすぎたか・・・。

一番の問題は、「人事院勧告が議員のような特別職が準拠するものなのか?」、「議員自身で自分たちの給料を決められる仕組みがおかしいのではないか?」の2点だと考えていた。
・・が、給料の実額が大きく改正(アップ)されないのならば、市民の皆さんも関心薄いかも。
メール送りつけた議員たちにも、「そんな目くじら立てるほどのアップじゃないのに、コイツ(けま)大騒ぎしすぎ、プゲラ」とか思われてたら情けない。

「いやぁ、月の給料の『額』が上がるんじゃないのかぁ・・・」などと、自分の思い込みからの軽率さを反省せねばならんなぁ、と
こ  の  時(23日)  は  、
思っていた。


採決の結果は白井議員のブログで知った。
(「3月議会始まる 2017年02月25日」 http://slmichihiro.seesaa.net/article/447330057.html

その後、浅尾議員からもご自身のブログで報告があった。
(「新城市議の期末手当の引き上げ議案の質疑と反対討論 2017年02月25日 http://asao.dosugoi.net/e949180.html


結果は概ね予想通りで、反対は白井、浅尾、加藤議員の3人で、その他は賛成で可決。
白井、浅尾両議員とも人事院勧告を改正理由にすることのおかしさに触れていて、やはりそういう理屈が成り立つのだな、と得心した。

さて、ここでも新たに知ることとなった事実があった。
・「昨年12月に遡って支給(約3万円アップ)され、来年度は、6月、12月に合わせて約5万円のアップとなること」
・「新城市特別職報酬等審議会は昨年(平成28年)11月24日付けで市長から諮問があり、同年12月27日に答申書が提出されていること」


「来年度からじゃなくて昨年12月に遡って、だって?」
「人事院勧告に準拠することの正当性は全く論じられなかったのか。」
「昨年末にきちんと審議会に諮問されているんだな。そこでは報酬については据え置きが答申されているのか。」


長田議員からの返信から、「期末手当の改正は来年度分からだろう」と、ここでも思い込みがあった。
しかし、結構な金額の上乗せが遡って支給され、審議会からは据え置きが答申されてもいるのに人事院勧告準拠で押し通し、「手当を上げることで、議会改革への覚悟をするものである」とか言っちゃうおかしな理屈の女性議員もいたとかで、別に自分は軽率でもなかったなぁ、と25日になって思うに至った。

これが私の中での「議員提出第1号議案」の結果がわかるまでの顛末だが、この経緯のなかで一番反省しなくてはならなかったことは最初に書いた「思い込み」だ。

「改正=アップ」は間違いではなかったが、改正の対象が報酬(議員の月給をこう呼ぶらしい)と期末手当の支給率では明らかに違う。
浅尾議員のブログもよく読めば議会運営に対して批判を加えていて、その時点では議題内容に対してはまだ慎重な態度だった。

どうも「新城市議会議員多数派の言いだすことは悪いこと」という先入観が私にはある。
もう少し慎重にならなくては。

と反省しておいて。

この件に関しては別にひとつ言いたことがあるし、これらの経緯のなかで色々気づき考えたことがある。
次回はそれについて。  

2017年02月27日 Posted by けま at 10:35Comments(0)新城市議会

「議員提出第1号議案」@3月議会 2

さて、この「議員提出第1号議案」だが、議員報酬つまり議員さんの給料の改正についての議案だ。


この画像がその「議員提出第1号議案」。
提出理由を読むと、平成28年度人事院勧告に準拠した措置を講ずるため、とある。

議員報酬と人事院勧告って関係あるのだろうか?

「人事院勧告」てのを調べてみると、
「『国』の公務員の給与水準を民間と比較して決めたものを人事院が勧告する」
というものだそうだ。

ここでちょっと寄り道して市の職員の給与の話。
自治体職員の給与は地方公務員法第24条3項に、
「「生計費」「国」「他の地方公共団体職員」「民間事業の従事者」「その他」を基準にして決める」とされている。
なので自治体職員の給与は、「国」であり、「民間事業の従事者」と比較している「人事院勧告」を利用しそれを基準として決められる。
国と地方の違いがあるとはいえどちらも行政に関わる一般職なので、「人事院勧告」が新城市の一般職員の給与を決める際に用いられるのは納得のいくところだ。

では、市議会議員は行政一般職と同列のモノなのだろうか?
同列のモノなら、議員報酬の改正の基準に「人事院勧告」が利用されるのはわかるが果たして?

このことは地方公務員法第3条第3項に、一般職とは区別される特別職として
・市長、副市長、企業管理者、議員
が列挙されている。

つまり議員さんは一般職ではないのだ。
だから『「人事院勧告」に準拠した措置云々』てのは、筋違いなのではないか?と考えられるのだ。
(この辺、素人の思いつきなので違っていたらスマン)


では議員報酬の適正な金額はどう決めたらよいのだろう?

これを調べてみると、「新城市特別職報酬等審議会条例」という言葉に行き当たった。

http://www1.g-reiki.net/shinshiro/reiki_honbun/r366RG00000065.html

第1条に「市長の諮問に応じ・・」とあるので、文字通りとれば、市長が諮問しなければこの審議会は設置されない。
議会や議員が直接この審議会に意見を聞きたくても市長が設置をしてくれないことには問うことはできない、と解釈できると思う。
あくまで、「市長が議員の報酬に関する条例を提出するとき」、この審査会の意見を聞く必要があるわけで、議員が自ら議員報酬について議案を提出する場合にはこの条例は関係ないのかもしれない。

しかし第2条を見ると、「議会の議員の議員報酬の額並びに市長、副市長及び教育長の給料の額に関する条例を議会に提出しようとするときは」とある。
つまり市長が「自らの報酬を下げたい」という時には、この審議会の意見を聞かねばならないのだ。
市長の報酬については、1・審議会 → 2・市議会 の段階を経て決まる、と言える。
審議会も市議会も市長にとっては第3者だから、すんなりとは通らないタテマエだ。

ところが議員報酬は、議員提案されれば、 1・市議会で採決  、のたった1段階しかなく、しかも市議会は第3者でなく議員そのものなワケだから、多数派が工作すればいとも簡単に議員報酬は決めることができる、と言えるのではないか?

第3者の目で議員報酬が適正かどうかを確かめる仕組みが必要ではないか?

となれば、現実的なのは現行の条例を使って、何らかのカタチで市長に新城市特別職報酬等審議会を設置してもらい、一旦そこで「議員提出第1号議案」を審議してもらいその意見を参考にして議会で採決したほうが、まだ市民からの理解が得られるのではないだろうか?

というわけで、
1・そもそも「人事院勧告」と議員報酬は関係ないのではないか?
2・議員提案による議員報酬改正議案は第3者チェックが無く、議員の好き放題になる可能性が高く問題あり。

この2点において十分議論を積み、議員全員が一致した採決を取ってほしい。

議員報酬改正なんて市民から穿った見方をされるに決まっている。
もちろん推測だが、報酬アップが賛成多数、反対は3名か4名くらいか、で採決されることが大いに考えられる。
報酬アップの賛成派は、市民にどう思われるか考えないのだろうか?
実際、報酬アップでもいい。
しかしそれには議員全員が賛成することが絶対条件だ。それこそ「市議会の総意」と胸を張って言えるわけで、市民が悪口言おうが「議員みんなが納得したのです」と言えばそれで済む。
賛成、反対で票が割れれば市民も割れる。議員だけでなく、市民の間にしこりを残さないためにも議論に議論を重ね、お互いの言い分を聞き、妥協できるところは妥協して、全員一致の採決を成し遂げてほしい。  

2017年02月23日 Posted by けま at 03:06Comments(0)新城市議会

「議員提出第1号議案」@3月定例会

浅尾議員がまたもや憤っておられる御様子。

http://asao.dosugoi.net/e948307.html

お怒りの理由は、議会運営のヒドさ、ということだが、この「議会運営のお約束」は私たち一般市民には馴染みが無いせいか、一体なにがヒドイのかよくわからないところがある。
というわけで、浅尾議員のブログを頭から読んでいってみよう。

1月27日の全員協議会で報酬・期末手当問題が議論されたとのことだが、浅尾議員の言い分では「全協の場では、提出者・賛成者はいなかったのです!」
つまり「いなかった」から議案として出てこない、と捉えていたのだな。

だが、小野田議員のfacebookでの記事によると、「1月27日に全員協議会で話し合われていますので、議員でしたら3月定例会に議案として出てくる事は知っていると思います」
つまり全協で話し合われれば議案として出てくるのは当然だと。

この議員同士の認識の違い、私たち市民はどっちの考えが正しいのかわからない。

ちなみに市のHPでの「3月定例会上程議案」。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,50938,122,938,html

ここでは2月16日最終更新になっていて、ページの最後に「議員提出第1号議案」が載っている。
つまり2月16日には「議員提出第1号議案」が3月定例会の議案になっている、と捉えることができるのだが・・・。
リンクがないのでその内容は2月16日の時点ではわからない、とは言えるか。
つまり16日の時点でリンクがないことは、21日に議案の内容が決まったメールが送られてきたことの裏付けにもなるとも言えるか。

この2月16日に行われた議会運営員会の要旨の画像を浅尾議員はアップしてくれている。
この画像で議員提出議案として「議員提出第1号議案」が上程されることが明記されていることがわかる。
浅尾議員はこの要旨をいつ手に入れたのだろうか?
2月16日は議運の後に議案説明会が議場(午前10時)で行われている。多分この時にこの要旨が配られたと推測されるのだが、この時に浅尾議員は気づかなかったのだろうか?
つまり「議運要旨に議員提出第1号議案のことが載ってますが、これ正式に上程されるんですか?」って、なぜ聞かなかったんだろう?
ちょっと意地悪かw。

21日夕方にわざわざメールが来て、「議員提出第1号議案」が各議員のポストに配布したことが伝えられた。
そこには「全協でお示ししご協議いただきましたとおり・・」と書いてあるので、これは小野田議員の認識が正しいようだ。
つまり全協で協議したことは、提出者・賛成者はいなくても議案になる、ということなのだな。
議員4年目にして、ようやく浅尾議員も理解しただろうか(笑。
ていうか、そんなの私ら一般市民だってわからんわな。こういう議会のお作法が市民を遠ざけているよなぁ。

この流れを整理すると、
・16日は9時から議運があった。
・10時から議案説明会が議場であった。
 この時「議運要旨」と今議会に上程される全議案が印刷されて、市当局からの説明があった。
 しかし「議員提出第1号議案」についてはこの時印刷されておらず配布もされなかったと推測できる。なぜなら21日のメールにて、この21日4時頃「議員提出第1号議案」が議員ポストに配布されたことが伝えられたからだ。
印刷されてなかったのだから、説明もなかったのだろうと推測できる。
であれば、16日の時点で「議員提出第1号議案」は上程されないのだな、と浅尾議員が思うのも無理はないだろう。

しかし先にも書いたが、浅尾議員は議運要旨で「議員提出第1号議案」が明記されているのに、議案印刷物に「議員提出第1号議案」がないという矛盾に気づくべきだった・・・のか?
それとも、議運または事務局がその矛盾を説明するべきだった・・・のか?

議案の説明があったのが16日。
それについての「質疑通告」と「資料請求」の締切が20日。この4日間は短いのか長いのか?
とにかくこの4日間で議案をよく読みこんで、質疑内容を通告書に仕上げなければならないのだから、結構大変だろうと思われる。
そんな思いをして20日に「質疑通告」と「資料請求」を提出した翌日21日午後4時、「議員提出第1号議案」はポストに入ってます、とメールで伝えられ、資料請求は翌日22日午前までに。
22日午後に資料がもらえても、23日9時には3月定例会が始まるわけで、残り時間は24時間もない。というわけか。

こりゃ、無茶な話だな!
浅尾議員のお怒りもごもっともだ。  

2017年02月23日 Posted by けま at 02:37Comments(0)新城市議会

「若者シンポジウム」に参加してきた

若者と政治との関連を新城市に鑑みていつも真っ先に思うのは、

・新城市新庁舎建設の住民投票の経緯を知っているか? そしてどう思うか?
・新城南部地区の産廃業者進出の経緯を知っているか? そしてどう思うか?

この2点だ。

「まちづくり」とは言い難い新城市のネガティブな部分。
しかし行政や市議会、そして市民が地元の問題として考えていかなければならない政治的な事柄と、私は考えている。
だから若者が政治に関わるなら、そして新城市に住む若者ならぜひ考えてもらいたいと思っている。

しかし、今回参加した「若者議会シンポジウム」では上に挙げたような具体的な政治的課題に触れる前に多くの課題があることに気づかされた。

・「若者がどのように政治にアクセスするのか?、したらよいのか? その課題」

こう言っていいいだろうか。

シンポジウムでは班に分かれていた。第2部のワークショップのためだ。
私の班は全部で6名。
若者は3人いたが1人は「若者議会」のメンバーで社会人、あとの2人は学生さんだった。

彼、彼女(以後「彼ら」と書きます)らの班での話し合いの様子を見ていると、先に挙げた課題が見えてくるような気がした。

まず「大人がしゃべりすぎる → 若者が意見を言えない」

今の若者たちは「場の空気を読む」し、私のようなおっさんが思うほど無礼ではなくむしろ礼儀正しい。
なのでおっさんがしゃべり始めると、「関心があるように頷きつつ聞き入ってくれる(フリをする)」のだ。
おっさんたちは気持ちよくなっちゃうのだ。聞いてくれるから。しかも若い子だし。
多分、気づいていないんだろうな大人は。
(自戒を込めて。私もおっさんなのだ。)

そして「大人のしゃべりはいつの間にか『説教』になる。」
さらに「説教はいつしか大人の若いころの『武勇伝』になる。」

それでも若い子たちは「聞いてくれる」んだよなぁ・・・。

主権者は大人ばかりでなく、若者たちも同じく主権者だ。
主権者教育を掲げて彼らの考えや意見を欲するなら、まずもって私たち大人は「聞かなくてはいけない」。
そして「言葉数を少なく」。

最後には説教臭くなってしまうのは、「若者をなめているから」だろう。

実際彼らの話を聞いていると、しっかりしているのだ。
話し合いをリードしてくれた若者議会のメンバーの彼は模造紙に話し合いの経過を書きつつ、話し合いにも参加して考えをまとめてくれたりと、実に才能を感じた。
彼らより私たち大人が勝っているのは「失敗しないための経験」だけだろう。
物事をマイナスにしないためにだけ役立つ経験だけで、なにか新しいことを創造することに役立つ話などできないのではないか?

この「若者をなめた態度」というのはパネルディスカッションでの壇上の若者たちも共通して感じるモノらしく、大きく頷いていたのを思い出した。

私たち大人は若者の政治参加を考えるときに彼らの幼さを問題視してしまいがちだが、迎え入れる私たち大人にも問題があることを考えなければならないと、強く感じる。
同じ主権者として彼ら若者を尊重する態度が足りなかったのではなかろうか。

と、まずは大人が持つ「若者が政治へのアクセスするための課題」を挙げてみた。

続く。  

2017年02月20日 Posted by けま at 14:35Comments(0)市政を考える

最後の市民自治会議

2月9日、平成28年度第10回の市民自治会議があり出席してきた。
次回の3月1日に市長に答申をして今年度の市民自治会議が全て終了となるのだが、その日は答申文書を市長に渡すだけのセレモニーなので、実質的な会議は今回が最後となった。
私もこれで2年の任期を終えることになった。

振り返ってみれば、色々と勉強になった2年間だった。
市民自治に関係する情報や行事などは、他に先駆けて知ることができたり、詳しい資料を頂けたりして、市政に興味を持っている自分としては大変有り難いモノだった。
おかげで今までなら絶対参加しなかったであろう市のイベントにも多く参加することができた。
こちらのブログでも市民自治会議での議題に触発されて記事にしたものも多い。

この委員に応募する際にはその動機を短い文章にする必要がある。
「市政の情報発信を素早く正確にわかりやすくやってほしい」というのが、今も変わらない市政への一番の注文で、これを動機として応募したことが思い起こされる。
が、この会議は自治基本条例が機能しているかをチェックすることがその役割で、こちらから積極的に提案をするというより、毎回提供される議題や報告に意見をすることに重きが置かれているようだった。
ま、私が勝手に勘違いしていただけのことなのだが(^_^;)、欲を言えば提案が通らなくとも自由討論みたいな感じで自論を披露できたらよかったと思っている。

委員になってからは市のHPをよく見るようになり、過去のイベントや会議の資料を多く読むようになった。
で、気づいた事なのだが、この2年間で一緒に委員をやった皆さん、まちづくり集会などの市のイベントで見かける皆さん、この人たちの名前を資料の中によく見かけるのだ。
つまり、市民自治に参加してくれている皆さんの顔ぶれというのは、大体いつも同じようなものばかりなのだなw。
要領を得た人に何回も役を担ってもらうのがよいのか、なるべく初めての方にやってもらうのがよいのか。
市民自治のすそ野の拡がりを期待するなら、色んな世代の方々がなるべく多く係わる方が良いはずだけれども、そういう方々は多分「広報ほのか」とか市のHPをあまり見ない(と思う)。
そういうとこにしか情報が置いてないから、市民自治方面に特に関心が無ければまず気づかない。
結局、以前経験した方たちにお願いすることになる、という負のスパイラル。
やっぱり「市政の情報発信を素早く正確にわかりやすくやってほしい」し、「誰もが目にする(気付くことができる)カタチで情報発信する」ということも大事なんだろうな。

おかげさまでこの2年間で一番多く目を通したと思う「新城市自治基本条例」。
読むたびに常に疑問が増していったのは、このブログでも何回か書いた「“自治”と“まちづくり”の違い」だ。

自治は文字通り「自ら治める」。
「市民自治」ならば、市民が市政を自主的に営んでいくこと、と言っていいだろう。
例えば、若者議会や女性議会、盆ダンスとか新城ラリー。
緊急に必要なモノ、とは言えないだろうと考えている。
しかし若者や女性が市政に関わりを持っていくことは将来的には大きな実りをもたらすだろうし、盆ダンスや市城ラリーはイベントとして市民が楽しめるものだし、運営に市民が携われば「我ら新城市民!」的な一体感も味わえるこれまた実りのあるものだろう。

そして例えば、市南部の産廃問題、少し前なら新庁舎建設問題。
今現在苦しんでいる人たちがいる故に解決の緊急性の高いモノだが、解決できたからと言ってマイナスに傾いていた生活が今までの日常を取り戻すだけのことだ。心配事が無くなるだけで、先に挙げたような「実り」は無い。

このようなこと、つまり「実りのあること」にも「実りは無く日常を取り戻すだけのこと」にも市民が自らの課題として取り組むのが「市民自治」と言うのだ、と私は考えている。

新城市自治基本条例の第1条はこうだ。
「この条例は、新城市のまちづくりに関する基本的な理念並びに市民、議会及び行政の役割及び仕組みを明らかにすることにより、市民が主役のまちづくりを推進し、元気に住み続けられ、世代のリレーができるまちを協働してつくることを目的とします。」

『「自治」とは「まちづくり」のことなんです!』、と言っていいだろう。

だったら「新城市まちづくり基本条例」という名称にすればよかったんじゃないか?
なぜ題名に「自治」と付けておきながら、その第1条に「自治」の文字がひとつもないのだろう?

「まちづくり」という言葉には「積極的に何かを作り出す」とか「ポジティブな取組み」というイメージがある。
新城市自治基本条例を根拠にしている「若者議会、女性議会」「地域自治区」などはまさに「まちづくり」のための産物であって、積極的な予算付けが為されているのは御存知の通りだ。
一方、「市南部の産廃問題、新庁舎建設問題」などを解決するためには、この「新城市自治基本条例」をどう活用すればいいのだろう?

ネックとなるのは「協働」という言葉ではないだろうか。
第2条には条例内で使う言葉の定義が書いてあり、その中に「協働」という言葉がある。
「(6)協働 市民同士又は市民、議会及び行政が対等な関係で協力及び連携し、まちづくりを行うことをいいます。」
ちなみに他にも「住民」「市民」「市」「行政」「まちづくり」「行政区等」という言葉も定義されている。

まず産廃業者が「市民」の定義に当てはまらず、どうしても生活をおびやかされる地域住民とは対立してしまう構造になってしまう。
なので地域住民=「市民」または「住民」と「市」・「行政」が連携して対処しなければならないのだが、どうも「市」・「行政」が積極的でない。
新庁舎建設でもそうだ。
「市民」が建設費を見直してほしいと言っても、当初「市」「行政」は取り上げてくれなく、仕方なく住民投票に至ってしまった。
「協働」ではなく対立する構造ができてしまった。

「市民」が「これは問題ではないか?」と思い、それを自らの手で解決しようとすることは私は立派な「自治」だと思うのだが、「市」や「行政」がそれに連携してくれようとしないのはなぜか。
「自治」の中に「協働」できないことがあり、特に何かと対立してしまう構造になるともうそれは「まちづくり」ではない、と判断されてしまう感じだ。

それならそれで先にも書いたように「新城市まちづくり基本条例」にしてしまえばいいと思うのだ。
私がなぜ名前に拘ってしまうかと言えば、自治というには片落ちな「新城市自治基本条例」が対外的に「マニフェスト大賞」とかいう賞を取ってしまうと、新城市では市内の様々な問題全てに「自治=市民が自ら問題に取り組んでいる」と思われしまうことを危惧するからだ。

「自治」なんて新城市では半分しか機能していないのに、市外のみなさんに「新城市は市民自治が進んでますなぁ」とか言われて市長やら市議がニヤニヤ笑っているその裏で、住民投票にまで至ったことや産廃業者に苦しい思いをしている住民のみなさんの苦労が隠れている現実をその市長や市議が見ようとしないことに腹が立ってくる。
「まちづくり基本条例」という名前で若者議会や地域自治区の取り組みが評価されて賞を取るなら、それは名前と取組みとの間になんら矛盾は無く「表彰されてよかったね」と文句なく評価できるのだが。

最後がかなり長くなってしまったが、これで市民自治会議委員の任期も終わった。
もうこの任に就くことはないけれども、引き続き市政ウオッチは続けていきたい。  

2017年02月11日 Posted by けま at 11:03Comments(0)市民自治会議

「会派」があったのか

浅尾議員の2017年2月7日のブログで「議会改革」のことを話題にしている。

「これでいいのか?「議会改革」が一部の議員だけで進められる。」
 → http://asao.dosugoi.net/e945228.html

これについては白井議員も1月29日のご自身のブログで触れていて、色々満足できない部分もありながら、まずは「議会改革」の動きが議会内から自発的に出てきたことに期待したいという内容。

「議会改革は止まらない。新城市議会は休憩中。それでも、もしかしたら。」
 → http://slmichihiro.seesaa.net/article/446409484.html

浅尾議員は「議会改革」のための「議会改革検討会議(仮称)」のメンバーに大変ご立腹なようで、色々な視点からそのおかしさを指摘している。

で、その指摘の中にちょっとびっくりな点があった。
なんと「新城同志会」とかいう会派が、いつの間にか存在しているというのだ。

新城市議会の会派については私がブログを書き始めたころ結構な話題になっていた。

白井議員
「会派復活? 」2015年08月15日(http://slmichihiro.seesaa.net/article/424192967.html
「勝手に、会派を名乗ったら」2015年08月17日(http://slmichihiro.seesaa.net/article/424331987.html

ブログ「パンセ(みたいなものを目指して)」(お馴染み「腰痛持ちさん」のブログ)
「会派って何?」2015年08月18日(http://blog.goo.ne.jp/bitte1107/e/8ed06a65ee1c71eede10d2e763a9e774

こちらの記事を改めて読んでみて、当時の私は多分「会派は不成立に終わったんだな」と理解していたのだと思う。
私のこの記事「4月の議会報告会は? 2(2016年05月04日)」(http://kemanomake.dosugoi.net/e862618.html)、その中に「会派を復活させようとした「新城同志会」の議員」という件がある。
「させようとした」という書き方は「しかし復活できなかった」というニュアンスを含ませた書き方だ。

とまぁ長くなってしまったが、要するに私は今現在、新城市議会には会派は存在しないと思っていたのだ。


で、この会派のメンバーのSNSを調べてみたら、

山崎議員(新城同志会メンバー)
「新城同志会が晴れて発足」2015年8月27日 (https://www.facebook.com/yuichi.ymz/posts/1693114260900199

なんて記事があって、確かに会派の設置が認められていたことがわかった。

すっかり見落としていたわい。

改めて「新城市議会基本条例」を見てみると、
http://www1.g-reiki.net/shinshiro/reiki_honbun/r366RG00000655.html#e000000247
第16条に「議員は、議会活動を円滑に実施するために、会派を結成することができる。」と書いてある。
条例違反ではないのだな。

白井議員のブログを読み返してみると、新城市議会が会派をなくした経緯やその意義が書かれていて、全くその通りだと思う。
結成することができてもそれをあえてやらないところに、当時の市議会の議会改革に対する矜持を感じる。それは今の議員の一部にも受け継がれている。

ところがこの「新城同志会」とかいう輩の言い分ときたら、先ほどの山崎議員のFBには
「平成25年6月の議会運営委員会で「会派制の不採用」を決めており、議運の承認が必要だとの見解がありましたが、会派設置届はあくまで議会基本条例に基づいた行為であり、議運での会派制の不採用は細則、運用上の問題です。よって上位の基本条例に準拠し、設置が認められたという次第です」
とあるように、会派をなくした意義など全く無視し、「細則、運用上の問題です。」とただの条例解釈の問題に貶めている。
住民投票の選択肢をわかりにくいモノにし、住民投票が要求された真意を全く汲み取られなかったことも、こんなことからもよくわかる。
会派をなくすために当時多くの話し合いを持ったはずなのにその経緯を考慮しないという態度は、少数者の意見を汲み取るための話し合いなど無視する姿勢につながるように見える。つまり多数決で決めちまえ、という数の論理しか考えていないようにも見えるのだ。

この会派設置から2年。会派の名前で、特に活動もしていないからこそ今までその存在が気づかれなかったと言えよう。
「議会改革の一環です。第二次議会改革です。そういった点で、意義深いと思います。」と山崎議員は書いている。なんで2年も黙り込んでいたのかわからないが、(そりゃ今年が選挙の年だからだろうが)今年の議会は議会改革の見直しを正式に謳ったわけだから、ぜひともその存在感を議論でもって示してほしいものだ。  

2017年02月08日 Posted by けま at 05:28Comments(0)新城市議会

応募者“0”・・・か

最近の若者議会のブログで結構衝撃的だった記事はコレ。

「リベンジ」 2017-01-14
http://wakamono-gikai.jp/blog/%f0%9f%94%a5%e3%83%aa%e3%83%99%e3%83%b3%e3%82%b8%f0%9f%94%a5.html

発端はコチラ。
「あなたはどっち派!?たけのこの里VSきのこの山」 2017-01-07
http://wakamono-gikai.jp/blog/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%af%e3%81%a9%e3%81%a3%e3%81%a1%e6%b4%be%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%ae%e3%81%93%e3%81%ae%e9%87%8cvs%e3%81%8d%e3%81%ae%e3%81%93%e3%81%ae%e5%b1%b1.html

1月15日に第2期若者議会内の「まちなみ情報センターチーム」が第1回プレイベントとして、「あなたはどっち派!?たけのこの里VSきのこの山」というディベート大会を開催しようと計画した、のだな。

このブログが一番最初の情報発信だろうか。
facebookでも同じ記事がリンクされているけれども、どちらも1月7日がお知らせ初日のようだ。
午前午後の2部に分けて行い、24名の参加者を募っていた。

で、結果が
「15日(日)のプレイベント『たけのこの里派VSきのこの山派』は参加者0のため、延期にしました」
(ブログ記事をそのまま引用)

これを初めて見た時は思わず絶句してしまった。
facebookでフォローしているので、割と早く見かけた記憶があるのだけれども。
で、むしろ実に様々なことがあれこれと思い巡ってしまい、どのように感想を書いたモノかと考え込んでしまった。

イベントの成功を判断する指標?と言っていいだろうか。
そのひとつに「どれだけ人を集めることができたか」というのがあると思う。
このプレイベント、そういう意味では大失敗と言っていいだろう。
なんせ応募が「“0”(ゼロ)」だ。

まず、この結果を臆面もなく(?)公表した若者議会に、ある意味大拍手だ。
そしてそれを許した(のかどうか知らんが)若者議会担当のオトナの皆さんにも大拍手だ。

イベント計画して参加人数「0」だなんて、オトナの世界的には面目丸つぶれではなかろうか。
そんなことは関係者はもちろん対外的にも、あまりに恥ずかしすぎて絶対に何が何でも避けたいところだろう。

ではこの「参加者0」を発表した意図はなんだろうか?

ひとつにはオトナ的オトナ目線で、若者たちに「失敗」を味わってもらってそこからのさらなる成長を期待して、というところだろうか。

若者議会も「リベンジ」の記事では結構反省している様子がうかがえる。
しかもただ「反省しました」だけでなく、「次は3月に」と具体的に日にちを公表してきたところを見ると、このままうやむやに終わらせる感じではないようだ。

次、がんばれよ! と言いたい、言いたいがしかし・・・・。
(電通の人を呼んで情報発信のお勉強をしたんじゃなかったっけとか言いたいw)


一方オトナの方のことを考えてみると。
まずひとつ推測できることは、市のイベントは大体こんな感じなのだろう、ということだ。
きっと関係職員が色んなツテを使って人数を集めているに違いないのではなかろうか。
そのあたりの苦労は分かっているはずで、じゃあそれをなんで若者議会の皆さんに伝えなかったのか。
あるいはわざと伝えなかったのか。
伝えた上で、若者議会の皆さんに情報発信・応募者集めを丸投げしたのか。
色々と想像は膨らむ。

そしてそもそも若者「議会」に付与されている権利というか、彼らにできることあるいはやらなければならないことは何なのだろうか?ということに考えが及ぶ。

以前住民投票の時に職員さんに聞いた話だが、新城市議会には「議決権」しかなく「執行権」は無い、ということ。
住民投票のときに、その条例を決めたのは議会なのだから議会が責任もって投票内容の説明をまちづくり集会でするべきではないか?という質問をしたら、それは「執行権」の無い議会にはできないことだ、と回答されたことがある。

今の若者議会は様々な提案をするけれども、同時にその実行も担わされている感がある。
若者議会は本物の「議会」ではないけれども、若者らしい提案を求められ、なおかつその実行の主体にならなければならないという事を求められるのは、なかなか酷ではないか。

今回のディベートも発案としては幼稚な感じがするけれども、その発案をカタチにすることと、人集めをすることは別の案件ではないかと、そうとも思うのだ。

オトナは最初から失敗を見越していたのか。
失敗を避けるべく努力をしたけれども、結果としてああなったのか。
真相はわからないけれども、少しオトナからの力添えが少なかった感じもする。

ま、次の3月開催を期待したい。
おっさんも参加していいなら応募したいものだ(笑  

2017年02月02日 Posted by けま at 03:51Comments(2)市政を考える