「多数決主義」のもたらしたモノ

要望書、陳情書、と言われても一体何を要望しているのか、何を陳情したのか?

前回のブログで書いた全員協議会は2月17日に行われたものだが、この「要望書」「陳情書」なる言葉を初めて聞いたのは2月5日での全員協議会だ。
2月5日の全員協議会(以後、「全協」と略します)では主に市の高速バスのことについて話し合われたのだがそれも終わりかけた頃、丸山議員から「実は・・・」という感じで議員全員に配られたのがこの「要望書」だった。

これが何を意味するのか、私にはさっぱり?だったのだけれども、なんだかエライもんが出てきたという雰囲気で、以後議論が白熱した。
この議論が終わった後も、元市議の加藤さんがとある議員さんに食って掛かる勢いで迫って、とにかくスゴイ場面に遭遇したもんだと興味深かった。

この出来事は浅尾議員のブログ(「ブログ 疑惑の「要望書」が、とうとう明らかに!」)やパパパさんのブログ(「ステップを踏んでいない要望書」)で詳しく書かれていて、全協の後にこちらを読ませてもらって凡そ(おおよそ)理解できた。

というわけで、私は個人的な感想を。

今回の要望やら陳情やらは有志の議員さん達が行なったことで、そのこと自体はなにもおかしいことではない。
その要望・陳情に賛意を示さない議員さんもいて、それも全くおかしいことではない。
議員さんは自身の考えや信念に基づいて政治的な活動をしてもらえればいい。

市議会議員全員が賛同しているわけではない要望書・陳情書に、有志議員の皆さんが「新城市議会」と印刷してしまったことがおかしいのだね。

表紙に「新城市議会」と印刷してあれば、それを見た人は誰だって「市議会議員全員の要望・陳情なんだな」と思うでしょう。
そりゃ賛意を示していない議員さんにとっては「いやいや私は要望も陳情もしておりませんよ」と言いたくなる。

一体なぜ有志議員さんたちは「新城市議会」と印刷してしまったのか。

私ら一般人だってそれくらいの推測はできる。
 「『みんな』が言ってるんですよ!(私らだけの主張じゃなくてね!)」ってコトだよね。

常識的には、私たちは「多くの人が賛同している」という事が、主義主張を通したい時の大きな武器、強い理由になる事を知っているからだろう。
そして有志議員たちに「多くの人が賛同している=それこそ力」という実感を持たせているのは、即ち「多数決主義」であろう。

市議会では多くの議案を最終的には多数決で決める。
定例会では一応賛成、反対討論が行われるが、その討論を聞いて考えを改めた、などという話は聞いたことが無い。
もう大体どの議員が賛成するか反対するか、その面子は概ね決まっているのが実情だ。
この時多数派になるのが、件の有志議員達だ。なので多数決で決める段階になれば、反対討論がいかに筋道が通っていようが関係なく、彼らの通したい議案がスイスイ通る。
このように有志議員たちは市議会で彼らの賛成する議案が通ることを実感しているので、「数こそ力」と考えていることは間違いない。

少し「数の力」をネガティブに書いてしまったが、「数こそ力」なのはふつうの市民による「デモ」にも表れている。
「これだけの人数が意見しているんですよ」を、目で見える形(多くの群集)で表しているのがデモだ。
このように、議会にしても民衆が意見を表明するにも「数が力」なのは間違いなく、なので「有志議員」という名前よりも数の多い「新城市議会」という名前で要望・陳情しようという気持ちになるのは私たち一般人にも理解できる。

では「数は力」を成立させるにはどうしたらよいのか。
言い換えれば、「安定的に」「楽に」数の力を成立させるにはどうしたらよいか?
ここに市議会議員ならではの理屈が潜んでいるように感じている。

議員にとってのその理屈の表れは「会派」であろうと思っている。

今現在、市議会には会派は存在しないようだが、この前の選挙以前の市議会では議会改革によって無くす方向になっていた会派を復活させた議員達がいた。
この復活させた議員達が、これまた今回の有志議員たちだったのだ。
会派の中でどのような話し合いがあるのかは知らないが、会派のエラい議員がこうと決めれば会派に所属する議員は皆サッとそれに従う。
つまり「楽~に」力を行使できるのだな。

議会での決定権はオレ達「会派(有志議員たち)」にある、という驕った気持ちが生じていたんじゃないか?
そして最近あった交通費や宿泊費の不正請求(これらも有志議員たちがしでかしたこと)は、「これくらいのズルはいいんじゃね?」という順法精神のユルさからきたんじゃないか?

この「驕った気持ち」と「物事をユルく考える」ことが、「別に『新城市議会』って名前を使ったって文句言うヤツはいないだろ」という安易な行動に繋がったんじゃないかと考えている。

この「多数決主義」という物事を決める方法のひとつに「会派」を使いだすと、結局何も考えずに会派の決めたことにただ従うイエスマンを生み出してしまうことがある。
「なんにも考えない議員」という多数決の一番マズイ特徴が露わになってしまう危険性がある。

「何にも考えない」から、自分たちに反対する意見を主張する少数派の議員をないがしろにする。
そして議員数では少数派であっても、その議員を当選させるために投票した市民の数は決して少なくはないのに、その市民たちを結局ないがしろにしていることに気づかない。
さらに言えば「何も考えない」から、不正請求の元になったお金は「市民の税金」ということに気づかないのだ。

議員全員の了承無しに要望・陳情書に「新城市議会」という名前を使ってしまった今回の件は、新城市議会の現状が生み出した事故と言えるんじゃないだろうか。


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2020年02月28日 Posted byけま at 11:48 │Comments(0)新城市議会

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