政倫審の結果が出た 2
山崎議員の『本人(山崎議員)が協力しないので、』問題は、昨日の全員協議会でかなり大きな議論になったようだ。
(全員協議会というのは市議会議員さん全員で話し合う会議のこと。)
これについてはもう私があれこれ書くより、以下のブログを読んでもらう方がよくわかる。
新城市を変えるのはあなたですby市議会議員 白井倫啓
『全員協議会で、山崎議員の問題点が明らかに』
パパゲーノの夢
『怒りよりも落ち込んでしまった(政倫審の報告)』
是非読んでみてください。
前回の記事で書いた問題点については結局こういうことだ。
1・政倫審の審査に協力しない態度を取ることは何らかの条例違反になるのか?
これは「新城市議会議員政治倫理条例」の第2条第3号、
『議員は政治倫理基準に違反する事実があるとの疑惑を招かれ、政治的または道義的な批判を受けた時は、自ら誠実な態度を持って当疑惑を解明するようにしなければならない』
に違反していると考えられる。
具体的にどんな『協力しない』態度だったかというと、小野田議員のアップしてくれた山崎議員の審査結果報告書に書いてある。
・「2月8日には当人から「この件で新城署に刑事告訴の手続きをとったとされているので、現時点では捜査機関に先んじて内容を話すことは適当でない」との発言が繰り返され、明確な関与の存否の答えを得ることはできなかった。」
・「改めて4月15日の審査会への出席要請を行ったが、当人からは書面出席の意向が示され、直接の出席はかなわなかった。」
2月8日発言にはわずかながら同情できる部分もある。あとで書く。
しかし4月15日の件での本人が出席さえしない態度はどうだろう。条例で言うところの「自ら誠実な態度を持って」とはとても言えないだろう。
議員自らが政倫審という議会活動に背を向けたこの態度。
私たちが市政を託している議会に協力しない態度は、それはそのまま市民に対する態度と受け取ってもいいだろう。
選挙の時には知る由もなかったことだが、こういう人を議員に選んでしまったのだな、私をはじめ新城市民は。
ホント、選挙の時にはよくよく考えないといけない。
2・政倫審は、協力姿勢を見せない審査対象者に何らかの措置を取ることは可能なのか?
「審査会の審査」と題された第7条第2号には、
『審査会は、審査の対象とされた議員(以下「対象議員」という。)に対する事情聴取、資料の要求その他の必要な調査を行うことができる』
と書いてある。
この審査会の「審査する権利」には強制力があるわけではなく、対象議員には1で挙げた「自ら誠実な態度を持って」に期待するほかないのが現状のようだ。
この1と2を鑑みて山崎議員の立場で考えてみると、まず彼は自らのしたことを「正しいこと」と考えているのだろう。
その「正しいこと」について何らかの疑いをかけられて、さらに警察沙汰にさえなっているというならば、政倫審で「黙っている」ことにも同情はできる。
政倫審で発言するより、然るべき場で(例えば警察の取り調べ時とか)発言して、自らの「正しいこと」を条例より高位の法律で判断してもらいたい、と考えるのも筋は通っているように思う。
あくまで推測だけど。
ということならば、政倫審は山崎議員が協力を拒んでいる理由を取り除く行動をとらなければならない。
つまり「この件で新城署に刑事告訴の手続きをとったとされている」という事実は無い、ということを山崎議員に証明してやればよかったのではないか?
そうすれば山崎議員は「捜査機関に先んじて内容を話すことは適当でない」という理由を失う。
それでもなお「明確な関与の存否の答えを得ること」を拒むのなら、これはもう明らかに条例違反だ。
白井議員のブログによれば、告訴は事実だが、その対象は山崎議員ではないとのこと。
→これ告訴状(クリックしてください)
確かに山崎議員が被告ではない。
こういう資料もあるのだし、政倫審は山崎議員の発言拒否の理由を取り除くことはできたはずだ。
山崎議員の条例に従わない不誠実な態度は全く容認できない。
しかし山崎議員の審査報告書の最後にある『政治倫理基準に違反する事実存否の確認まで入れなかったことをここに報告する』という政倫審の結論も情けない。
「事実存否の確認まで入れなかった」ことを解決できる手だてはあったはずだ。
というわけで、政倫審の在り方も少し考えてみよう。
(全員協議会というのは市議会議員さん全員で話し合う会議のこと。)
これについてはもう私があれこれ書くより、以下のブログを読んでもらう方がよくわかる。
新城市を変えるのはあなたですby市議会議員 白井倫啓
『全員協議会で、山崎議員の問題点が明らかに』
パパゲーノの夢
『怒りよりも落ち込んでしまった(政倫審の報告)』
是非読んでみてください。
前回の記事で書いた問題点については結局こういうことだ。
1・政倫審の審査に協力しない態度を取ることは何らかの条例違反になるのか?
これは「新城市議会議員政治倫理条例」の第2条第3号、
『議員は政治倫理基準に違反する事実があるとの疑惑を招かれ、政治的または道義的な批判を受けた時は、自ら誠実な態度を持って当疑惑を解明するようにしなければならない』
に違反していると考えられる。
具体的にどんな『協力しない』態度だったかというと、小野田議員のアップしてくれた山崎議員の審査結果報告書に書いてある。
・「2月8日には当人から「この件で新城署に刑事告訴の手続きをとったとされているので、現時点では捜査機関に先んじて内容を話すことは適当でない」との発言が繰り返され、明確な関与の存否の答えを得ることはできなかった。」
・「改めて4月15日の審査会への出席要請を行ったが、当人からは書面出席の意向が示され、直接の出席はかなわなかった。」
2月8日発言にはわずかながら同情できる部分もある。あとで書く。
しかし4月15日の件での本人が出席さえしない態度はどうだろう。条例で言うところの「自ら誠実な態度を持って」とはとても言えないだろう。
議員自らが政倫審という議会活動に背を向けたこの態度。
私たちが市政を託している議会に協力しない態度は、それはそのまま市民に対する態度と受け取ってもいいだろう。
選挙の時には知る由もなかったことだが、こういう人を議員に選んでしまったのだな、私をはじめ新城市民は。
ホント、選挙の時にはよくよく考えないといけない。
2・政倫審は、協力姿勢を見せない審査対象者に何らかの措置を取ることは可能なのか?
「審査会の審査」と題された第7条第2号には、
『審査会は、審査の対象とされた議員(以下「対象議員」という。)に対する事情聴取、資料の要求その他の必要な調査を行うことができる』
と書いてある。
この審査会の「審査する権利」には強制力があるわけではなく、対象議員には1で挙げた「自ら誠実な態度を持って」に期待するほかないのが現状のようだ。
この1と2を鑑みて山崎議員の立場で考えてみると、まず彼は自らのしたことを「正しいこと」と考えているのだろう。
その「正しいこと」について何らかの疑いをかけられて、さらに警察沙汰にさえなっているというならば、政倫審で「黙っている」ことにも同情はできる。
政倫審で発言するより、然るべき場で(例えば警察の取り調べ時とか)発言して、自らの「正しいこと」を条例より高位の法律で判断してもらいたい、と考えるのも筋は通っているように思う。
あくまで推測だけど。
ということならば、政倫審は山崎議員が協力を拒んでいる理由を取り除く行動をとらなければならない。
つまり「この件で新城署に刑事告訴の手続きをとったとされている」という事実は無い、ということを山崎議員に証明してやればよかったのではないか?
そうすれば山崎議員は「捜査機関に先んじて内容を話すことは適当でない」という理由を失う。
それでもなお「明確な関与の存否の答えを得ること」を拒むのなら、これはもう明らかに条例違反だ。
白井議員のブログによれば、告訴は事実だが、その対象は山崎議員ではないとのこと。
→これ告訴状(クリックしてください)
確かに山崎議員が被告ではない。
こういう資料もあるのだし、政倫審は山崎議員の発言拒否の理由を取り除くことはできたはずだ。
山崎議員の条例に従わない不誠実な態度は全く容認できない。
しかし山崎議員の審査報告書の最後にある『政治倫理基準に違反する事実存否の確認まで入れなかったことをここに報告する』という政倫審の結論も情けない。
「事実存否の確認まで入れなかった」ことを解決できる手だてはあったはずだ。
というわけで、政倫審の在り方も少し考えてみよう。
2016年06月30日 Posted by けま at 10:00 │Comments(0) │新城市議会│市政を考える
政倫審の結果が出た
市政に関する生資料のアップは浅尾議員の得意ワザだが(笑、今回は少し珍しいパターンがあった。
https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1036387116440845?pnref=story
こちら、小野田ナオミ議員のfacebook。
市議会の政治倫理審査会で審査の対象となっていた加藤芳夫議員、白井倫啓議員、山崎祐一議員の審査結果が各議員に配布されたものをアップしてくれた。
小野田ナオミ議員は政治倫理審査会の副委員長であると同時に、議会の広報に力を入れた活動をされている。
市民が関心を持っていることをいち早く公開してくれた今回の動きは、実に良い仕事ぶりだと思う。
本当はこの件に関する小野田議員ご自身の意見も聞いてみたいところだが、なかなか立場上話しづらいこともあるだろうかと思っていたら、同じくfacebookで、
https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1036848759728014
ということだ。
厳密に読めば小野田議員が答えるわけではなさそうだが、「結果も出たし、公開したからハイ終わり」ではなく、議会報告会できちんと疑問質問を受け付けるらしい。
この辺の流れ、なかなかいい感じだ。議会報告会でどんな質疑が行われるか楽しみになってきたw。
というわけだから、今回の政倫審の結果についてじっくり見てみよう。
まずは山崎議員の件だが、最近facebookの方で投稿が止まってるなと思っていたら政倫審の結果がでるまで控えていたらしい。
で、こんなことを書いている。
https://www.facebook.com/yuichi.ymz/posts/1789546034590354
この人の文章ってとても読みにくくて、意味が取りにくいというか図り難いのだけれども、そんな中でも極めつけの『 ??? 』となる文章がこれ。
『半年にわたって調べたが、本人が協力しないので、条例違反の事実認否ができなかったといった内容でした。』
という部分。
『本人が協力しないので』
・・・この『 本 人 』って一体誰?
『半年にわたって調べたが、』、つまり政倫審が半年にわたって調べたけれども、『条例違反の事実認否ができなかった』わけでしょ?
政倫審さん、それはなぜ? と訊ねたら、『本人が協力しないので、』 という答え。
という組み立ての文章であるのは間違いない。
この組立からいけば、本人てのはすなわち山崎議員 に間違いない。
そうとしか理解できない。
で、激しく疑問なのが、山崎議員が自分で「本人(山崎議員)が協力しないので、」と書いちゃってるところだよ!
普通の感覚なら「いや私はちゃんと協力しましたが・・・」とか、「なぜ協力しなかったかと言えば・・・」とか、何らかの「協力しなかった理由」が述べられるところだろう。
それを「私、協力しませんでしたよ、ええ。」・・・・とは書かれていないが、開き直りにも見えるようなこの書きっぷり。
・・・なにか意図があるのか?
ここで疑問になることは、
1・政倫審の審査に協力しない態度を取ることは何らかの条例違反になるのか?
2・政倫審は、協力姿勢を見せない審査対象者に何らかの措置を取ることは可能なのか?
ということだろうか。
条例にこの開き直りを解釈するカギがありそうだ。
改めて「新城市議会議員政治倫理条例」を読んでみよう。
長くなったので続く。
https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1036387116440845?pnref=story
こちら、小野田ナオミ議員のfacebook。
市議会の政治倫理審査会で審査の対象となっていた加藤芳夫議員、白井倫啓議員、山崎祐一議員の審査結果が各議員に配布されたものをアップしてくれた。
小野田ナオミ議員は政治倫理審査会の副委員長であると同時に、議会の広報に力を入れた活動をされている。
市民が関心を持っていることをいち早く公開してくれた今回の動きは、実に良い仕事ぶりだと思う。
本当はこの件に関する小野田議員ご自身の意見も聞いてみたいところだが、なかなか立場上話しづらいこともあるだろうかと思っていたら、同じくfacebookで、
https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1036848759728014
ということだ。
厳密に読めば小野田議員が答えるわけではなさそうだが、「結果も出たし、公開したからハイ終わり」ではなく、議会報告会できちんと疑問質問を受け付けるらしい。
この辺の流れ、なかなかいい感じだ。議会報告会でどんな質疑が行われるか楽しみになってきたw。
というわけだから、今回の政倫審の結果についてじっくり見てみよう。
まずは山崎議員の件だが、最近facebookの方で投稿が止まってるなと思っていたら政倫審の結果がでるまで控えていたらしい。
で、こんなことを書いている。
https://www.facebook.com/yuichi.ymz/posts/1789546034590354
この人の文章ってとても読みにくくて、意味が取りにくいというか図り難いのだけれども、そんな中でも極めつけの『 ??? 』となる文章がこれ。
『半年にわたって調べたが、本人が協力しないので、条例違反の事実認否ができなかったといった内容でした。』
という部分。
『本人が協力しないので』
・・・この『 本 人 』って一体誰?
『半年にわたって調べたが、』、つまり政倫審が半年にわたって調べたけれども、『条例違反の事実認否ができなかった』わけでしょ?
政倫審さん、それはなぜ? と訊ねたら、『本人が協力しないので、』 という答え。
という組み立ての文章であるのは間違いない。
この組立からいけば、本人てのはすなわち山崎議員 に間違いない。
そうとしか理解できない。
で、激しく疑問なのが、山崎議員が自分で「本人(山崎議員)が協力しないので、」と書いちゃってるところだよ!
普通の感覚なら「いや私はちゃんと協力しましたが・・・」とか、「なぜ協力しなかったかと言えば・・・」とか、何らかの「協力しなかった理由」が述べられるところだろう。
それを「私、協力しませんでしたよ、ええ。」・・・・とは書かれていないが、開き直りにも見えるようなこの書きっぷり。
・・・なにか意図があるのか?
ここで疑問になることは、
1・政倫審の審査に協力しない態度を取ることは何らかの条例違反になるのか?
2・政倫審は、協力姿勢を見せない審査対象者に何らかの措置を取ることは可能なのか?
ということだろうか。
条例にこの開き直りを解釈するカギがありそうだ。
改めて「新城市議会議員政治倫理条例」を読んでみよう。
長くなったので続く。
2016年06月29日 Posted by けま at 15:06 │Comments(0) │新城市議会│市政を考える
新しい校名は? 2
前回から続いてこの校名に関する記事は、全てロクに調べもしないで勝手な私の妄想で書いていることをご了承くださいよ(笑
さて、時習館高校や成章高校の校名には地名がついていない。
例えば「豊橋時習館高校」とか「吉田時習館高校」、「田原成章高校」とか。
で、新城高校・新城東高校の統合新校名候補は「新城有教館」だ。
なんでこちらの新校名には地名の「新城」がついているのだろう?
今回の統合の件、在校生にしても卒業生にしても母校の校名がどういう扱いになるのか、気になっている人も多いだろう。
できるなら母校の校名は残ってほしい。卒業後に母校名が消えている、なんてのは悲しい。
一番無難なのは両校名をくっつけることだ。
「新城」高校 + 「新城東」高校 か。
どっちも「新城」がつくもんで、新校名にゃ「新城」を残せばどちらの関係者にもとりあえず納得してもらえるかのん。
(あいかわらずヘタな三河弁でスマン)
というところだろう。
つまり「新城有教館」の「新城」は地名というより、「新城高校」と「新城東高校」の両校名を慮ったモノ、といえるだろう。
ということは 「新城有教館」 = 「新城」 + 「有教館」 という構造になるワケだが、
じゃあ「有教館」部分は新城高校、新城東高校の両校関係者ともに納得している部分なのかね?
前回「有教館」は東三河の進学校の雄「時習館」に憧れた末の名前、と書いた。
すなわち、「進学校目線」の名前なのだ。
そして「進学校」とは同時に「普通科」と言ってもよい。
差別的な書き方になることが心苦しいが、いわゆる「進学校」といえば同時に「普通科」を指していることは明らかな事実だ。
学習塾の宣伝文句を見ればわかる。
地域の有名高校に○○名合格!と書かれたポスターの『有名高校』に実業科高校の名前は無い。実業科高校卒業生の大学進学者はかなり数が少ないから、「ウチに入れば有名高校から大学進学への道が確実ですよ!」を謳いたい学習塾には眼中に無いのだ。
それくらい「進学校」=「普通科」が当たり前になっている。
それは新城東高校関係者にとっても当たり前になっているのではあるまいか。
つまり「有教館」という名前は、「進学校目線」→「普通科目線」→「新城東高校関係者目線」のネーミングセンスなのだ。
さらに妄想をたくましくする(笑。
「新城東高校関係者目線」からすれば、「新城有教館」の「新城」部分は「新城高校」で、「有教館」部分は「新城東高校」とさえ思っているのではあるまいか。
なんというウエメセだ!ww
両校に関係する「新城」のみを校名にすればいいじゃないか。
「新城高校」。
その歴史をちょいと調べてみると、
1910年 - 新城実科高等女学校(後の愛知県立新城高等女学校)創立。
1918年 - 愛知県立農蚕学校(後の愛知県立新城農蚕学校)創立。
1948年10月 - 愛知県立新城高等学校、愛知県立新城農蚕高等学校、愛知県立鳳来寺高等学校を統合し、愛知県立新城高等学校(普通科、家政科、農業科、商業科)が発足。旧新城農蚕高校校地の本校と鳳来寺分校を置く。
1972年 - 普通科を分離独立して、愛知県立新城東高等学校を創設。普通科2,3年生は新城東高校へ転籍。
(ウィキペディアより)
新城東高校も元々は新城高校だったのだ。
また元に戻るのだから校名も「新城高校」に戻ればいいのだ。
そして新城高校の成立は「愛知県立新城高等女学校」と「愛知県立新城農蚕学校」の統合からだ。
古いことはわからないけれども、男女平等の意識に乏しかったと思われる1910年=明治43年に「女子」の「高等教育」を目指した学校が新城にできたことは誇りとしてよいと思う。
「農蚕学校」は地域産業の担い手を養成する目的だろう。
地域産業の育成と女子の高等教育を目指した学校が新城高校の前身なのだ。
これは東三河に十分誇ることのできる立派な歴史だ。
それに対して、藩校は藩士(武士)という当時の特権階級への教育を目指したものだ。
「有教館」とはそういう意味も含んでしまうのだ。
それならば「新城高校」の方が、武士なんかではない田舎者の我らによっぽど相応しい。
むしろ成立の経緯を鑑みれば、いち早く女子への高等教育を目指した先進性や地元産業の育成を目指した地元への愛着が垣間見える「新城高校」を私は誇りに感ずるよ。
まー、そういうわけだで「新城高校」でええじゃないかのん。
(私は新城東高校卒業生だでのん)
ちなみに愛知県立鳳来寺高等学校の前身も
・1935年(昭和10年) - 鳳来寺立鳳来寺女子高等学園(ウィキペディアより)
だそうで、新城奥三河地域は女子の教育に力を入れてたのかね?
こういう歴史、大事にしていこうよ。
さて、時習館高校や成章高校の校名には地名がついていない。
例えば「豊橋時習館高校」とか「吉田時習館高校」、「田原成章高校」とか。
で、新城高校・新城東高校の統合新校名候補は「新城有教館」だ。
なんでこちらの新校名には地名の「新城」がついているのだろう?
今回の統合の件、在校生にしても卒業生にしても母校の校名がどういう扱いになるのか、気になっている人も多いだろう。
できるなら母校の校名は残ってほしい。卒業後に母校名が消えている、なんてのは悲しい。
一番無難なのは両校名をくっつけることだ。
「新城」高校 + 「新城東」高校 か。
どっちも「新城」がつくもんで、新校名にゃ「新城」を残せばどちらの関係者にもとりあえず納得してもらえるかのん。
(あいかわらずヘタな三河弁でスマン)
というところだろう。
つまり「新城有教館」の「新城」は地名というより、「新城高校」と「新城東高校」の両校名を慮ったモノ、といえるだろう。
ということは 「新城有教館」 = 「新城」 + 「有教館」 という構造になるワケだが、
じゃあ「有教館」部分は新城高校、新城東高校の両校関係者ともに納得している部分なのかね?
前回「有教館」は東三河の進学校の雄「時習館」に憧れた末の名前、と書いた。
すなわち、「進学校目線」の名前なのだ。
そして「進学校」とは同時に「普通科」と言ってもよい。
差別的な書き方になることが心苦しいが、いわゆる「進学校」といえば同時に「普通科」を指していることは明らかな事実だ。
学習塾の宣伝文句を見ればわかる。
地域の有名高校に○○名合格!と書かれたポスターの『有名高校』に実業科高校の名前は無い。実業科高校卒業生の大学進学者はかなり数が少ないから、「ウチに入れば有名高校から大学進学への道が確実ですよ!」を謳いたい学習塾には眼中に無いのだ。
それくらい「進学校」=「普通科」が当たり前になっている。
それは新城東高校関係者にとっても当たり前になっているのではあるまいか。
つまり「有教館」という名前は、「進学校目線」→「普通科目線」→「新城東高校関係者目線」のネーミングセンスなのだ。
さらに妄想をたくましくする(笑。
「新城東高校関係者目線」からすれば、「新城有教館」の「新城」部分は「新城高校」で、「有教館」部分は「新城東高校」とさえ思っているのではあるまいか。
なんというウエメセだ!ww
両校に関係する「新城」のみを校名にすればいいじゃないか。
「新城高校」。
その歴史をちょいと調べてみると、
1910年 - 新城実科高等女学校(後の愛知県立新城高等女学校)創立。
1918年 - 愛知県立農蚕学校(後の愛知県立新城農蚕学校)創立。
1948年10月 - 愛知県立新城高等学校、愛知県立新城農蚕高等学校、愛知県立鳳来寺高等学校を統合し、愛知県立新城高等学校(普通科、家政科、農業科、商業科)が発足。旧新城農蚕高校校地の本校と鳳来寺分校を置く。
1972年 - 普通科を分離独立して、愛知県立新城東高等学校を創設。普通科2,3年生は新城東高校へ転籍。
(ウィキペディアより)
新城東高校も元々は新城高校だったのだ。
また元に戻るのだから校名も「新城高校」に戻ればいいのだ。
そして新城高校の成立は「愛知県立新城高等女学校」と「愛知県立新城農蚕学校」の統合からだ。
古いことはわからないけれども、男女平等の意識に乏しかったと思われる1910年=明治43年に「女子」の「高等教育」を目指した学校が新城にできたことは誇りとしてよいと思う。
「農蚕学校」は地域産業の担い手を養成する目的だろう。
地域産業の育成と女子の高等教育を目指した学校が新城高校の前身なのだ。
これは東三河に十分誇ることのできる立派な歴史だ。
それに対して、藩校は藩士(武士)という当時の特権階級への教育を目指したものだ。
「有教館」とはそういう意味も含んでしまうのだ。
それならば「新城高校」の方が、武士なんかではない田舎者の我らによっぽど相応しい。
むしろ成立の経緯を鑑みれば、いち早く女子への高等教育を目指した先進性や地元産業の育成を目指した地元への愛着が垣間見える「新城高校」を私は誇りに感ずるよ。
まー、そういうわけだで「新城高校」でええじゃないかのん。
(私は新城東高校卒業生だでのん)
ちなみに愛知県立鳳来寺高等学校の前身も
・1935年(昭和10年) - 鳳来寺立鳳来寺女子高等学園(ウィキペディアより)
だそうで、新城奥三河地域は女子の教育に力を入れてたのかね?
こういう歴史、大事にしていこうよ。
2016年06月21日 Posted by けま at 03:47 │Comments(8) │新城市高校統合
新しい校名は?
https://www.facebook.com/tomonaga.osada/posts/581578888680446?pnref=story
新城市にある2つの高校が統合されるとのニュース。
統合後の校名は「新城有教館高校」が候補にあがっているらしい。
さてこの「有教館」。新城藩に嘗てあった藩校の名前とのことだ。
豊橋にある時習館高校の「時習館」も豊橋は吉田藩の藩校名だそうで、どちらも藩校名つながりだ。
ちなみに田原市にある「成章高校」。こちらも渡辺崋山で有名な田原藩の藩校「成章館」がその由来だ。
「有教館」と「時習館」、実に似ている。
この校名を提案した人、絶対に「時習館高校」を意識したに違いない。
成章高校みたいに「有教高校」でもよかったはずだ。「時習」や「成章」そして「有教」、どれも論語の中の言葉だ。その言葉の意味をその学校での教育に敷衍させるのなら「館」まで含める必要はない。
しかし有教「館」である。 絶 対 に 「時習館」を意識しているに決まってる。
東三河の人間にとって「時習館高校」の校名には特別な響きがある。
何と言っても地元では超有名な進学校。新城から時習館高校に通学することは、ひとつのステイタスだ。
古い人間なんで今の入試制度に疎いのを承知で言うが、豊橋Ⅰ群を受験して見事合格したはイイが「時習館」に振り分けられるか「豊橋南」に振り分けられるかで周囲の見方はずいぶん違ったモノだ。
新城の教育関係の人たちには「時習館」という名前には、憧れや羨望する気持ちが潜在していたのだろう。
そこへ降って湧いた「高校統合」の話だ。新しい校名を付けることができるチャンスが巡ってきたのだ。
ちょっと調べてみたがノン、新城には昔「有教館」とかいう藩校があったそうだのん。
お~、そりゃあええが。「時習館」みたいじゃんか。
いいじゃん、いいじゃん「有教館」! その名前にせまい。
これでわしゃらがも「時習館」に肩を並べれるに。
とかいうノリで決めたに違いない。(下手くそな三河弁でゴメン)
あ~イヤだ。田舎モンの薄っぺらい卑屈な自尊心が見え透いているようで怖気が立つ。
今さら「有教館」なんて、絶対全東三河人が「新城のヤツら、時習館のマネしたよw」とニヤニヤ笑うに決まってる。
その通りだよ、ただの猿真似だよ。歴史も、気概も、教育に対する思いも何にも感じられないよ。
ただのマネだもんな。
「時習館」と、当時名づけた豊橋の人たちはどういう思いだったのだろう。
「成章」と、当時名づけた田原の人たちはどういう思いだったのか。
なぜ、新城高校又は新城東高校が設立される時に、当時の新城の人たちは「有教館」と名付けなかったのか?
きっと豊橋、田原の人たちは地元の歴史を深く知っており、その歴史に誇りを持っていたのだろう。
その歴史と教育に対する期待とが融合すれば、多分必然的に『藩校』に行き着くのではあるまいか。
そこには「進学校として有名になってやろう」などという教育の本質からズレた意識はなかったに違いない。
新城人には、残念ながら当時そういう意識はなかったのだろう。
その代り今、「進学校に憧れる」という薄っぺらい気持ちで「有教館」と名付けようとしている。
新城の歴史的な形容詞に「山湊馬浪」という言葉がある。
これは『町』の営みを形容していると言っていいだろう。物資の移動による商いの盛んな様を表している。
新城は「町人」の街なのだな。思うに、新城には武家的な遺構や文化は少ないように感じる。
だから「藩校」という発想に行き着かなかったのではあるまいか。
しかし新城には太田白雪を案内に松尾芭蕉が来たとかの例にみるように、町の文化度とか俳句や連歌を可能にする町人達の教養の高さがあったのではなかろうか。
調べてないからあるかどうかわからんけど、それなら町人の教育に貢献した私塾の名前とかさ、そういう人物の雅号とか、そんなのを校名にできたら個性的だし歴史も感じられていいじゃん。そういうさ、少しヒネリをきかせた校名にしたいものだよ、せめて。
続けます。
新城市にある2つの高校が統合されるとのニュース。
統合後の校名は「新城有教館高校」が候補にあがっているらしい。
さてこの「有教館」。新城藩に嘗てあった藩校の名前とのことだ。
豊橋にある時習館高校の「時習館」も豊橋は吉田藩の藩校名だそうで、どちらも藩校名つながりだ。
ちなみに田原市にある「成章高校」。こちらも渡辺崋山で有名な田原藩の藩校「成章館」がその由来だ。
「有教館」と「時習館」、実に似ている。
この校名を提案した人、絶対に「時習館高校」を意識したに違いない。
成章高校みたいに「有教高校」でもよかったはずだ。「時習」や「成章」そして「有教」、どれも論語の中の言葉だ。その言葉の意味をその学校での教育に敷衍させるのなら「館」まで含める必要はない。
しかし有教「館」である。 絶 対 に 「時習館」を意識しているに決まってる。
東三河の人間にとって「時習館高校」の校名には特別な響きがある。
何と言っても地元では超有名な進学校。新城から時習館高校に通学することは、ひとつのステイタスだ。
古い人間なんで今の入試制度に疎いのを承知で言うが、豊橋Ⅰ群を受験して見事合格したはイイが「時習館」に振り分けられるか「豊橋南」に振り分けられるかで周囲の見方はずいぶん違ったモノだ。
新城の教育関係の人たちには「時習館」という名前には、憧れや羨望する気持ちが潜在していたのだろう。
そこへ降って湧いた「高校統合」の話だ。新しい校名を付けることができるチャンスが巡ってきたのだ。
ちょっと調べてみたがノン、新城には昔「有教館」とかいう藩校があったそうだのん。
お~、そりゃあええが。「時習館」みたいじゃんか。
いいじゃん、いいじゃん「有教館」! その名前にせまい。
これでわしゃらがも「時習館」に肩を並べれるに。
とかいうノリで決めたに違いない。(下手くそな三河弁でゴメン)
あ~イヤだ。田舎モンの薄っぺらい卑屈な自尊心が見え透いているようで怖気が立つ。
今さら「有教館」なんて、絶対全東三河人が「新城のヤツら、時習館のマネしたよw」とニヤニヤ笑うに決まってる。
その通りだよ、ただの猿真似だよ。歴史も、気概も、教育に対する思いも何にも感じられないよ。
ただのマネだもんな。
「時習館」と、当時名づけた豊橋の人たちはどういう思いだったのだろう。
「成章」と、当時名づけた田原の人たちはどういう思いだったのか。
なぜ、新城高校又は新城東高校が設立される時に、当時の新城の人たちは「有教館」と名付けなかったのか?
きっと豊橋、田原の人たちは地元の歴史を深く知っており、その歴史に誇りを持っていたのだろう。
その歴史と教育に対する期待とが融合すれば、多分必然的に『藩校』に行き着くのではあるまいか。
そこには「進学校として有名になってやろう」などという教育の本質からズレた意識はなかったに違いない。
新城人には、残念ながら当時そういう意識はなかったのだろう。
その代り今、「進学校に憧れる」という薄っぺらい気持ちで「有教館」と名付けようとしている。
新城の歴史的な形容詞に「山湊馬浪」という言葉がある。
これは『町』の営みを形容していると言っていいだろう。物資の移動による商いの盛んな様を表している。
新城は「町人」の街なのだな。思うに、新城には武家的な遺構や文化は少ないように感じる。
だから「藩校」という発想に行き着かなかったのではあるまいか。
しかし新城には太田白雪を案内に松尾芭蕉が来たとかの例にみるように、町の文化度とか俳句や連歌を可能にする町人達の教養の高さがあったのではなかろうか。
調べてないからあるかどうかわからんけど、それなら町人の教育に貢献した私塾の名前とかさ、そういう人物の雅号とか、そんなのを校名にできたら個性的だし歴史も感じられていいじゃん。そういうさ、少しヒネリをきかせた校名にしたいものだよ、せめて。
続けます。
2016年06月18日 Posted by けま at 05:44 │Comments(4) │新城市高校統合
こちらに載せておこう


『意見を言うなら実名を晒せ』と。 こういうことだ。
実名晒さない限りはその意見にコメントもしないし、考えることもしない。
まずは実名を晒せ、それからスタートだ、 と。
実名を明かすことに抵抗のある方はいる。そういう人にはその人なりの実情がある。
ご近所付き合い、仕事の関係、自分だけならいいが親や子供が特定されてしまう可能性などなど。
それでも「おかしい」と思ったことには何か意見を言いたくなる。
その意見には匿名であっても信念はあるだろう。
今は「申し訳なく思っております 」という匿名で「堂々とこいや!」にコメントされている方、今は消されているが「私も乳癌」にコメントした方だと思われる。
今でも匿名なのはやはり事情があって実名は晒したくないのだろう。
こちらのコメントの内容は
1・「『私も乳癌』というタイトルは誤解を招くし、むしろ釣りに見える」
2・「今は『私も乳癌にならぬよう』というタイトルになっているので、萌萌さんの何らかの事情で意図せず『私も乳癌』でアップしてしまったのなら私の誤解です。ごめんなさい。」
というもの。
言われのない誹謗中傷ではないし(是非はともかく)、コメントされた方は萌萌氏の事情まで斟酌している。
丁寧な方だ。
これキャッシュが残っていて、(グーグルでは魚拓が取れないみたいなのでプリントスクリーンしたものを貼ります)


確かに「私も乳癌」というタイトルだった。
というか、私もこのブログ読んだので覚えている。
信念を貫いている、というなら「私も乳癌」のままにしておくべきだろう。
それを変更した理由は何なのだろう?
揚げ足をとるようだけれども、「理由も書かずに手前勝手にタイトル変更して、どこに信念があるんだ?」と思う。
「申し訳なく思っております 」さんは、ブログの内容とタイトルの食い違いに意見をしたのに、そのタイトルが現在説明なく書き替えられているのだから、「申し訳なく思っております 」さんにしてみれば「なんでタイトル変わっているの?」と思うのが当然だ。
あちらは東三河全体に発信できる媒体を持ち、ブログのPV数は一日1000を超える強力な発信力を誇る有名人だ。
そんな人が「実名晒せ」とゴリ押ししてくるなんて恐怖以外の何ものでもない。
あちらの筋違いを指摘せず、ご自身の意見は曲げず、最後にはあちらの事情を斟酌する。
「申し訳なく思っております」さんの方がはるかに礼儀正しい。
ま、実情はきっとそんな小難しいことではなくて、「申し訳なく思っております」さんの推測通り「タイトル書き間違いのままアップしてしまった」だけのことだろう。
お互いの行き違いでお互いが誤解してしまった、という風に見える。
萌萌氏が「タイトル付け間違えちゃった、ゴメン」で済むことではあるまいか。
むしろ、最初に触れた「文句あるなら実名晒せ」という部分に強い違和感を覚える。
強力な発信力を持つ萌萌氏がこういう事言うのに対して「もう少し自分の『力』というものに自覚的であってほしい」と思うが、この「実名晒せ」に同意している方が多いのにも困惑する。
これ、住民投票のときの「署名簿は縦覧できる」に通じる考え方だ。
実名明かさないと意見が言えない・言う資格がないなんて、そんな世の中を望んでいるのか?
2016年06月16日 Posted by けま at 09:25 │Comments(0)
6月議会始まる
6月10日から6月議会が始まっている。
毎回取り上げている産廃問題。
タナカ興業が4月から操業を始めて以来、初めての市議会だ。そして5月には、前々から懸念されていた悪臭が発生した。
市南部で持ち上がっている問題とはいえ、悪臭は市南部だけにしか影響しないとはいえない。
その他にも情報公開によりタナカ興業と市とのやり取りに不可解な点があることがわかったり、工場建物の一部が当初と異なり開放されてしまっていることなどなど、追求してほしいことはいくつもある。
この6月議会で議員さんたちは果たして産廃問題について質問するのだろうか?
『一般質問通告者と件名(6月定例会)』→http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,44886,122,824,html
市のHPには6月議会についての情報が載っている。
上に挙げたページで、議員さんが今議会でどんな質問をするのかがわかる。
詳細はこちら↓(http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,44886,c,html/44886/20160608-151253.pdf)
今回産廃問題を取り上げてくれる議員のひとりは浅尾洋平議員。
毎回市民のもっとも懸念としている問題を取り上げてくれるありがたい存在だ。
質問内容は、『 1.市内八名地区の産廃問題について 』。
3つ質問する中で一番最初に産廃問題を取り上げてくれている。浅尾議員も重要な問題と位置づけてくれているのだろう。
あとの二人は、山口洋一議員・中西宏彰議員。
市のHPには議員紹介のページがあって、(http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,34382,122,587,html)
そこには議員さん方の住所が載っている。
山口議員は富岡、中西議員は一鍬田、共に八名地区の議員さんだ。
となれば産廃問題を無視するわけにはいかないだろう。
山口議員の質問内容は、『 3.産業廃棄物処理施設における臭気漏れについて 』。
3つの質問のうちの3番目。
御本人としては深く考えていないのかしれないが、この順番に山口議員の意識が表れているのではなかろうか。
地元の問題とは言っても、ご本人はめんどくさがっているのかもね。
中西議員の質問内容は、
『 1.新城南部企業団地産業廃棄物処理施設の操業開始に伴う対応について 』
このひとつだけ。
60分まるまる産廃問題を取り上げてくれるのはヤル気の表れかもしれない。期待したいものだ。
今議会12人の議員が質問するうち、3人の議員さんが産廃問題を取り上げている。
これをどう見るか。
他の議員さんたちが取り上げていないのは、まだまだ産廃問題が市全体の問題とは認識されていない一つの証拠とも言えるだろうか。
または取り上げられない理由があるのか。
白井議員のブログでは、経済建設委員でタナカ興業の臭いをかぎに行ったと書いてあった。
経済建設委員は、柴田賢治郎議員 下江洋行議員 白井倫啓議員 滝川健司議員 の4人。
下江議員は議長なので質問はできないにしても、後の3人は現場に行っており現状を確認しているのに取り上げないのはその必要が無いとの認識だろうか。
タナカ興業からの悪臭が発生した時に、小野田直美議員がご自身のfacebookで触れられている。
こちら→https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1013327115413512?pnref=story
画像つきでその時の様子がわかる。なかなか良いのだけれども、コメントが気になる。
「臭った」とか「確かに悪臭が」とか、肝心の『におい』に関して一言も触れられていないのは不自然な感じだ。
他の議員さんで産廃問題関連になにかアクションを起こしていたり、コメントしたりしてるのを見かけた覚えはない。
もちろん私の知らないところで気にかけている議員もいるのかもしれないけれども、それならやっぱり議会で質問するべきだろう。
なんだか議員さんの間で、産廃問題には地元議員以外触れないとかいう約束事でも交わしたのか? とか疑ってしまいたくなるような感じだね。
今議会、傍聴に行けなくて残念だけれども、以上の3人の議員の質問に対し市がどう答えるのか興味がある。
3人はどれくらい食い下がって市に迫るのか、期待したい。
毎回取り上げている産廃問題。
タナカ興業が4月から操業を始めて以来、初めての市議会だ。そして5月には、前々から懸念されていた悪臭が発生した。
市南部で持ち上がっている問題とはいえ、悪臭は市南部だけにしか影響しないとはいえない。
その他にも情報公開によりタナカ興業と市とのやり取りに不可解な点があることがわかったり、工場建物の一部が当初と異なり開放されてしまっていることなどなど、追求してほしいことはいくつもある。
この6月議会で議員さんたちは果たして産廃問題について質問するのだろうか?
『一般質問通告者と件名(6月定例会)』→http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,44886,122,824,html
市のHPには6月議会についての情報が載っている。
上に挙げたページで、議員さんが今議会でどんな質問をするのかがわかる。
詳細はこちら↓(http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,44886,c,html/44886/20160608-151253.pdf)
今回産廃問題を取り上げてくれる議員のひとりは浅尾洋平議員。
毎回市民のもっとも懸念としている問題を取り上げてくれるありがたい存在だ。
質問内容は、『 1.市内八名地区の産廃問題について 』。
3つ質問する中で一番最初に産廃問題を取り上げてくれている。浅尾議員も重要な問題と位置づけてくれているのだろう。
あとの二人は、山口洋一議員・中西宏彰議員。
市のHPには議員紹介のページがあって、(http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,34382,122,587,html)
そこには議員さん方の住所が載っている。
山口議員は富岡、中西議員は一鍬田、共に八名地区の議員さんだ。
となれば産廃問題を無視するわけにはいかないだろう。
山口議員の質問内容は、『 3.産業廃棄物処理施設における臭気漏れについて 』。
3つの質問のうちの3番目。
御本人としては深く考えていないのかしれないが、この順番に山口議員の意識が表れているのではなかろうか。
地元の問題とは言っても、ご本人はめんどくさがっているのかもね。
中西議員の質問内容は、
『 1.新城南部企業団地産業廃棄物処理施設の操業開始に伴う対応について 』
このひとつだけ。
60分まるまる産廃問題を取り上げてくれるのはヤル気の表れかもしれない。期待したいものだ。
今議会12人の議員が質問するうち、3人の議員さんが産廃問題を取り上げている。
これをどう見るか。
他の議員さんたちが取り上げていないのは、まだまだ産廃問題が市全体の問題とは認識されていない一つの証拠とも言えるだろうか。
または取り上げられない理由があるのか。
白井議員のブログでは、経済建設委員でタナカ興業の臭いをかぎに行ったと書いてあった。
経済建設委員は、柴田賢治郎議員 下江洋行議員 白井倫啓議員 滝川健司議員 の4人。
下江議員は議長なので質問はできないにしても、後の3人は現場に行っており現状を確認しているのに取り上げないのはその必要が無いとの認識だろうか。
タナカ興業からの悪臭が発生した時に、小野田直美議員がご自身のfacebookで触れられている。
こちら→https://www.facebook.com/naomi.onoda.7/posts/1013327115413512?pnref=story
画像つきでその時の様子がわかる。なかなか良いのだけれども、コメントが気になる。
「臭った」とか「確かに悪臭が」とか、肝心の『におい』に関して一言も触れられていないのは不自然な感じだ。
他の議員さんで産廃問題関連になにかアクションを起こしていたり、コメントしたりしてるのを見かけた覚えはない。
もちろん私の知らないところで気にかけている議員もいるのかもしれないけれども、それならやっぱり議会で質問するべきだろう。
なんだか議員さんの間で、産廃問題には地元議員以外触れないとかいう約束事でも交わしたのか? とか疑ってしまいたくなるような感じだね。
今議会、傍聴に行けなくて残念だけれども、以上の3人の議員の質問に対し市がどう答えるのか興味がある。
3人はどれくらい食い下がって市に迫るのか、期待したい。
2016年06月13日 Posted by けま at 04:10 │Comments(0) │新城市議会│産廃問題
理屈めいているが
「悪臭被害」はどの時点で発生するのだろうか?
例えばだが、悪臭監視員とかいう市の職員がいて(私が勝手に妄想した全くの架空の存在です)市内を巡回している。
で、その悪臭監視員は悪臭を感じたら直ちに市の担当課に連絡、すぐさま担当職員は臭気を判定する機械をその場に持ち込んで臭気判定を行う。
この時点で地域の臭気指数規制値を超える値が観測されれば、「悪臭被害発生!」となる。
と、こんな感じで、市が積極的に臭気観測をしてくれれば悪臭を出している事業者はビビるだろうなぁ。
地域の住民だって、市が「悪臭発生してますね!」と積極的に認定してくれれば気苦労も減るだろう。
ところが実態はそうではなく、地域住民が市に連絡を入れてようやく市の担当課職員が出張ってくるものらしい。
その後臭気指数が確定されるわけで、これは新聞記事にもなった。
このことは産廃問題ではいつもお世話になっている山本拓哉さんのブログでも記事になっている。
「新城市の悪臭報告 なんじゃこりゃ??」(「山本拓哉のひとりごと」より)→http://takuya-y.jugem.jp/?eid=2686
先日6月5日に開催された「新城産廃反対者連絡会」に参加してきた。
この連絡会で、先ほどの新聞記事にもなった悪臭被害時の顛末を聞かせてもらった。
このことからわかったこと、すなわち「悪臭被害発生」のためには
1・市民が連絡して市に現場に来てもらわなければならない。
2・市が測定してくれて、そして臭気指数規制値を超えたことが確認される。
というプロセスを経なければならない、と言えるだろう。
これは逆に言えば、「住民が連絡しなければ悪臭被害は発生しない」ということではないか?
「住民が連絡しなければ悪臭は存在しない」とも言えるだろうか。
だからこそ、「悪臭通報は市民の責務」と山本さんは言うのだろう。
山本さんのブログより「悪臭通報は市民の責務」→http://takuya-y.jugem.jp/?eid=2683
これらの事で、私は先のブログで気になっていたことがそんなに心配することもないかと思うようになった。

上の図は市のHPにある「臭気指数規制方式に係る規制地域」
↓ ここをクリックして実物をどうぞ。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8516,c,html/8516/20160229-135759.pdf
クリックしたリンク先の図を見てもらえれば、タナカ興業のある新城南部企業団地は第3種地域で臭気指数18が基準となっていることがわかる。
この臭気規制をさらに厳しくして、タナカ興業からの悪臭を強力に抑制させようという意見があるのだが、これは同時に同じ企業団地にある横浜ゴムなどの事業者にも適用されることにもなる。
すると僅かな悪臭の発生でタナカ興業だけでなくその他の事業者に対しても「立入検査や監視測定」の対象としなくてはならなくなる。
前のブログでも書いた通り横浜ゴムからは時々悪臭が漏れているように感じるが、それ以上に市にとって市民にとって永年に渡ってつき合ってきた重要なパートナーでもある企業だ。
その企業をタナカ興業と同じように規制の対象にしてしまうことは、新城市としては苦しいのではないか?、と考えていた。ゆえにタナカ興業に対して強い態度に出られないと。
しかし、悪臭被害の発生は住民の連絡があってからがスタートだ。
すなわち住民が「タナカ興業から臭ってます」と言えば、市としては「タナカ興業しか監視測定できない」はずだ。
市が「タナカ興業のお隣からも臭ってますね」とか言うことがあるとすれば、それは「連絡しなきゃ来ないくせに、連絡してもいないことをなんで殊更あげつらうんだ?」とか、「住民が連絡してない事業者にまで積極的に測定するなら、その積極さでもって毎日測定しに来るべきだ」とか、この前の悪臭発生時とは違う態度を逆に住民から責められることになるだろう(笑。
「タナカ興業から臭ってます」と連絡することで、結局のところ住民側が測定の対象を指定できてしまうのだな。
言い方は悪いけれども、例え横浜ゴムからの臭いがあったとしても住民がそのことを連絡しなければ「横浜ゴムからの悪臭」は存在しないことになるわけだ。
まさに「住民が連絡しなければ悪臭は存在しない」のだ。
市は住民からの悪臭連絡を忠実に受け取り実行すれば、自然にタナカ興業にだけ悪臭測定をすることになるはずだ。
そしてそれは公平さ、公正さに欠けるものではない。
連絡会では住民のみなさんの積極的な活動ぶりが窺えた。
そのあたりの模様は山本さんのブログを読んでもらうとして、私が「やるなぁ」と思ったのは、八名地区の地域協議会で間接的ではあるけれどもタナカ興業への対策事業の予算を取ったことだ。
これはある意味痛快だ。
知ってのとおり、新城市は南部地域産廃問題には消極的だ。
その逆に市長が積極的に推し進めているのは「市民自治」の目玉事業、地域協議会だ。
その地域協議会が持っている「地域活動交付金」から産廃対策費用を出させることに成功したのだから、これは実に愉快なことだ!
市長や議員の一部、担当の環境課など産廃問題には障害が多いけれども、今回の地域活動交付金に相応しい事業ならしっかり評価する地域協議会のようなところもある。
味方にできるモノは存分に使って、タナカ興業が環境破壊を行えないよう「新城産廃反対者連絡会」の皆さんにはがんばってほしい。
私もできるところで応援していきたいものだ。
例えばだが、悪臭監視員とかいう市の職員がいて(私が勝手に妄想した全くの架空の存在です)市内を巡回している。
で、その悪臭監視員は悪臭を感じたら直ちに市の担当課に連絡、すぐさま担当職員は臭気を判定する機械をその場に持ち込んで臭気判定を行う。
この時点で地域の臭気指数規制値を超える値が観測されれば、「悪臭被害発生!」となる。
と、こんな感じで、市が積極的に臭気観測をしてくれれば悪臭を出している事業者はビビるだろうなぁ。
地域の住民だって、市が「悪臭発生してますね!」と積極的に認定してくれれば気苦労も減るだろう。
ところが実態はそうではなく、地域住民が市に連絡を入れてようやく市の担当課職員が出張ってくるものらしい。
その後臭気指数が確定されるわけで、これは新聞記事にもなった。
このことは産廃問題ではいつもお世話になっている山本拓哉さんのブログでも記事になっている。
「新城市の悪臭報告 なんじゃこりゃ??」(「山本拓哉のひとりごと」より)→http://takuya-y.jugem.jp/?eid=2686
先日6月5日に開催された「新城産廃反対者連絡会」に参加してきた。
この連絡会で、先ほどの新聞記事にもなった悪臭被害時の顛末を聞かせてもらった。
このことからわかったこと、すなわち「悪臭被害発生」のためには
1・市民が連絡して市に現場に来てもらわなければならない。
2・市が測定してくれて、そして臭気指数規制値を超えたことが確認される。
というプロセスを経なければならない、と言えるだろう。
これは逆に言えば、「住民が連絡しなければ悪臭被害は発生しない」ということではないか?
「住民が連絡しなければ悪臭は存在しない」とも言えるだろうか。
だからこそ、「悪臭通報は市民の責務」と山本さんは言うのだろう。
山本さんのブログより「悪臭通報は市民の責務」→http://takuya-y.jugem.jp/?eid=2683
これらの事で、私は先のブログで気になっていたことがそんなに心配することもないかと思うようになった。

上の図は市のHPにある「臭気指数規制方式に係る規制地域」
↓ ここをクリックして実物をどうぞ。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8516,c,html/8516/20160229-135759.pdf
クリックしたリンク先の図を見てもらえれば、タナカ興業のある新城南部企業団地は第3種地域で臭気指数18が基準となっていることがわかる。
この臭気規制をさらに厳しくして、タナカ興業からの悪臭を強力に抑制させようという意見があるのだが、これは同時に同じ企業団地にある横浜ゴムなどの事業者にも適用されることにもなる。
すると僅かな悪臭の発生でタナカ興業だけでなくその他の事業者に対しても「立入検査や監視測定」の対象としなくてはならなくなる。
前のブログでも書いた通り横浜ゴムからは時々悪臭が漏れているように感じるが、それ以上に市にとって市民にとって永年に渡ってつき合ってきた重要なパートナーでもある企業だ。
その企業をタナカ興業と同じように規制の対象にしてしまうことは、新城市としては苦しいのではないか?、と考えていた。ゆえにタナカ興業に対して強い態度に出られないと。
しかし、悪臭被害の発生は住民の連絡があってからがスタートだ。
すなわち住民が「タナカ興業から臭ってます」と言えば、市としては「タナカ興業しか監視測定できない」はずだ。
市が「タナカ興業のお隣からも臭ってますね」とか言うことがあるとすれば、それは「連絡しなきゃ来ないくせに、連絡してもいないことをなんで殊更あげつらうんだ?」とか、「住民が連絡してない事業者にまで積極的に測定するなら、その積極さでもって毎日測定しに来るべきだ」とか、この前の悪臭発生時とは違う態度を逆に住民から責められることになるだろう(笑。
「タナカ興業から臭ってます」と連絡することで、結局のところ住民側が測定の対象を指定できてしまうのだな。
言い方は悪いけれども、例え横浜ゴムからの臭いがあったとしても住民がそのことを連絡しなければ「横浜ゴムからの悪臭」は存在しないことになるわけだ。
まさに「住民が連絡しなければ悪臭は存在しない」のだ。
市は住民からの悪臭連絡を忠実に受け取り実行すれば、自然にタナカ興業にだけ悪臭測定をすることになるはずだ。
そしてそれは公平さ、公正さに欠けるものではない。
連絡会では住民のみなさんの積極的な活動ぶりが窺えた。
そのあたりの模様は山本さんのブログを読んでもらうとして、私が「やるなぁ」と思ったのは、八名地区の地域協議会で間接的ではあるけれどもタナカ興業への対策事業の予算を取ったことだ。
これはある意味痛快だ。
知ってのとおり、新城市は南部地域産廃問題には消極的だ。
その逆に市長が積極的に推し進めているのは「市民自治」の目玉事業、地域協議会だ。
その地域協議会が持っている「地域活動交付金」から産廃対策費用を出させることに成功したのだから、これは実に愉快なことだ!
市長や議員の一部、担当の環境課など産廃問題には障害が多いけれども、今回の地域活動交付金に相応しい事業ならしっかり評価する地域協議会のようなところもある。
味方にできるモノは存分に使って、タナカ興業が環境破壊を行えないよう「新城産廃反対者連絡会」の皆さんにはがんばってほしい。
私もできるところで応援していきたいものだ。
2016年06月07日 Posted by けま at 06:17 │Comments(0) │産廃問題
新城市にも苦慮のあとがあるような
今回書くことは、かなりの部分を想像で補っているので、「まぁそんなものか」程度に読んでください。
小学生の時に社会科見学で横浜ゴムに行った事がある。
工場内はとても暑く、そしてなにより「臭かった」。
この臭いは今でも時々私の住んでいる周辺にも漂ってくる。
気にはなるが工場内で嗅いだあの臭いよりは強烈ではない。少し時間が経てば感じなくなっているし、何日も臭うものではない。
とはいえ「悪臭」には違いないだろう。
タナカ興業から漏れ出す悪臭が問題となっているが、この横浜ゴムの悪臭については全くと言ってよいほど話題に上らない。
一体なぜだろう? と、素朴に疑問に思う。
新城市のHPに「悪臭防止法に基づく規制について 」というページがある。
→http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8516,180,html
ここでは悪臭を規制する方法として「臭気指数規制」を用いる、と書いてある。
そもそも「悪臭」ってなんだ? と思うのだがそれについては書かれていない。
ということは、とりあえず言えることは『業種によって「悪臭」を区別しない』、ということだ。
タナカ興業の出す悪臭と横浜ゴムの出す悪臭では質が違うことは素人でもわかる。
タナカ興業からはいわゆる「堆肥の臭い」、新城市民なら多分誰もが経験ある畑や畜産現場から漂うあの臭いを思い出すといいだろう。
横浜ゴムからはいわゆる「タイヤの焼けた臭い」、いかにも工業的な臭いだ。
しかしこれはどちらも「悪臭」であって、どちらも「臭気指数規制」によって規制されるわけなのだな。
なのに、タナカ興業ばかりの悪臭被害が取り沙汰されるのだ。
なんだかタナカ興業の肩を持っているような書き方になっているけれども(笑。
つまり新城市が「悪臭」を軸にタナカ興業に迫ろうとすると、もう40年以上も新城市で操業して地域に根付いているといってもよい横浜ゴムに対しても迫らなくてはならなくなるのでは?と思うのだ。
でなくては公平性を欠く。 いくら横浜ゴムが市にとってかけがえのない存在になっていても。
この公平性を欠く態度が新城市としては苦しいのではあるまいか。
新城市がタナカ興業に規制を加えることは、同時に横浜ゴムはじめ市内すべての事業者も規制の対象にしなくてはならなくなり、今まで持ちつ持たれつでうまく付き合ってきた市内事業者との無用な軋轢を生むことを嫌っているのではなかろうか?
などと、市の動きの鈍さを見るにつけこのように感じてしまう。
タナカからの悪臭によって苦しんでいる人がいるのは確かなのだから、こちらはこちらで市に対して報告することは続けていくべきだろう。
で、この「悪臭」の線以外で、市も動きやすくてタナカの操業を止めさせることができる良い方策はないものか、と思うのだけれども・・・。
小学生の時に社会科見学で横浜ゴムに行った事がある。
工場内はとても暑く、そしてなにより「臭かった」。
この臭いは今でも時々私の住んでいる周辺にも漂ってくる。
気にはなるが工場内で嗅いだあの臭いよりは強烈ではない。少し時間が経てば感じなくなっているし、何日も臭うものではない。
とはいえ「悪臭」には違いないだろう。
タナカ興業から漏れ出す悪臭が問題となっているが、この横浜ゴムの悪臭については全くと言ってよいほど話題に上らない。
一体なぜだろう? と、素朴に疑問に思う。
新城市のHPに「悪臭防止法に基づく規制について 」というページがある。
→http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8516,180,html
ここでは悪臭を規制する方法として「臭気指数規制」を用いる、と書いてある。
そもそも「悪臭」ってなんだ? と思うのだがそれについては書かれていない。
ということは、とりあえず言えることは『業種によって「悪臭」を区別しない』、ということだ。
タナカ興業の出す悪臭と横浜ゴムの出す悪臭では質が違うことは素人でもわかる。
タナカ興業からはいわゆる「堆肥の臭い」、新城市民なら多分誰もが経験ある畑や畜産現場から漂うあの臭いを思い出すといいだろう。
横浜ゴムからはいわゆる「タイヤの焼けた臭い」、いかにも工業的な臭いだ。
しかしこれはどちらも「悪臭」であって、どちらも「臭気指数規制」によって規制されるわけなのだな。
なのに、タナカ興業ばかりの悪臭被害が取り沙汰されるのだ。
なんだかタナカ興業の肩を持っているような書き方になっているけれども(笑。
つまり新城市が「悪臭」を軸にタナカ興業に迫ろうとすると、もう40年以上も新城市で操業して地域に根付いているといってもよい横浜ゴムに対しても迫らなくてはならなくなるのでは?と思うのだ。
でなくては公平性を欠く。 いくら横浜ゴムが市にとってかけがえのない存在になっていても。
この公平性を欠く態度が新城市としては苦しいのではあるまいか。
新城市がタナカ興業に規制を加えることは、同時に横浜ゴムはじめ市内すべての事業者も規制の対象にしなくてはならなくなり、今まで持ちつ持たれつでうまく付き合ってきた市内事業者との無用な軋轢を生むことを嫌っているのではなかろうか?
などと、市の動きの鈍さを見るにつけこのように感じてしまう。
タナカからの悪臭によって苦しんでいる人がいるのは確かなのだから、こちらはこちらで市に対して報告することは続けていくべきだろう。
で、この「悪臭」の線以外で、市も動きやすくてタナカの操業を止めさせることができる良い方策はないものか、と思うのだけれども・・・。