4月の議会報告会は?

昨年の手帳をなにげなく見ていたら、4月の今頃に議会報告会が開催されていたことに気が付いた。
すでに4月の27日。
今年は議会報告会はやらないのか?と思っていたら浅尾議員のブログにこんな記事が。

「なぜ、いま「議会報告会」の変更なのか?」(「浅尾洋平の日々こつこつと。」より)
 →http://asao.dosugoi.net/e860135.html

まずこういう事柄について市民にとってありがたいのは、議員に配られた資料をそのまま提示してくれることだ。
浅尾議員のお考えもあると思うが、私たち市民が自分の頭で先入観無しで考えるための生の資料があることは重要なことだ。
とかく我々一般人は他人の考えに左右されやすい。この記事も、まずは自分の頭で考えてみよう。

最初にこの資料は「議会運営員会」で4月11日に議論されたものである、ということだ。
メンバーは誰か?
 →議員紹介(議員名簿) http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/7,34382,122,587,html
市のHPのここに議員の紹介があって、各議員の説明欄にそれぞれがどの委員会に所属しているかが書いてある。
順に挙げていくと、

 小野田直美議員(副委員長)
 山崎祐一議員
 村田康助議員
 山口洋一議員
 滝川健司議員
 丸山隆弘議員(委員長)

この6名であることがわかる。
当たり前だけれども、議会運営委員会で議会報告会の中身についての検討が行われたわけだから、そのために必要な働きかけは議会運営委員会の議員6名で手分けしてやるのが筋というものだろう。
と、まずは頭の片隅に留めておく。

次に議論の内容は?

画像はクリックして大きくなります。浅尾議員のアップしてくれた資料とあわせてお読みください。


要点を書き記していくと、
・今回の議会報告会は「地域課題について地域協議会との意見交換する場」とする。
・5月中に「協議会から意見交換したい項目」を提出してもらう
・6月上旬に「区長配布文書」にてチラシ回覧
・6月下旬~7月上旬 定例会終了後に地域自治区単位で報告会を実施。

・内容は、
 1・3月、6月定例会の報告
 2・地域からの提出事案について意見交換
 3・多くの市民の意見を聞く

・その他として、
 1・地域協議会に任せず今まで通りのやり方でやる。
 2・他地区住民の参加も拒まない。

ということだ。

とりあえずこの内容も置いておいて、浅尾議員のブログでのご意見も見てみよう。

報告会の「実施要綱」がある、と浅尾議員は書かれている。多分10条第2項の「議会報告会に関することは、別に定める」の事だと思われるが、これは検索しても見つからなかった。
例えばだが、この「別に定める」に報告会の実施方法を変更するときの規則が書いてあって、今回のやり方が規則に抵触するようなら、もうそれだけで無効になると思うのだが、この「別に定める」は浅尾議員はお持ちではないのだろうか。
他にも報告会の開催月とかの規定も書かれていれば、4月に行わないことが規定違反だとも言えるだろうし、この「別に定める」=「実施要項」は正論で攻めるためにカギになる例規だと思うがどうだろう?

さてこのように見てきて、いくつか疑問がある。
まずはこの取組に必要なのは地域協議会との協力体制であることは間違いない。
日付を見てみると、この議会運営委員会が開催されたのは4月11日。
そして地域協議会への「説明と協力のお願い」に、翌日12日の東郷地区での地域協議会に村田議員が早速行っているのだ。
このフットワークの軽さときたらどうだろう(苦笑
別に村田議員個人の早さをホメているわけじゃない。
未だかつてこんなにも早い動きをする議員たちがいただろうか。 なんでこんなに行動が早いワケ??

そしてこの協力を得るために動いている議員だ。
先ほど議会運営委員会の議員6名を挙げた。もちろん筋としてこの6名が中心に動かなくてはならないはずだが、担当者は(3役・委員長を中心に)とか書いてあるワケだ。(浅尾議員の資料2枚目最後の方を見てください)
おかしいだろう、これ。

ちなみに3役とは、・議長 下江洋行議員 ・副議長 中西宏彰議員 ・監査委員 鈴木達雄議員
3人とも議会運営委員ではない。

そして委員長は・・・、議会運営委員ではない人だけ挙げよう。
 ・総合政策特別委員会長 菊地勝昭議員
ちなみに、厚生文教委員会・総務消防委員会・経済建設委員会・予算・決算委員会の4委員会の委員長を議会運営委員が兼ねている。
これは別におかしいわけではなく、委員を兼ねている議員は多くいる。

しかしだ、全く関係ないのに 4月21日の新城地区の地域協議会には、長田共永議員 が行っている。
議会運営委員でも3役・委員長でもないのに、だ。

議会運営委員で、小野田直美議員(副委員長)と滝川健司議員の2名が具体的に行動しておらず、
代わって5名もの議員が行動しているのだ。
くどく言うが、長田共永議員などは議会運営委員でも3役・委員長でもない。

議会の一部の議員だけで事を進めようとしているように見えても仕方がないし、いわゆる「派閥」「会派」が見え隠れしているようにも見える。
そこからは市民を置き去りにして、議会若しくは一部議員の勝手な考えで議会報告会が変えられようとしている風に感じられる。

長くなったので、続きはまた。  

2016年04月27日 Posted by けま at 13:34Comments(0)新城市議会

聞いた話

最近職場の先輩に聞いた話。

“あつしさま”なる人物が昭和40年代の鳳来町から新城市間のバスによくお乗りになったそうだ。
その“あつしさま”、バスに乗るなり天蓋(この頃のバスは冷房がついていないので車内を涼しくする工夫が必要だった。そのひとつとしてバス天井に、風通しを良くするための開閉可能なフタがあった)をバン、バン、バンと(天蓋はいくつかあったらしい)開け放ち、後ろの座席にどっかと座るのがいつものことだったらしい。

格好と言えば、着物姿に裾をからげて腰の帯に挟み込み、股引を見せたまま。
新城市の栄町までよくお乗りになったそうだ。なにを生業にしていたかはわからない、らしい。


まぁ、変わっているといえば変わった御仁で、おかげで先輩もよく覚えておいでとのことだ。


“あつしさま”のお宅は旧鳳来町の湯谷の少し先あたりにあるらしく、大資産家だったらしい。
広い宅地に大きなお屋敷を構えていたとのことだ。
あるとき“あつしさま”宅の前の国道を拡張する計画が持ち上がった。拡張分が“あつしさま”宅にもかかってしまうために、係りの者がお宅に伺った。

そこで“あつしさま”がこう言ったらしい。
「計画のさらに倍の広さに拡幅せよ。それならば拡幅分も含めてタダで土地を譲ってやる。」

“あつしさま”のおっしゃるには、この先自動車の往来はもっと増える。その時になってまた「拡張を・・・」ではまどろっこしい。今のうちにドンと広い道路を作っておけ。 ということだったそうだ。
言い分どおり、“あつしさま”宅の前だけは道幅を広く作ったらしい。
これは今でもこの痕跡が残っていて、湯谷の先を少し行ったところだけは道幅がやけに広いとのことだ。
確認はしていない(笑

変わった御仁だが、先を見る眼と公共のためにはケチなことを言わない、そんな人物像が窺える。
名字は「穂積」だそうだ。  

2016年04月10日 Posted by けま at 07:56Comments(3)