裁判傍聴に行ってきた

お誘いを受けて7月18日、名古屋地裁での裁判傍聴に行ってきた。

この話を聞かせてもらった時には現新城市長も法廷に立つとのことで、いつも自信満々で弁の立つ彼が一体どう尋問に答えるのかものすごく興味が湧き、二つ返事で同行させてもらうことに決めた。

・・・のだが、生憎市長は公務のために今回は欠席とのことで当初の野次馬的な目論見はハズレてしまった(笑。
しかし生まれて初めての裁判傍聴は良い経験・勉強になった。
名古屋地裁地下の食堂は安くてウマかった。


この日の詳しいことや正確な情報は白井さんの「白井みちひろ後援会公式ブログ」で紹介されているので、ぜひ読んでみてください。
 → 裁判傍聴記「新城市役所は大丈夫?」
私の方では以前この件について書いてはいるものの新聞記事以上の情報は知り得ていないので、かなり個人的な印象・感想を書いてみたいと思う。
 →9月28日朝刊の記事
 →9月28日朝刊の記事 2
 →事実と全容

最初に中央の証言台に立ったのは、この裁判を訴えた側(原告)の加藤元市議。
私のいる傍聴席から見て左側の席にいる弁護士から加藤市議への尋問が始まった。
弁護士は立って尋問を行う。
証言台に座る加藤さんの左側すぐそばに立ち、上から見下ろすような形でいろいろ聞く。
上から見下ろす形はかなり高圧的な印象を受ける。これは人前で話すことに慣れた加藤元市議でさえもかなりプレッシャーを感ずるのではないかと心配してしまう。

さて案の定というか、この尋問がなかなか厳しい口調・印象を受けるモノで、特に出来事の日にちを詳細に尋ねるものだから加藤さんもなかなか思い出せないようで苦労していた。
傍聴しながら印象に残ったのはこちらの弁護士の言い放った「この甲9号証(“証”で合ってるかわからない)が一番大事なんだ!」(バンッ!っと書類を叩きつける音)
・・・いや、実際こんな書類を叩きつけるようなことはしなかったのだけどw、それくらいの激しさを感じさせる勢いで加藤さんに迫っている印象を受けた。

そんなものだから、私はてっきりこの弁護士が訴えられた側(新城市=被告)の弁護士だと思い、
「さすが敵側の弁護士、なかなか好戦的だ。加藤さんもタジタジだ。」
などと思っていたのだが、実はこの弁護士が加藤さん側の弁護士なのだと後から知ったw

それにしても加藤さんを弁護する側、すなわち味方と言っていい人なのに、なぜこんな激しい感じで迫ったのだろうか?

そのことを書く前に色々と説明しておこう。

先ほど書いた「甲9号証」というのはこの裁判で用いられていた言葉で、最初は何を指しているのかわからなかったが、どうもコンサルタントの報告書を指しているらしいことが傍聴していてわかった。
もうひとつ「乙15号証」という言葉も出てきていて、これも同じくコンサルタントの報告書を指しているらしいこともわかった。

コンサルタント、と言われてもこの事件を知らないと「なんのことやら?」でしょうな。
この事件は簡単に書くと、
1・新城市がとある用地の移転補償の適不適の調査をコンサルタントに依頼した。
2・その報告書が実は2種類存在していて、最初に提出されたモノは「補償に適さない」、その後提出されたモノは「補償に適する」と報告されていた。
3・新城市は後から提出された「適する」報告書に従って用地補償を行った。

こんな感じだ。
つまり、なぜ後から提出された報告書を新城市は採用したのか。最初の報告では不適だったじゃないか、なぜだ?おかしいじゃないか? というのが原告加藤さんの主張だ。

で、先ほどの「甲9号証」=「適さない」報告書 「乙15号証」=「適する」報告書 と対応している。

新城市は「乙15号証」を元に用地補償を行ったことになる。
そして加藤さんは「甲9号証」という報告書を後に発見して、それを証拠として新城市の用地補償のおかしさを訴えたわけなのだな。


加藤さんの弁護士の尋問ではこの「甲9号証」が“何時(いつ)”発見されたのか? を、質問を重ねて特定していく流れであったように思う。

傍聴したものをメモったものなので日付を聞き間違えているかもしれないけれども、

平成24年2月 コンサルタントが調査を行う
平成24年6月 報告書(乙15号証)提出
平成27年3月31日 用地賠償でその対象になった「長屋」はこの日までには壊されていた。

平成27年6月 太田さんから資料の調査依頼を受けた ※ここで加藤さんは用地賠償の不自然さに気づく
平成28年3月 加藤さんが用地賠償の件を議会で質問
平成28年5月 調査のためコンサルタントを訪問
平成28年6月 「甲9号証」を発見

以上のことが尋問から確認された。

日付の確認の途中途中ではこれらの事柄の内容や関係することについても弁護士から尋問された。
例えば、「平成28年5月 調査のためコンサルタントを訪問」。
これは加藤さんが用地賠償の実態を独自に調査したうちのひとつなのだが、そういった調査の内のひとつに「長屋には生活実態がなかったことを突き止めた」ものがあった。

このことについても弁護士は、「調査をした時には長屋は実在したのか?」という質問をした。

加藤さんは決してウソをついていたわけではないのだが、口ぶりからは長屋に踏み込んでその実態を調べた、という印象を受けるモノだったのは確かだった。
つまり「加藤さんが調査を始めた時には長屋は存在していなかったはずなのに、なぜそんな詳しい調査ができたのか?」とでも言いたげな質問なのだ。
(上の時系列を見ればわかるように、加藤さんが調査依頼を受けた時(平成27年6月)にはもう長屋は壊されていた)

味方なのに、やたら痛いトコロを突いてくるのだ。

実際は確かに長屋本体を調べたことはないのだけれども、隣近所からの聞き込みや、その長屋に将来的に住むと言われていた長屋の持ち主の母親が実は養護施設に入っていて到底住むことはできない状態であることを、実際に養護施設まで足を運ぶなどして詳しい調査を行っている。
そして「長屋に生活実態がない」という重要な情報はことを加藤さんは突きとめているのだけどね。

加藤さんが用地賠償のおかしさを“確信”するに至ったのは「甲9号証」の発見だったのだが、これについてもいやらしく尋問している。

例えば平成28年3月での議会での質問でも、用地補償のおかしさを“確信”して質問したわけではないし、平成28年5月にコンサルを訪問した時も、用地補償のおかしさを“確信”していたわけではなかった。
というようなことを弁護士の質問から導かれ答えさせられていた感じだ。

この「確信していたわけではないんですね?」という感じの弁護士の言い方がまたいやらしい感じで、「ホントに悪いコトしていたわけでもないのに疑ってかかっていたってことだよね?」とでも言いたげな感じなのだ。

この弁護士が加藤さん側の人とは知らずに傍聴していた私は、

 「うわー、敵の弁護士の巧妙なことよ。まるで加藤さんが悪人だよ。」

などと気が気ではなかったのだ、この時、マジで。


で、尋問というのはこの後、「これで終わります」みたいな感じで、割とあっさり終わる。
「すなわちこの人が悪いんです!」的な決めつける言葉を言う事なく結構唐突な感じで終わるのだ。


この後の弁護士、つまり新城市側(被告)の弁護士の方はこんな感じの鋭い迫り方をしない感じで、実はよくメモを取っていなくて、なんて言ったかよく覚えていない。

あらら、加藤さん不利なんじゃないの、なんて思っていたら先に書いた通り、最初に尋問した弁護士が加藤さんの弁護士だったと知った。
となると、ますます疑問が膨らむ。
あの加藤さんを不利に印象付けるような尋問はなんだったのか?
そう感じてしまう私は素人なのか・・・(もちろん素人なんだけどw)?

長くなったので続く。


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2018年07月26日 Posted byけま at 05:07 │Comments(0)新庁舎建設

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