以前から調べてみたかったこと (終)
白井議員が2014年07月29日のブログに「 中日新聞の記事への抗議 」と題して、その内容を添付した記事を書いている。
こちら → 中日新聞への抗議(PDF).pdf
(http://slmichihiro.up.seesaa.net/image/E4B8ADE697A5E696B0E8819EE381B8E381AEE68A97E8ADB0EFBC88PDFEFBC89.pdf)
7月24日の中日新聞記事に対して「事実を報道していない。公平・中立の立場を投げ捨てる報道姿勢だ。」と、かなり強い調子で非難している。
読めば、「なるほどなぁ」と感じるのだが、ではこれが事実だとする証拠はあるのか?
これは中日新聞記事にも言えることで、白井議員のこの抗議文を読めば「なるほど~、確かに白井議員の言うこととは違うところもある」と感じるのだが、では中日新聞記事が事実だとする証拠は何だろう?
どちらも「自分の書いた事こそホンモノである!」と主張していて、それはもちろん「まぁそうでしょうなぁ」と思うけれども、ではその主張を外部から強力に裏付ける『証拠』は無いのか?と聞きたくなる。
証拠というのは、つまりこれら諸々の会議の場の録音、その録音を元にした議事録、のことだ。
中日新聞側にしろ、白井議員にしろ、録音か議事録を証拠にして「これ、ココの部分。よく聞いて(よく読んで)。」と引用した記事を書いてくれればよかった。
その場の生の発言を挙げてくれれば、どちらが本当のことを言っているのかくらいは私たちにもわかるだろう。
というわけで、7月23日の全員協議会の録音か議事録があればいいのだが、これがわからない。
きっと市に問い合わせれば議事録でもでてくるだろう、とは思うのだが・・・。
このシリーズをだらだら書いてきて、今さらこれがわかってどうなるのか、という気にもなってきている。
当時の人たちはこれら中日新聞記事を読んでこの問題をわかった気になり、その理解で多くの批判を行った。
多分誰も中日新聞の報道姿勢に疑問を持たず、この問題を一から調べて真実は何かを追求しようとした市民はいなかったと思う。
勝ち負けの問題ではないが、中日新聞の思惑通りに市民が理解し疑念を抱かせなかったことは中日新聞の勝ちと言えるのではないか。
いくら反論しても白井議員の声は全く問題にされなかった。
新城市議会としての意見も耳にすることはなかった。
真実が市議会側にあるとしてもそれが世間に広まらなかったのは、情報の発信力として議会側の力不足だった。つまり中日新聞に負けたということだ。
「まさか市議会がそんな決定をしないだろう」と、市議会擁護の動きが市民から出なかったことも、市議会にとっては情けないことだった。信頼されていない一つの証拠ではないか。
この長田問題、そのことから派生したブログ規制問題。
事実はなんだったのか?、ということをただ知りたくて色々調べてきて、大体の構造はわかったつもりだ。
そして何か教訓めいたものを導くとしたら、
『 会議の録音、議事録は全て記録し残しておけ 』
『 録音、議事録は誰もが簡単に見られるようにしておけ 』
ということだろうか。
市政に関係するどんなことでも、議事録さえ残しておいてくれれば、そしてそれに簡単にアクセスできれば、疑念が浮かぶようなことは市民が自ら調べる。
それをせずに、行政にしろ、議会にしろ勝手に自前の論を述べるから、市民にとってはただただ疑念ばかりが増すのだ。
白井議員の今までの活動を見てきて、彼がウソをつく人物ではない、ということは自分の中では確信している。
しかしこの件で言えば、議事録の一部分でも引用してくれればそれだけで中日新聞記事のウソ(があれば)が露見するのに、と思う。
新聞記事がウソである、と思って読んでいる人はまずいない。
しかし最近の森友学園問題、加計学園疑惑の報道を見ていると、ニュース番組や新聞などの報道側にも報道姿勢の違いが見て取れる。
我々が見聞きするニュースは原色そのままではなく、報道する側の色が付けられたモノであることを自覚しておかなければならないのが最近の世の中だ。
この新城市議会のブログ規制問題も、中日新聞によるその気配は確かにある。
浅尾議員自身がその“色”に、かなり影響されたフシも見受けられる。
2年も前の問題が、今現在問題になっている森友問題・加計学園疑惑に繋がっているように感じる。
つまり『メディアリテラシー』の問題なのだな。
ということで、最後は尻切れトンボな感じだが自分の中で一応の決着がついたので、この件は終了。
こちら → 中日新聞への抗議(PDF).pdf
(http://slmichihiro.up.seesaa.net/image/E4B8ADE697A5E696B0E8819EE381B8E381AEE68A97E8ADB0EFBC88PDFEFBC89.pdf)
7月24日の中日新聞記事に対して「事実を報道していない。公平・中立の立場を投げ捨てる報道姿勢だ。」と、かなり強い調子で非難している。
読めば、「なるほどなぁ」と感じるのだが、ではこれが事実だとする証拠はあるのか?
これは中日新聞記事にも言えることで、白井議員のこの抗議文を読めば「なるほど~、確かに白井議員の言うこととは違うところもある」と感じるのだが、では中日新聞記事が事実だとする証拠は何だろう?
どちらも「自分の書いた事こそホンモノである!」と主張していて、それはもちろん「まぁそうでしょうなぁ」と思うけれども、ではその主張を外部から強力に裏付ける『証拠』は無いのか?と聞きたくなる。
証拠というのは、つまりこれら諸々の会議の場の録音、その録音を元にした議事録、のことだ。
中日新聞側にしろ、白井議員にしろ、録音か議事録を証拠にして「これ、ココの部分。よく聞いて(よく読んで)。」と引用した記事を書いてくれればよかった。
その場の生の発言を挙げてくれれば、どちらが本当のことを言っているのかくらいは私たちにもわかるだろう。
というわけで、7月23日の全員協議会の録音か議事録があればいいのだが、これがわからない。
きっと市に問い合わせれば議事録でもでてくるだろう、とは思うのだが・・・。
このシリーズをだらだら書いてきて、今さらこれがわかってどうなるのか、という気にもなってきている。
当時の人たちはこれら中日新聞記事を読んでこの問題をわかった気になり、その理解で多くの批判を行った。
多分誰も中日新聞の報道姿勢に疑問を持たず、この問題を一から調べて真実は何かを追求しようとした市民はいなかったと思う。
勝ち負けの問題ではないが、中日新聞の思惑通りに市民が理解し疑念を抱かせなかったことは中日新聞の勝ちと言えるのではないか。
いくら反論しても白井議員の声は全く問題にされなかった。
新城市議会としての意見も耳にすることはなかった。
真実が市議会側にあるとしてもそれが世間に広まらなかったのは、情報の発信力として議会側の力不足だった。つまり中日新聞に負けたということだ。
「まさか市議会がそんな決定をしないだろう」と、市議会擁護の動きが市民から出なかったことも、市議会にとっては情けないことだった。信頼されていない一つの証拠ではないか。
この長田問題、そのことから派生したブログ規制問題。
事実はなんだったのか?、ということをただ知りたくて色々調べてきて、大体の構造はわかったつもりだ。
そして何か教訓めいたものを導くとしたら、
『 会議の録音、議事録は全て記録し残しておけ 』
『 録音、議事録は誰もが簡単に見られるようにしておけ 』
ということだろうか。
市政に関係するどんなことでも、議事録さえ残しておいてくれれば、そしてそれに簡単にアクセスできれば、疑念が浮かぶようなことは市民が自ら調べる。
それをせずに、行政にしろ、議会にしろ勝手に自前の論を述べるから、市民にとってはただただ疑念ばかりが増すのだ。
白井議員の今までの活動を見てきて、彼がウソをつく人物ではない、ということは自分の中では確信している。
しかしこの件で言えば、議事録の一部分でも引用してくれればそれだけで中日新聞記事のウソ(があれば)が露見するのに、と思う。
新聞記事がウソである、と思って読んでいる人はまずいない。
しかし最近の森友学園問題、加計学園疑惑の報道を見ていると、ニュース番組や新聞などの報道側にも報道姿勢の違いが見て取れる。
我々が見聞きするニュースは原色そのままではなく、報道する側の色が付けられたモノであることを自覚しておかなければならないのが最近の世の中だ。
この新城市議会のブログ規制問題も、中日新聞によるその気配は確かにある。
浅尾議員自身がその“色”に、かなり影響されたフシも見受けられる。
2年も前の問題が、今現在問題になっている森友問題・加計学園疑惑に繋がっているように感じる。
つまり『メディアリテラシー』の問題なのだな。
ということで、最後は尻切れトンボな感じだが自分の中で一応の決着がついたので、この件は終了。