以前から調べてみたかったこと 4
浅尾議員ご自身のブログ6月5日の記事に「抗議文」が載っている。
→ http://asao.dosugoi.net/e648146.html
詳しくはこちらを読んでください。
この抗議文に対して議会運営委員会が調査を行い、抗議内容が全くの誤解によることが議会運営委員会で確認された。
7月25日にこの「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された。
7月28日に「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された。
ここでの「報告書」、「謝罪を求める文書」は白井議員のブログに載っている。
「報告書」
「謝罪を求める文書」
どのような謝罪を求められたかというと、
・ブログに掲載した「抗議文」なる文書を含む文章に対して適切な対応を求める (多分そのブログを削除しろ、ということだろう)
・「抗議文」なる文書は、事実確認をしなかったことで新城市議会の信頼を失墜したことに謝罪する旨を記した文書をブログに掲載すること
・IT活用を含む公にする文書等については、公人としての立場をわきまえ、事前に事実確認を確実に行うこと
以上の3点だ。(これは「文書」から抜き書きしたもの)
これについて同じ28日に浅尾議員はツイッターで発言している。
・僕の謝罪を求め、さらにブログ記事の事前確認を要求していました。
・「弁護士に相談の上、法廷闘争も含めて検討します」と答えました。
(浅尾議員のツイッターはまとめがあるのでそちらを参照 → https://togetter.com/li/697376)
ここで「文書」に書かれていることと、浅尾議員の認識の違いが表れている。
文脈を読み、適切だと思われる主語を()で入れてみた。
「文書」では
『 (当事者が、今回の件なら浅尾議員が)事前に事実確認を確実に行うこと 』
浅尾議員は
『 (議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました 』
「報告書」の調査の経緯は少し疑問な点もあるけれども、この2か所を比べると主語は明らかに違うと思われる。
「文書」には、事前確認は本人が確実に行え、と書いてあるようにしか読み取れない。
これをどう錯覚したら、議会が事前確認を要求している、と読み取れるのだろうか。
これはやはり浅尾議員の勘違いとしか言えないような気がする。
なぜこんな勘違いをしてしまったか?
これは7月24日の中日新聞記事の影響ではないか?と想像するほかない。
この辺りの出来事を時系列で並べてみる。
7月23日 全員協議会
7月24日朝 中日新聞朝刊記事(23日の全員協議会のことが記事のベース)
・「ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」
7月24日21時浅尾議員ツイッター
・新たな問題は、長田発言をきっかけに公人である僕たち議員のインターネット上の活動を規制する方向へと新城市議会が動いたこと
・中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです
・昨日の議会事務局は、議長の採決を正確に書き留めることが出来なかったのです
・「SNSで情報を発信する際のルールづくりをしていくことも賛成多数で決めた」(「東愛知」)ことに断固反対
7月25日 「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された
7月28日 「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された
24日の中日新聞での「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という記事が浅尾議員の頭にこびりついていて、28日の「文書」を「ブログ記事の事前確認を要求していました」と読んでしまったのではないだろうか。
上の時系列では浅尾議員の24日のツィートの主だったものを載せた。
前回の記事で浅尾議員への疑問を書いたが、ここにもいくつか疑問な点がある。
注意したいのは、この日(24日)の朝に中日新聞朝刊に件の記事が載り、夜21時に23日のことをツィートしている、という点だ。
ツィートのなかのコレ → 中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです。
このツィートに強い違和感を感じる。
全員協議会(23日)には浅尾議員も参加してるはずで、その場に本人もいるのだ。
なのになぜ 「 実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです 」 などというツィートをするのだろう?
「 議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた 」という危機的な状況に賛成する議員を、なぜその場にいる浅尾議員自身がチェックをしなかったのか?
この日の傍聴者は20名ほどいたという。ならばその傍聴者にも確認をとるとか(私は傍聴したときに議員の挙手をチェックしたことがある。傍聴席からもチェックできる。)、あるいは中日新聞記者にも確認を取ってみるとか(記事の最後には記者の名前が載っている。連絡は可能なはず)、当然すると思われる確認手段をなぜ取らなかったのだろうか?
そもそもこのツィートでの出来事は23日の全員協議会で起こったことだ。
なぜこんな大変な状況だったことを23日にツィートしなかったのか?
なぜ24日の中日新聞記事を 読 ん で か ら 、23日のことをツィートしているのか?
こうやって書いてみると、先ほど書いた「中日新聞記事が、浅尾議員の頭にこびりついていて、」というより、むしろ中日新聞記事を利用して「議会から迫害を受けている自分」を演出しているようにも見えてしまう。
「新城市議会が議員の情報発信を制限しようとしている」という事件を、浅尾議員からの情報で判断しようとするのは避けた方がいいのかもしれない。
→ http://asao.dosugoi.net/e648146.html
詳しくはこちらを読んでください。
この抗議文に対して議会運営委員会が調査を行い、抗議内容が全くの誤解によることが議会運営委員会で確認された。
7月25日にこの「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された。
7月28日に「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された。
ここでの「報告書」、「謝罪を求める文書」は白井議員のブログに載っている。
「報告書」
「謝罪を求める文書」
どのような謝罪を求められたかというと、
・ブログに掲載した「抗議文」なる文書を含む文章に対して適切な対応を求める (多分そのブログを削除しろ、ということだろう)
・「抗議文」なる文書は、事実確認をしなかったことで新城市議会の信頼を失墜したことに謝罪する旨を記した文書をブログに掲載すること
・IT活用を含む公にする文書等については、公人としての立場をわきまえ、事前に事実確認を確実に行うこと
以上の3点だ。(これは「文書」から抜き書きしたもの)
これについて同じ28日に浅尾議員はツイッターで発言している。
・僕の謝罪を求め、さらにブログ記事の事前確認を要求していました。
・「弁護士に相談の上、法廷闘争も含めて検討します」と答えました。
(浅尾議員のツイッターはまとめがあるのでそちらを参照 → https://togetter.com/li/697376)
ここで「文書」に書かれていることと、浅尾議員の認識の違いが表れている。
文脈を読み、適切だと思われる主語を()で入れてみた。
「文書」では
『 (当事者が、今回の件なら浅尾議員が)事前に事実確認を確実に行うこと 』
浅尾議員は
『 (議会が)ブログ記事の事前確認を要求していました 』
「報告書」の調査の経緯は少し疑問な点もあるけれども、この2か所を比べると主語は明らかに違うと思われる。
「文書」には、事前確認は本人が確実に行え、と書いてあるようにしか読み取れない。
これをどう錯覚したら、議会が事前確認を要求している、と読み取れるのだろうか。
これはやはり浅尾議員の勘違いとしか言えないような気がする。
なぜこんな勘違いをしてしまったか?
これは7月24日の中日新聞記事の影響ではないか?と想像するほかない。
この辺りの出来事を時系列で並べてみる。
7月23日 全員協議会
7月24日朝 中日新聞朝刊記事(23日の全員協議会のことが記事のベース)
・「ブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」
7月24日21時浅尾議員ツイッター
・新たな問題は、長田発言をきっかけに公人である僕たち議員のインターネット上の活動を規制する方向へと新城市議会が動いたこと
・中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです
・昨日の議会事務局は、議長の採決を正確に書き留めることが出来なかったのです
・「SNSで情報を発信する際のルールづくりをしていくことも賛成多数で決めた」(「東愛知」)ことに断固反対
7月25日 「抗議文」に関する「報告書」が議長に提出された
7月28日 「報告書」に基づく「謝罪を求める文書」が議長より浅尾議員に渡された
24日の中日新聞での「議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた」という記事が浅尾議員の頭にこびりついていて、28日の「文書」を「ブログ記事の事前確認を要求していました」と読んでしまったのではないだろうか。
上の時系列では浅尾議員の24日のツィートの主だったものを載せた。
前回の記事で浅尾議員への疑問を書いたが、ここにもいくつか疑問な点がある。
注意したいのは、この日(24日)の朝に中日新聞朝刊に件の記事が載り、夜21時に23日のことをツィートしている、という点だ。
ツィートのなかのコレ → 中日新聞は「賛成多数で申し合わせた」と報じましたが、実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです。
このツィートに強い違和感を感じる。
全員協議会(23日)には浅尾議員も参加してるはずで、その場に本人もいるのだ。
なのになぜ 「 実は、どの議員が賛成したのか名前が分からないのです 」 などというツィートをするのだろう?
「 議員の情報発信を制限するルールを作ると決めた 」という危機的な状況に賛成する議員を、なぜその場にいる浅尾議員自身がチェックをしなかったのか?
この日の傍聴者は20名ほどいたという。ならばその傍聴者にも確認をとるとか(私は傍聴したときに議員の挙手をチェックしたことがある。傍聴席からもチェックできる。)、あるいは中日新聞記者にも確認を取ってみるとか(記事の最後には記者の名前が載っている。連絡は可能なはず)、当然すると思われる確認手段をなぜ取らなかったのだろうか?
そもそもこのツィートでの出来事は23日の全員協議会で起こったことだ。
なぜこんな大変な状況だったことを23日にツィートしなかったのか?
なぜ24日の中日新聞記事を 読 ん で か ら 、23日のことをツィートしているのか?
こうやって書いてみると、先ほど書いた「中日新聞記事が、浅尾議員の頭にこびりついていて、」というより、むしろ中日新聞記事を利用して「議会から迫害を受けている自分」を演出しているようにも見えてしまう。
「新城市議会が議員の情報発信を制限しようとしている」という事件を、浅尾議員からの情報で判断しようとするのは避けた方がいいのかもしれない。