後援会の要求を呑む、ということ
山本氏の後援会が「正式な申し入れ」を要求したこと。
この意味が全く分からないままでいる。非常にモヤモヤした気分だ。
準備会の開催自体は決定したようだが、それは8月の終わりころらしい。
それまでの間に、今度もまた白井氏の提案で「ネット討論」の是非が現在やり取りされている。
未だに後援会の事を考えているなんて少し遅れてる感じだが、どうにも気になっている。
誰かスパッと小気味良い答えを教えてくれないだろうか。
と言っても仕方ないので、あれこれ考えてみようか。
この「正式な申し入れ」について、穂積氏は「(山本氏後援会は)正式文書が来ないから判断できないという」形式論を重要視しているようで、だからこそ連名で後援会に正式な申し入れをするべきだと主張されていた。
もう1人「正式な申し入れ」について言及されている方がいる。
白井氏のブログにコメントしてくれている田村太一氏だ。
「山本たくや後援会から回答がないのは、「正式な提案がないから」という理由も考えられます。」
(白井氏のブログの2017年08月07日の記事「山本たくや後援会にメールしました」へのコメント)
お二方とも「「正式な申し入れ」をすればいいじゃない」と言っているのはわかる。
それさえすれば、山本氏も話し合いに参加するのだから=話し合いも進展するのだから、という意味なのだと思う。
穂積氏はもう少し突っ込んだ見解も示していて、
・「山本氏側にあらためて申入れするのがスジというものです。」
・「禍根の残らぬ方法と手順でしっかりと詰めていくべきです。」
という文言がメールのやり取りの中に見受けられる。
山本氏に対して後からぐだぐだ言われないように注意を払っている様子がわかる。
一見、慎重な対応をしているようにも見えるし、「(現役市長として)こういう慎重な態度で市民にも接してきた」的な見方もできるだろう。
話し合いを円滑に進めるためにもあちらの要求に答えるという手続きをしっかり踏まえる、という「スピード感」とか「民主的手続き」とかを想起させる、なんだかイイことづくめな感じが確かにある。
そうなんだけど、大本に立ち返ると「3者による討論会」なのだよね。
穂積氏、白井氏はこの先も、例えば討論会開催における「正式な文書」とやらが必要になった時に、山本氏と後援会の2氏に送付せねばならないのかしら?
つまり山本氏側には交渉窓口が、山本氏と後援会氏の2つあることになるんじゃないのか?ってこと。
後援会にも「正式な申し入れ」をしたとなると、この先後援会をないがしろにできなくなるんじゃないのかね?
となるとこの先、常に4者による合意が必要になってくるんじゃないだろうか。
「3者による討論会」はどこにいってしまうのか。
それと候補者間の公平公正という面から見れば、後援会は穂積氏にも白井氏にもあるだろうから、そちらの後援会にも「正式な申し入れ」を送っておかないと不公平なんじゃないかしら?
先に挙げた4者による合意が必要なカタチになってしまうなら、なおさらだ。
「正式な申し入れ」は山本氏後援会が望んだものだから、穂積・白井両氏の後援会が望むのならそのようにする=望んでないから申し入れはしない、という理屈は成り立つと思う。
じゃあなんで山本氏後援会は「正式な申し入れ」を望んだのか?
その理由の答えは今のところどこにも示されてなくて、じゃあ3者に関係する個人や組織が望めば「正式な申し入れ」やらをいつでも出さなければならないのか、と言った暴論じみたことまで考えなくてはならなくなる恐れが出てくる。
例えば白井氏が「ウチの妻が正式な申し入れを欲しいと言い出しまして・・・えぇ、妻は私の大切なハニーですし、選挙運動にも欠かせない大切な人物ですから無碍にはできないのです」とか言ったら、穂積氏・山本氏はどうするのか。
極端な例だというのはわかっている。
じゃあもっと極端な例で、山本氏が「後援会」ではなくて「私の孫が」とか言い出したらどうだろうか。
親族だし血のつながりの濃い関係性の深い人物で、山本氏にとっては大切な存在(最近の山本氏のブログを読むとわかる)が「正式な申し入れを」と言ってきたら。
さすがにこれは「孫が欲しがったとしても、それはそっちでなんとかなだめてちょうだいよ」と言うだろうね(笑。
「孫、妻」と「後援会」。この違いはなんだろうか。
「孫、妻」は親族的・血縁的な関係性の深さがあり、「後援会」は選挙活動に欠かせない関係の深さがある。
『 関係性の深さ 』で「正式な申し入れ」受諾の判断をするなら、どちらにも真っ当な理由があるのだから、後援会の正式な申し入れを容認するなら、孫・妻の申し入れも容認せねばなるまいよ。
しかし、穂積氏、山本氏も、「後援会」の「正式な申し入れ」なら受けてもいいんじゃないか、と考えてしまうのは、それは後援会が選挙活動に欠かせない重要度の高い組織だから、という認識が双方にあるからではないか。
つまり『 関係性の深さ 』ではなくて、『 関係性の中身 』=『 選挙活動・選挙運動における重要性 』に対して、穂積氏、山本氏双方の認識が同じだからではないか。
だから山本氏は 「 (選挙活動大事なんです)後援会に正式な申し入れしてちょうだい。(後援会がないと選挙運動ままならないんです) 」と要求し、
穂積氏も 「 (選挙活動大事よね)正式な申し入れね、いいよ(後援会がないと選挙運動できないもんね、同情するよ) 」と応じたのではないか。
以上、全て私の妄想ですよ。
で、その妄想を根拠に言えば、今回の公開政策討論会は従来の選挙運動を乗り越えたいという候補者側の願望の表れといえる。
いわゆるドブ板、有権者への電話攻撃、ハガキ攻勢、選挙カーによる候補者名の連呼、自転車大行列などなど、組織力を生かした従来の旧態依然の選挙運動を乗り越えたい気持ちが候補者にはあるのではないか?
その組織力の源泉が後援会といえるだろう。
だから、後援会が候補者と同列の表に顔を出してきて、その要求を呑むということは、結局旧態依然の選挙運動を容認してしまう行為だと思うのだ。
公開政策討論会をやろう! と言っておきながら、後援会の要求を呑むことは矛盾していると言いたい。
だからこそ、白井氏のブログの中での文言「山本氏が言われる「正式な申入書」がなくても、山本氏が後援会内を調整すべきものだと考えます。」が、一際目立つ。
ここまでだらだら書いてきて、結局山本氏後援会が「正式な申し入れ」を望んだ理由はわからないままだが、後援会の要求を呑み候補者と同列になってしまったら公開政策討論会の意味が薄らぐことは、自分の中で整理がついた。
この意味が全く分からないままでいる。非常にモヤモヤした気分だ。
準備会の開催自体は決定したようだが、それは8月の終わりころらしい。
それまでの間に、今度もまた白井氏の提案で「ネット討論」の是非が現在やり取りされている。
未だに後援会の事を考えているなんて少し遅れてる感じだが、どうにも気になっている。
誰かスパッと小気味良い答えを教えてくれないだろうか。
と言っても仕方ないので、あれこれ考えてみようか。
この「正式な申し入れ」について、穂積氏は「(山本氏後援会は)正式文書が来ないから判断できないという」形式論を重要視しているようで、だからこそ連名で後援会に正式な申し入れをするべきだと主張されていた。
もう1人「正式な申し入れ」について言及されている方がいる。
白井氏のブログにコメントしてくれている田村太一氏だ。
「山本たくや後援会から回答がないのは、「正式な提案がないから」という理由も考えられます。」
(白井氏のブログの2017年08月07日の記事「山本たくや後援会にメールしました」へのコメント)
お二方とも「「正式な申し入れ」をすればいいじゃない」と言っているのはわかる。
それさえすれば、山本氏も話し合いに参加するのだから=話し合いも進展するのだから、という意味なのだと思う。
穂積氏はもう少し突っ込んだ見解も示していて、
・「山本氏側にあらためて申入れするのがスジというものです。」
・「禍根の残らぬ方法と手順でしっかりと詰めていくべきです。」
という文言がメールのやり取りの中に見受けられる。
山本氏に対して後からぐだぐだ言われないように注意を払っている様子がわかる。
一見、慎重な対応をしているようにも見えるし、「(現役市長として)こういう慎重な態度で市民にも接してきた」的な見方もできるだろう。
話し合いを円滑に進めるためにもあちらの要求に答えるという手続きをしっかり踏まえる、という「スピード感」とか「民主的手続き」とかを想起させる、なんだかイイことづくめな感じが確かにある。
そうなんだけど、大本に立ち返ると「3者による討論会」なのだよね。
穂積氏、白井氏はこの先も、例えば討論会開催における「正式な文書」とやらが必要になった時に、山本氏と後援会の2氏に送付せねばならないのかしら?
つまり山本氏側には交渉窓口が、山本氏と後援会氏の2つあることになるんじゃないのか?ってこと。
後援会にも「正式な申し入れ」をしたとなると、この先後援会をないがしろにできなくなるんじゃないのかね?
となるとこの先、常に4者による合意が必要になってくるんじゃないだろうか。
「3者による討論会」はどこにいってしまうのか。
それと候補者間の公平公正という面から見れば、後援会は穂積氏にも白井氏にもあるだろうから、そちらの後援会にも「正式な申し入れ」を送っておかないと不公平なんじゃないかしら?
先に挙げた4者による合意が必要なカタチになってしまうなら、なおさらだ。
「正式な申し入れ」は山本氏後援会が望んだものだから、穂積・白井両氏の後援会が望むのならそのようにする=望んでないから申し入れはしない、という理屈は成り立つと思う。
じゃあなんで山本氏後援会は「正式な申し入れ」を望んだのか?
その理由の答えは今のところどこにも示されてなくて、じゃあ3者に関係する個人や組織が望めば「正式な申し入れ」やらをいつでも出さなければならないのか、と言った暴論じみたことまで考えなくてはならなくなる恐れが出てくる。
例えば白井氏が「ウチの妻が正式な申し入れを欲しいと言い出しまして・・・えぇ、妻は私の大切なハニーですし、選挙運動にも欠かせない大切な人物ですから無碍にはできないのです」とか言ったら、穂積氏・山本氏はどうするのか。
極端な例だというのはわかっている。
じゃあもっと極端な例で、山本氏が「後援会」ではなくて「私の孫が」とか言い出したらどうだろうか。
親族だし血のつながりの濃い関係性の深い人物で、山本氏にとっては大切な存在(最近の山本氏のブログを読むとわかる)が「正式な申し入れを」と言ってきたら。
さすがにこれは「孫が欲しがったとしても、それはそっちでなんとかなだめてちょうだいよ」と言うだろうね(笑。
「孫、妻」と「後援会」。この違いはなんだろうか。
「孫、妻」は親族的・血縁的な関係性の深さがあり、「後援会」は選挙活動に欠かせない関係の深さがある。
『 関係性の深さ 』で「正式な申し入れ」受諾の判断をするなら、どちらにも真っ当な理由があるのだから、後援会の正式な申し入れを容認するなら、孫・妻の申し入れも容認せねばなるまいよ。
しかし、穂積氏、山本氏も、「後援会」の「正式な申し入れ」なら受けてもいいんじゃないか、と考えてしまうのは、それは後援会が選挙活動に欠かせない重要度の高い組織だから、という認識が双方にあるからではないか。
つまり『 関係性の深さ 』ではなくて、『 関係性の中身 』=『 選挙活動・選挙運動における重要性 』に対して、穂積氏、山本氏双方の認識が同じだからではないか。
だから山本氏は 「 (選挙活動大事なんです)後援会に正式な申し入れしてちょうだい。(後援会がないと選挙運動ままならないんです) 」と要求し、
穂積氏も 「 (選挙活動大事よね)正式な申し入れね、いいよ(後援会がないと選挙運動できないもんね、同情するよ) 」と応じたのではないか。
以上、全て私の妄想ですよ。
で、その妄想を根拠に言えば、今回の公開政策討論会は従来の選挙運動を乗り越えたいという候補者側の願望の表れといえる。
いわゆるドブ板、有権者への電話攻撃、ハガキ攻勢、選挙カーによる候補者名の連呼、自転車大行列などなど、組織力を生かした従来の旧態依然の選挙運動を乗り越えたい気持ちが候補者にはあるのではないか?
その組織力の源泉が後援会といえるだろう。
だから、後援会が候補者と同列の表に顔を出してきて、その要求を呑むということは、結局旧態依然の選挙運動を容認してしまう行為だと思うのだ。
公開政策討論会をやろう! と言っておきながら、後援会の要求を呑むことは矛盾していると言いたい。
だからこそ、白井氏のブログの中での文言「山本氏が言われる「正式な申入書」がなくても、山本氏が後援会内を調整すべきものだと考えます。」が、一際目立つ。
ここまでだらだら書いてきて、結局山本氏後援会が「正式な申し入れ」を望んだ理由はわからないままだが、後援会の要求を呑み候補者と同列になってしまったら公開政策討論会の意味が薄らぐことは、自分の中で整理がついた。