『市民自治政策』 各市長候補者のみなさんの比較(山本氏の性格への妄想)
3回に渡って行われる公開政策討論会も今日でいよいよ最後。
本日10月19日(木)19時より 新城文化会館 小ホール にて開催。
討論のテーマは『市民自治政策』。
こちらのブログでも候補者3人のそれぞれの政策の違いを独断と偏見で比較してきたが、最後の「市民自治政策」がまだ手つかずのままだ(笑。
ここで投げ出してしまうのも後味が悪いし、幸いなことに今日は会場に行けるので、自分の考えの整理のためにもひとつ頑張ってみよう。
山本氏の政策に関する資料は「 『人口政策』 各市長候補者のみなさんの比較 」の時に画像を張り付けたモノ以来、新しい資料を目にしていない。
なのでその時の資料を改めて読んでみたのだが、「市民自治政策」に関係すると思われる政策が見当たらない。
山本氏の政策は「私がやる!」「私が提供する!」と、こんな感じのものばかりで、その政治姿勢は「市民と共に成し遂げよう」というより「市民は行政のお客さん」という印象を強く受ける。
山本氏は市民自治には無関心なのか? といえばそういうわけでもなく、ブログを過去にさかのぼって読んでいけば、産廃業者に反対する運動、高齢者に向けた歌声喫茶、親子合唱団での活動、障碍者向けのパソコン訓練などなど、多くの分野で市民と交わり活動を続けている。
政策に、市民との共同・共働を書かない。 しかしご本人は積極的に市民との共同・共働に努めている。
この有り様を皆さんはどう思われるだろうか?
山本氏の件はちょっと置いといて、次は穂積氏。
穂積氏の「市民自治政策」の経歴は煌びやかだ。
2015年第10回マニフェスト大賞で優秀マニフェスト賞(首長)を穂積氏が受賞(特に「若者が活躍するまちをめざす総合的政策(若者政策)」に力を入れたこと)し、同じく2016年第11回ではシチズンシップ推進賞の最優秀賞を「新城市若者議会」が受賞。
「マニフェスト大賞」を検索してみると、
「地方自治体の議会・首長等や地域主権を支える市民等の、優れた活動を募集し、表彰するものです。」
と書かれている。
「市民自治活動」とはズバリ書いては無いけれども、「地域主権を支える市民の優れた活動」は、すなわち市民自治活動と同義であると言っていいだろう。
穂積市政での「市民自治政策」が形にしたモノ、つまりマニフェスト大賞を受賞した「若者議会」という『仕組み(システム)』 。
この「仕組み」を「作ったこと」。これは確かに穂積氏の市民自治政策の優秀な成果だ。
そして穂積氏の市民自治政策の特徴は、このように「仕組み(システム)」を作ること、と言っていいだろう。
「若者議会」の他にも「地域自治区」、地域自治区の事を話し合う「地域協議会」。
それらの仕組みの大元「新城市自治基本条例」。
新城市自治基本条例がうまく機能しているか検証する「市民自治会議」。
自治基本条例に基づき年1回の開催が義務付けられている市民まちづくり集会を運営するための「市民まちづくり集会実行委員会」。
それぞれの仕組みにはその仕組みを法律的に裏付ける「条例」も作られている。
自らが作った「仕組み」は穂積氏の誇りだろうと思う。
実際、自画自賛ではなく外部機関から「マニフェスト大賞」を受賞しているのだから。
しかしマニフェスト大賞の賞している部分は「活動」ではないのだろうか?
→ 「地域主権を支える市民の『優れた活動』」
『活動』ならば、将来的に何らかの成果を出さねばならないはずだ。
「仕組み」作りに精を出すのも結構だが、マニフェスト大賞受賞を誇るとしたら「活動」が「成果」を生み出すための積極的な働きかけをしなくてはいけない。
穂積氏は市民自治活動にも力を入れているのだろうか?
そもそも、仕組み作りまでが己の仕事、としか思っていないのではないか?
そもそも、市民自治活動に興味はあるのか? 市民自治活動のなんらかの経験はあるのか?
ここで、先に挙げた山本氏との対照的な違いがあるように感じられる。
穂積氏は市民自治活動の経験が無いのではないか?
市民自治の理念、それに基づく市民自治のあるべき姿を机上で空想するが故に、仕組み作りばかりに頭脳を回転させてしまうのだ。
山本氏は今も現役で市民の抱える様々な課題に取り組んでいる。
多分行政を頼らず、あるいは過大な期待をせず、もらえる補助金は頂きつつ己の周囲の人々の協力を仰いで、後は自分のアイディアで様々な活動に取り組んできたのではないか。
そしてそういう活動スタイルが「市民活動」の当たり前で常識的なスタイルだと思っているのではないか。
・穂積氏が最近のマニフェストでも「新たな4つの機構」と題し、ま た し て も 「仕組み作り」を打ち出していること。
・山本氏の選挙資料に市民自治の関わる記述が見当たらないこと。
この2つの対照的な違いは、私の以上による長い妄想によれば(笑、この2氏の市民自治活動への経験・アプローチの違いによるものだと思われるのだ。
ところで、なぜ山本氏の政策資料に市民自治関係の政策が書かれていないのだろうか?
山本氏のブログをつらつらと読んでいると、障碍者や高齢者、もちろん一般市民にも目を向けた様々な活動をしていることがわかる。アイディアや目の付け所も豊富だし、補助金交付も積極的に活用しているようだ。
ここまで経験をもっていながら、それを市政に反映させることに思い至らないのはなぜだろう?
少し前に市民が手掛ける小規模水力発電の話を聞く機会があった。
印象に残っているのは補助金交付の手続きの煩雑さの訴えだった。最初の交付はもちろん、修理費用までもわざわざ申請が必要でその書類準備がマジでめんどくさいらしく、ヤル気を認められての交付金が逆にヤル気を削ぐという笑えない経験談だった。
こういう現状を山本氏も経験、あるいは知っているのではないか?
もう単純に「市民活動のための補助金交付申請の手続き簡素化を目指します!」みたいなことを政策に取り上げればいいんじゃないかと思うのだ。
一体なぜ?
ここから妄想だけれどもw、多分山本氏は事務処理能力に長けていて、こういう書類をパッパと仕上げることが得意、というかむしろ『 好き 』なんじゃないか?
市民活動への障壁になっていることを自らの力で克服することが『 好き 』なんじゃないか?
市民活動に障壁はつきもので、文句を言っても始まらない。
本気で市民活動に取り組むなら「私のように」障壁を乗り越えろ、とか思ってんじゃないか。
自らに試練を与えることが好きで、周りの人もそうであるべき、とさえ思ってんじゃないんですかね?
と、妄想を働かせると、政策が「市民は行政のお客さん」に見えるのは、自分に試練を与える=自分は犠牲になる=市民には迷惑・苦労はかけない、という表れにも見えてくる。
そういえば政策の中に「市長給与は人口増減連動型にする」とあったはずだ。
これなんかも自己犠牲の表れのように思えてくる。
だから、市民自治活動に自己犠牲ありきが当然と考えている山本氏にとっては、自己犠牲を強いることになる市民自治活動を市長としての政策には取り上げられなかったのではないだろうか?
政策の比較がぐだぐだになってしまい、最後には山本氏の性格を妄想するまでになってしまった。
大変長くなったので、ここらでいったん終わる。
本日10月19日(木)19時より 新城文化会館 小ホール にて開催。
討論のテーマは『市民自治政策』。
こちらのブログでも候補者3人のそれぞれの政策の違いを独断と偏見で比較してきたが、最後の「市民自治政策」がまだ手つかずのままだ(笑。
ここで投げ出してしまうのも後味が悪いし、幸いなことに今日は会場に行けるので、自分の考えの整理のためにもひとつ頑張ってみよう。
山本氏の政策に関する資料は「 『人口政策』 各市長候補者のみなさんの比較 」の時に画像を張り付けたモノ以来、新しい資料を目にしていない。
なのでその時の資料を改めて読んでみたのだが、「市民自治政策」に関係すると思われる政策が見当たらない。
山本氏の政策は「私がやる!」「私が提供する!」と、こんな感じのものばかりで、その政治姿勢は「市民と共に成し遂げよう」というより「市民は行政のお客さん」という印象を強く受ける。
山本氏は市民自治には無関心なのか? といえばそういうわけでもなく、ブログを過去にさかのぼって読んでいけば、産廃業者に反対する運動、高齢者に向けた歌声喫茶、親子合唱団での活動、障碍者向けのパソコン訓練などなど、多くの分野で市民と交わり活動を続けている。
政策に、市民との共同・共働を書かない。 しかしご本人は積極的に市民との共同・共働に努めている。
この有り様を皆さんはどう思われるだろうか?
山本氏の件はちょっと置いといて、次は穂積氏。
穂積氏の「市民自治政策」の経歴は煌びやかだ。
2015年第10回マニフェスト大賞で優秀マニフェスト賞(首長)を穂積氏が受賞(特に「若者が活躍するまちをめざす総合的政策(若者政策)」に力を入れたこと)し、同じく2016年第11回ではシチズンシップ推進賞の最優秀賞を「新城市若者議会」が受賞。
「マニフェスト大賞」を検索してみると、
「地方自治体の議会・首長等や地域主権を支える市民等の、優れた活動を募集し、表彰するものです。」
と書かれている。
「市民自治活動」とはズバリ書いては無いけれども、「地域主権を支える市民の優れた活動」は、すなわち市民自治活動と同義であると言っていいだろう。
穂積市政での「市民自治政策」が形にしたモノ、つまりマニフェスト大賞を受賞した「若者議会」という『仕組み(システム)』 。
この「仕組み」を「作ったこと」。これは確かに穂積氏の市民自治政策の優秀な成果だ。
そして穂積氏の市民自治政策の特徴は、このように「仕組み(システム)」を作ること、と言っていいだろう。
「若者議会」の他にも「地域自治区」、地域自治区の事を話し合う「地域協議会」。
それらの仕組みの大元「新城市自治基本条例」。
新城市自治基本条例がうまく機能しているか検証する「市民自治会議」。
自治基本条例に基づき年1回の開催が義務付けられている市民まちづくり集会を運営するための「市民まちづくり集会実行委員会」。
それぞれの仕組みにはその仕組みを法律的に裏付ける「条例」も作られている。
自らが作った「仕組み」は穂積氏の誇りだろうと思う。
実際、自画自賛ではなく外部機関から「マニフェスト大賞」を受賞しているのだから。
しかしマニフェスト大賞の賞している部分は「活動」ではないのだろうか?
→ 「地域主権を支える市民の『優れた活動』」
『活動』ならば、将来的に何らかの成果を出さねばならないはずだ。
「仕組み」作りに精を出すのも結構だが、マニフェスト大賞受賞を誇るとしたら「活動」が「成果」を生み出すための積極的な働きかけをしなくてはいけない。
穂積氏は市民自治活動にも力を入れているのだろうか?
そもそも、仕組み作りまでが己の仕事、としか思っていないのではないか?
そもそも、市民自治活動に興味はあるのか? 市民自治活動のなんらかの経験はあるのか?
ここで、先に挙げた山本氏との対照的な違いがあるように感じられる。
穂積氏は市民自治活動の経験が無いのではないか?
市民自治の理念、それに基づく市民自治のあるべき姿を机上で空想するが故に、仕組み作りばかりに頭脳を回転させてしまうのだ。
山本氏は今も現役で市民の抱える様々な課題に取り組んでいる。
多分行政を頼らず、あるいは過大な期待をせず、もらえる補助金は頂きつつ己の周囲の人々の協力を仰いで、後は自分のアイディアで様々な活動に取り組んできたのではないか。
そしてそういう活動スタイルが「市民活動」の当たり前で常識的なスタイルだと思っているのではないか。
・穂積氏が最近のマニフェストでも「新たな4つの機構」と題し、ま た し て も 「仕組み作り」を打ち出していること。
・山本氏の選挙資料に市民自治の関わる記述が見当たらないこと。
この2つの対照的な違いは、私の以上による長い妄想によれば(笑、この2氏の市民自治活動への経験・アプローチの違いによるものだと思われるのだ。
ところで、なぜ山本氏の政策資料に市民自治関係の政策が書かれていないのだろうか?
山本氏のブログをつらつらと読んでいると、障碍者や高齢者、もちろん一般市民にも目を向けた様々な活動をしていることがわかる。アイディアや目の付け所も豊富だし、補助金交付も積極的に活用しているようだ。
ここまで経験をもっていながら、それを市政に反映させることに思い至らないのはなぜだろう?
少し前に市民が手掛ける小規模水力発電の話を聞く機会があった。
印象に残っているのは補助金交付の手続きの煩雑さの訴えだった。最初の交付はもちろん、修理費用までもわざわざ申請が必要でその書類準備がマジでめんどくさいらしく、ヤル気を認められての交付金が逆にヤル気を削ぐという笑えない経験談だった。
こういう現状を山本氏も経験、あるいは知っているのではないか?
もう単純に「市民活動のための補助金交付申請の手続き簡素化を目指します!」みたいなことを政策に取り上げればいいんじゃないかと思うのだ。
一体なぜ?
ここから妄想だけれどもw、多分山本氏は事務処理能力に長けていて、こういう書類をパッパと仕上げることが得意、というかむしろ『 好き 』なんじゃないか?
市民活動への障壁になっていることを自らの力で克服することが『 好き 』なんじゃないか?
市民活動に障壁はつきもので、文句を言っても始まらない。
本気で市民活動に取り組むなら「私のように」障壁を乗り越えろ、とか思ってんじゃないか。
自らに試練を与えることが好きで、周りの人もそうであるべき、とさえ思ってんじゃないんですかね?
と、妄想を働かせると、政策が「市民は行政のお客さん」に見えるのは、自分に試練を与える=自分は犠牲になる=市民には迷惑・苦労はかけない、という表れにも見えてくる。
そういえば政策の中に「市長給与は人口増減連動型にする」とあったはずだ。
これなんかも自己犠牲の表れのように思えてくる。
だから、市民自治活動に自己犠牲ありきが当然と考えている山本氏にとっては、自己犠牲を強いることになる市民自治活動を市長としての政策には取り上げられなかったのではないだろうか?
政策の比較がぐだぐだになってしまい、最後には山本氏の性格を妄想するまでになってしまった。
大変長くなったので、ここらでいったん終わる。