こんな本を買いました

「そんなことをしても世の中変わらない」と言う人たちがいます。
違います。
「そんなことをしても世の中変わらない」と言う人が多いから世の中変わらないのです。

うーむ、なるほどなぁ。

こんな本を買いました




前から読みたいと思っていたこの本をようやく手に入れた。
というか、アマゾンで簡単に買えた(笑

冒頭の文言はこの本に書いてあったこと。「そんなこと」とはデモのことです。

この本の最初の章「デモはたのしい」は、松沢呉一さんと言う方が書いています。
ここでの文章は、当たり前だけど「デモ」と言う言葉がたくさん出てきます。
これを「リコール」に置き換えても不思議と違和感のない文章になるような・・・。

例えば、

・「デモは迷惑」という人たちが出てきますが、デモは法で認められた権利の行使です。それを迷惑がる人たちは、他者の権利を軽く見ているだけでなく、自分の権利を放棄しているとも言えます。

とか、

・選挙という方法の欠陥を補う手段がデモでもあるわけです。
デモがそういった効果を常にもたらすわけではなく、それによって政治家もマスコミも行政も動かないかもしれない。それを見た人たちが意見を変えることもないかもしれない。それでもデモをやっていいのです。これは表現だからです。効果があるのかないのかわからないことをやってはいけないんだったら、テレビだって、新聞だって、出版だって、映画だって、音楽だって、ブログだってあらゆる表現に意味がない事になってしまいます。


まさに今行われているリコールのための署名運動は、新友会とかいう組織に「新城の恥だ」と迷惑がられています。
この署名運動も「市長に辞めてほしい」というひとつの表現でもあると捉えれば、それは効果があるのかどうかわからない。


・人はやむにやまれず表現をします。効果なんてものは結果出てくるものでしかなく、それはデモでも同じです。必要なのは「デモをやりたい」という意思だけです。



「リコールをやりたい」とそのまま当てはめると「ただ辞めさせたいだけか」と捉えられてしまうかもしれないですね。
デモは、「選挙時にはわからなかったことを選挙民が伝える手段のひとつ」としています。
リコールも、「市長選挙時以降にはわかならかった市長の政治手法」、それを見ているうちに疑問を抱き、「任期途中だが辞めてもらわなければ」と市民に伝える手段のひとつ、といえないでしょうか?

少しでも署名に興味、関心を持ったのなら、私はやはり受任者の方々と話してみることをおすすめします。
ご自分の疑問を素直にぶつけ、もし受任者の答えに納得できるのならば、その納得を自分の「表現」として署名されればよいと思います。
自分の「表現」は自分のもの。
他人にとやかく言われて自分の「表現」を否定せず、肯定する一歩を踏み出したいものです。


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2016年02月06日 Posted byけま at 04:52 │Comments(0)市長リコール運動

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