市長のブログから

新城市長のブログ、2016年02月16日「民主主義の深み(http://tomako.dosugoi.net/e839801.html 」では
憲法第12条を引き合いにして記事がかかれている。

憲法そのものには色んな学説があるがそのひとつに、「国」という権力が「人民」をその権力で押さえつけないように「(国の)権力を制限する規範」というものがある。

「国民に保障される自由及び権利」は「国」の持つ権力によって常に脅かされる危険性を持っている、というわけだ。
だからこそ「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」のだな。

では、この「不断の努力」とは?

このことが市長のブログでいうところの、
「水道の水も日々適正に管理運用されていればこそ便利に使えるもの。民主主義も同じで、高い意識や規範をもって運用する国民がいてこそ成り立つものと思います」
ということなのだろう。

具体的に考えられることは、
・新聞やらテレビのニュースとかで「国」のやることに常に注意を払い、
・「自由及び権利」が押さえつけられるようなことには抗議の声、行動をとらなければならない。
ということだろうか。

こういうことをする国民が市長のいうところの「高い意識や規範をもって運用する国民」で、こういう国民がいてこそ「(民主主義が)成り立つものと思います」というわけだ。

この「不断の努力」を常に行う、と。
民主主義というモノはなかなか大変な努力を国民に強いるものなのだ。

さてこの「国」は地方公共団体、すなわち「県」やら「市」「町」「村」にも当てはめることができるだろう。
私たち市民は「国」と同じく「市」、すなわち「市長」に対しても「自由及び権利」を守るべく「不断の努力」をしていかなければならない。
なんせ市長自らが「高い意識や規範をもって運用する国民」を望んでいるのだから。(「国民」は「市民」に置き換えよう)

ホント、ずーっとこのブログで述べているけれども、また繰り返す。
住民投票の後の実務協議で、求める会は会の提示した市民案に対する市側の質問にしっかり答えた。
その答えが実用的現実的ではないならば、また協議を行い、そのようにして互いに納得できる新庁舎案ができるものと思っていた。
しかし協議は市側の回答のないまま打ち切られ、求める会に一言もなく新たな見直し案が発表された。

協議結果を全く無視するような態度を取ったのは市側だろう。

この話し合いを無視した横暴な態度こそが問題にされなければならない。
私はこの市側の態度が市民の「自由及び権利」を、まさに『押さえつけた』瞬間だと思っている。

その市側の行動に対して「自由及び権利」を守る行動が、今回の「市長リコール運動」と理解している。

市長の言う「高い意識や規範をもって運用する“市民”」がこのリコール運動をさせたのだ。
市長の記事に沿うなら、むしろこの「リコール運動」を市長は喜ばなければならないだろう。


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2016年02月25日 Posted byけま at 04:29 │Comments(0)市長リコール運動

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