「民主主義の使い方」とか 2
市長の理屈はこうだ。 (以後「」は市長のブログから抜き書き)
「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」
というのは、
「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもので」
「民主主義からの逸脱ではないか」
市長が「100歩譲ってもまだ理屈が通る」としているのは、
「市の基本設計の是非を住民投票で問い、その結果、市が新たな見直し案を提出することになった」
「その見直し案の是非もあらためて住民投票で問えと」
こういうことらしい。
新たな見直し案を、再度住民投票で問うのならいいと言っているのだな。
再度民投票やるというなら、
「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもので」はなくて、
「民主主義からの逸脱ではないか」というものではない、と。
すなわち「他の多くの市民の意思を問う機会」だし、「民主主義」だ、ということか。
「100歩譲って」らしいけど。
市長リコールが、なぜ「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもの」なのか?
市長リコールは『解職請求』と言う。
『請求』しているのはある一部の市民、すなわち市長のブログでいうところの「会」がしていることで、「会」の『請求』相手は市長。
この『請求する人VS請求される人、と言う構図』を、市長は「自分(たち)VS市長、という構図」と言っているのだろう。
この対立の構造には「他の多くの市民」はいない、というわけか。 まぁ、そうだな。
そういう構図にしちゃった「会」は、「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもの」にしちゃったのと同じ、ということかね。
なんだか、理屈が難しいよ。
これさ、「他の多くの市民」も声を上げればいいだけの話なんじゃないの?
「会」がリコールを叫ぶなら、「他の多くの市民」も別の主張を叫べばいいだけのことで、もし「会」が「他の多くの市民」の主張を妨害するなら、そこで初めて「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪う」ことになるんじゃないのかな?
これ『新友会』がまさにそうだったよなぁ(笑
自分で書いてて市長の理屈がよくわからなくなってきた。もう一度よく読んで考えてみよう。
簡単に説明できる方、いらっしゃったら教えてください。
「自分たちの案が認められないなら市長リコールだ」
というのは、
「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもので」
「民主主義からの逸脱ではないか」
市長が「100歩譲ってもまだ理屈が通る」としているのは、
「市の基本設計の是非を住民投票で問い、その結果、市が新たな見直し案を提出することになった」
「その見直し案の是非もあらためて住民投票で問えと」
こういうことらしい。
新たな見直し案を、再度住民投票で問うのならいいと言っているのだな。
再度民投票やるというなら、
「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもので」はなくて、
「民主主義からの逸脱ではないか」というものではない、と。
すなわち「他の多くの市民の意思を問う機会」だし、「民主主義」だ、ということか。
「100歩譲って」らしいけど。
市長リコールが、なぜ「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもの」なのか?
市長リコールは『解職請求』と言う。
『請求』しているのはある一部の市民、すなわち市長のブログでいうところの「会」がしていることで、「会」の『請求』相手は市長。
この『請求する人VS請求される人、と言う構図』を、市長は「自分(たち)VS市長、という構図」と言っているのだろう。
この対立の構造には「他の多くの市民」はいない、というわけか。 まぁ、そうだな。
そういう構図にしちゃった「会」は、「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪うに等しいもの」にしちゃったのと同じ、ということかね。
なんだか、理屈が難しいよ。
これさ、「他の多くの市民」も声を上げればいいだけの話なんじゃないの?
「会」がリコールを叫ぶなら、「他の多くの市民」も別の主張を叫べばいいだけのことで、もし「会」が「他の多くの市民」の主張を妨害するなら、そこで初めて「他の多くの市民の意思を問う機会自体を奪う」ことになるんじゃないのかな?
これ『新友会』がまさにそうだったよなぁ(笑
自分で書いてて市長の理屈がよくわからなくなってきた。もう一度よく読んで考えてみよう。
簡単に説明できる方、いらっしゃったら教えてください。