「第5回新城市市民まちづくり集会」に行ってきた
11月27日、第5回新城市市民まちづくり集会が開催された。
私はブログでの書きっぷりからご存じのとおり「文句メイカー」を自負している。
何か言われればケチをつけたくなる性分で、およそ生産的な話し合いには向いていない。
この「まちづくり集会」では話し合いのルールとして、
・「批判しない」
・「ひとりだけでしゃべらない」
・「人の意見に耳を傾ける」
(・・・確かこんな内容だったと思う)
毎回この3つが説明される。
どれひとつとしてきっちり守れる自信がない。
とはいえ、文句メイカーの矜持として「自ら見聞きしたものに文句を言う」ことにしているからには「まちづくり集会」に参加しない事にはブログに書くことができない。
こういう時には「善人賢者モード」に自ら切り換えることにしている。
ウソの人格で話し合いに臨むワケで、もう会場に行く前から気が重い。
こんなことしなくちゃならないなら参加したくない、とさえ思う。全然楽しみじゃない。
ブツブツと心の中で文句を言いながら会場の出入り口に着くと、気重な私とは対照的に職員さんたちが明るく声をかけてくれる。
実にご苦労なことだ。こんな根暗な顔している(に違いない)おっさんにも丁寧に案内してくれる。ホント恐縮してしまう。
一応市民自治会議委員という肩書なので事前に参加案内を頂いていて、「参加します」と返事を出しておいた。
会場の新城文化会館大会議室の入り口には、事前に参加表明した市民とそうでない市民とに分かれて受付がなされていて、私は事前参加の方に行き受付を済まそうとした。
・・・のだが、ナントそこには私の名前が無い。
しかし「善人賢者モード」のワタクシ、こんな人を馬鹿にしたような仕打ちを受けても全く平気。
「オレは相変わらず企画部/まちづくり推進課から嫌われているなぁ。この前の市民自治会議でもメールで2度も質問送ったにも関わらず無視されたしなぁ。」と改めて感慨を深くした。
飛び入り参加というカタチで受付を済ませ、10番テーブルへ行くよう指示された。
今回のまちづくり集会では市議会議員さんがほぼ全員参加されたことがトピックとなっていたが、私のテーブルにはいなかった。
まぁ21もテーブルがあったのだから、議員さんがいないテーブルがあってもおかしくない。
今回のテーマは「女性(あなた)が未来(まち)を変える」
第1部は「活躍女子のお話」と題して、実際に市内外で活躍している女性やそのサポートをしている男性、行政や議会の立場からの話、などが発表された。
日本の社会における慣習的な女性の役割、すなわち「家事」「育児」「夫を支える」などの目線で見れば、第1部の活躍女子の話はその役割から自由であったり、克服している人、そしてそれを手助けする人であることがわかる。
しかし最近の考え方からいけば、「家事・育児」を「女性」だけが担う必要性は全くない。
「女性」と「男性」にそもそも能力差は無く、差があるとするなら生物学的に「子を産む能力があるか否か」に尽きるだろう。
という考えが新城市民にも割と広がっているように感じたのは、第2部のディスカッションの発表を聞いての事だ。
結果を出さず、「気付き」を求めるのがまちづくり集会のひとつのコンセプトだ。
テーマに沿って『「女性(あなた)が未来(まち)を変える」ために○○しよう』などという結論をまちづくり集会全体としては出すことは無い。
しかし参加した市民にとっては、話し合いの内容を何らかのカタチにしないと「一体私はナニをしにきたのか?」という実感が持てない恐れもある。
この辺り、まちづくり集会のあり方として矛盾を抱えているように感じる。
と、ひとつ問題提起。
さて、それで、その矛盾を克服する手段として、各テーブルごとでは「女性(あなた)が未来(まち)を変える」ためにどうしたらよいかを発表することになっていた。
そして先の「男女に能力差は無い」の話に戻るのだけど、この発表を聞いていると、各テーブルとも「そもそも女性とは?」的な話をしたんじゃないかと思われる印象を受けた。
男性が発表をしたテーブルではまだまだ「男は社会で、女は家庭で」的な考えが濃く臭うモノがあったが、多くのテーブルで「男女関係なく」を主語に置いた発表がなされ、新城市民は割と啓かれた考えを持っているのだなぁと感じた。
しかしここで「善人賢者モード」の私の中の「文句メイカー」がブツブツ言いだすのだ。
「結局、ここにいる人ってのはみんな「善人賢者モード」なんじゃねえの?」
最初に戻ると、このまちづくり集会は、『・「批判しない」』のだ。
そんな中であえて「オレは女は家庭を守るべきで社会に出る必要はないと思っている」とか言ったらどうなるか。
多分、場がシラケる。
そんなことを言わせまいと、テーマに沿った優等生的な意見が場を占めて、みんな「うんうん、そのとおりだねぇ」と善人的な意見でまとまるのだろう。
時間も限られているし、突っ込んだ意見や考えの応酬なんてのはどだいムリなのだ。
となれば、始めから世間で善とされている考えを軸にして、みんなの持ってる「善人賢者モード」で体よく話し合うフリをして「ああ、よく話し合ったねぇ(笑」と終えるのが、「新城市市民まちづくり集会」における全き善きプロトコールなのだ。
そうか、最後には割と楽しく話せたなぁと感じたのは、私の「善人賢者モード」が実はこの集会において最適解だったからなのだなぁ。
私はブログでの書きっぷりからご存じのとおり「文句メイカー」を自負している。
何か言われればケチをつけたくなる性分で、およそ生産的な話し合いには向いていない。
この「まちづくり集会」では話し合いのルールとして、
・「批判しない」
・「ひとりだけでしゃべらない」
・「人の意見に耳を傾ける」
(・・・確かこんな内容だったと思う)
毎回この3つが説明される。
どれひとつとしてきっちり守れる自信がない。
とはいえ、文句メイカーの矜持として「自ら見聞きしたものに文句を言う」ことにしているからには「まちづくり集会」に参加しない事にはブログに書くことができない。
こういう時には「善人賢者モード」に自ら切り換えることにしている。
ウソの人格で話し合いに臨むワケで、もう会場に行く前から気が重い。
こんなことしなくちゃならないなら参加したくない、とさえ思う。全然楽しみじゃない。
ブツブツと心の中で文句を言いながら会場の出入り口に着くと、気重な私とは対照的に職員さんたちが明るく声をかけてくれる。
実にご苦労なことだ。こんな根暗な顔している(に違いない)おっさんにも丁寧に案内してくれる。ホント恐縮してしまう。
一応市民自治会議委員という肩書なので事前に参加案内を頂いていて、「参加します」と返事を出しておいた。
会場の新城文化会館大会議室の入り口には、事前に参加表明した市民とそうでない市民とに分かれて受付がなされていて、私は事前参加の方に行き受付を済まそうとした。
・・・のだが、ナントそこには私の名前が無い。
しかし「善人賢者モード」のワタクシ、こんな人を馬鹿にしたような仕打ちを受けても全く平気。
「オレは相変わらず企画部/まちづくり推進課から嫌われているなぁ。この前の市民自治会議でもメールで2度も質問送ったにも関わらず無視されたしなぁ。」と改めて感慨を深くした。
飛び入り参加というカタチで受付を済ませ、10番テーブルへ行くよう指示された。
今回のまちづくり集会では市議会議員さんがほぼ全員参加されたことがトピックとなっていたが、私のテーブルにはいなかった。
まぁ21もテーブルがあったのだから、議員さんがいないテーブルがあってもおかしくない。
今回のテーマは「女性(あなた)が未来(まち)を変える」
第1部は「活躍女子のお話」と題して、実際に市内外で活躍している女性やそのサポートをしている男性、行政や議会の立場からの話、などが発表された。
日本の社会における慣習的な女性の役割、すなわち「家事」「育児」「夫を支える」などの目線で見れば、第1部の活躍女子の話はその役割から自由であったり、克服している人、そしてそれを手助けする人であることがわかる。
しかし最近の考え方からいけば、「家事・育児」を「女性」だけが担う必要性は全くない。
「女性」と「男性」にそもそも能力差は無く、差があるとするなら生物学的に「子を産む能力があるか否か」に尽きるだろう。
という考えが新城市民にも割と広がっているように感じたのは、第2部のディスカッションの発表を聞いての事だ。
結果を出さず、「気付き」を求めるのがまちづくり集会のひとつのコンセプトだ。
テーマに沿って『「女性(あなた)が未来(まち)を変える」ために○○しよう』などという結論をまちづくり集会全体としては出すことは無い。
しかし参加した市民にとっては、話し合いの内容を何らかのカタチにしないと「一体私はナニをしにきたのか?」という実感が持てない恐れもある。
この辺り、まちづくり集会のあり方として矛盾を抱えているように感じる。
と、ひとつ問題提起。
さて、それで、その矛盾を克服する手段として、各テーブルごとでは「女性(あなた)が未来(まち)を変える」ためにどうしたらよいかを発表することになっていた。
そして先の「男女に能力差は無い」の話に戻るのだけど、この発表を聞いていると、各テーブルとも「そもそも女性とは?」的な話をしたんじゃないかと思われる印象を受けた。
男性が発表をしたテーブルではまだまだ「男は社会で、女は家庭で」的な考えが濃く臭うモノがあったが、多くのテーブルで「男女関係なく」を主語に置いた発表がなされ、新城市民は割と啓かれた考えを持っているのだなぁと感じた。
しかしここで「善人賢者モード」の私の中の「文句メイカー」がブツブツ言いだすのだ。
「結局、ここにいる人ってのはみんな「善人賢者モード」なんじゃねえの?」
最初に戻ると、このまちづくり集会は、『・「批判しない」』のだ。
そんな中であえて「オレは女は家庭を守るべきで社会に出る必要はないと思っている」とか言ったらどうなるか。
多分、場がシラケる。
そんなことを言わせまいと、テーマに沿った優等生的な意見が場を占めて、みんな「うんうん、そのとおりだねぇ」と善人的な意見でまとまるのだろう。
時間も限られているし、突っ込んだ意見や考えの応酬なんてのはどだいムリなのだ。
となれば、始めから世間で善とされている考えを軸にして、みんなの持ってる「善人賢者モード」で体よく話し合うフリをして「ああ、よく話し合ったねぇ(笑」と終えるのが、「新城市市民まちづくり集会」における全き善きプロトコールなのだ。
そうか、最後には割と楽しく話せたなぁと感じたのは、私の「善人賢者モード」が実はこの集会において最適解だったからなのだなぁ。