まちづくり集会はどんな感じだった? 2
前回の続きで、まただらだらとまちづくり集会の模様を書いていこう。
「求める会」、「議会」双方から住民投票を求めた経緯の説明があった後、現計画の説明があった。
これは計画に携わっている行政が説明せざるを得ない。
6 新庁舎建設現計画の説明 契約検査課参事 柴田和幸氏
・道路付け替えの理由→1一棟集約 2新庁舎へのアクセス、通園通学路の安全性の向上 3文化会館駐車場の渋滞緩和
・大きさの決め方→ 市民スペース(市民ワークショップ検討)、執務スペース(庁内作業部会検討)、議会スペース(議会との協議)3つの機能を積み上げて11000平米になった。
・その後、機能を一棟集約して8995平米に収めた。
・総事業費49億700万円
・新庁舎のイメージ動画を流す。
と、こういう流れだった。
この後選択肢の説明になるので、その前に現計画を一通り説明するのは流れとしてはいいだろう。
集会の冒頭、住民投票の説明で「選択肢 (付け替え道路の変更を)1・伴わない 2・伴う」だったので、最初に道路付け替えの理由を説明したのはよかったと思う。
しかしこの説明は道路付け替えのメリットばかりを挙げていて、直接言及してないが、「付け替えないとそのメリットを否定する結果になる」と言っているようなものではないか?。
すなわち、1一棟集約「できません」 2新庁舎へのアクセス「悪くなって」、通園通学路の安全性の向上「が見込めません」 3文化会館駐車場の渋滞緩和「できません」 というような。
このあとの質疑応答で若者からの質問に市側は「選択肢2も過去に検討した。いろいろな問題があり選択肢1になった。」と答えている。検討した過去の経緯があるなら選択肢2にもメリットはあったはずだと思うが、どうなのだろうか?
もちろんここは「現計画を説明する」ところで、それ以外の説明をする必要はなく、選択肢1のデメリットも説明しなくてはならないわけでもない。
しかし。モヤモヤとした疑問が残るところだ。
そのあと現計画の市庁舎規模の具体的な平米数が決まった経緯の説明があった。
「現計画の説明」だから、決定している数字(新庁舎面積)を公表するのは悪くないだろう。
しかし、今回の住民投票での争点は『選択肢 「1・伴わない 2・伴う」』だし、住民投票説明において実行委員加藤氏が『「50億5階建てとか30億3階建てを問うものではありません。」』と言っている。
具体的な数字を問う住民投票ではないところで数字が出てくれば、市民はとまどうのではないか?
道路形状、敷地形状に変化のないのが選択肢1だ。ならば出来上がる建物も現計画と変わらないだろうと思うのが普通の感覚ではないか?
ならばこの数字「8995平米」が選択肢1だな、と思うのも無理はない。
さらに勘ぐれば、「8995平米」は「11000平米」を一棟集約して達成した数字だと言う。
一棟集約しない選択肢2は、「8995平米」以上になる、とも取れるような表現だ。
そして最後に現計画での新庁舎イメージ動画を流す。
これも、くどいようだが、「現計画の説明」だからそういう動画があるなら流したっておかしくはない。
しかし、このイメージ動画はまちづくり集会に参加している多くの市民に誤解を与えたであろうことがうかがえる。
このあとの質疑応答で若者が、「イメージ動画ステキだった。見直しは絶対必要なのか?」という質問をしているのだ。
あんなステキな新庁舎が、見直すことによってできなくなるのは残念だと言っているわけで、これはその若者だけが思ったはずはない。
そして選択肢1と2、パッと見れば道路形状、敷地の形状が大きく変わるのが選択肢2なので、
『「見直し=選択肢2」だから「ステキ動画でなくなる=選択肢2』」と思う市民もいたに違いない。
ここまで懇切丁寧に、住民投票は「現計画の見直しを問うもので、選択肢は「1・伴わない 2・伴う」だけ。50億5階建てとか30億3階建てを問うものではない。」と説明してきたのに、この動画一発でそういう説明を市民の頭の中から吹っ飛ばしたんじゃないかと思うほどだ。
この6の段、市側はまちづくり集会の条件内で目一杯の「ホントは現計画で行きたいんです」アピールをしてきた感がある。
市側の作戦が見事なわけだし、実行委員会もまちづくり集会の進行としては「公平公正」で問題無いと言えるのだろう。
またくどいようだが、しかし、だ。
例えば「住民投票広報」だ。これは市長が作成した。
この「広報」はわかりにくいとされた選択肢の説明資料として作成することが議会で決まった。
議会で決まったんなら、議会が「広報」を作るのが筋だし、「議会の責任」というものだろう。
市長は現計画推進の中心人物で選択肢1を望んでいる。市長が「広報」作るのは公平では無いはずだ。
実行委員会はそういう「不公平の構造」には目をつぶっている。
出来上がっているもの(「広報」やこの前も指摘した「選択肢の説明を議会がしないこと」、すべて議会がやらねば不公平なこと)を「公平公正」に推進することに力を尽くすと決めたのだな。
「公平公正」は誰のためなのか?
ここまででわかるのは、それは決して市民に対して「公平公正な情報」を与えるものではなく、議会・市側と求める会の2者に対して「公平公正な場」を与えようとしたことではないだろうか。
この後は選択肢の説明に入る。
ここでも選択肢1、2の説明は実行委員会が行い、市側・求める会両方には引っ込んでいてもらい「公平公正」であろうとしている。
しかし「公平公正な場」を提供するだけなので、その「場」でどんな発言をしてもその発言が「公平公正」なモノかは実行委員会としては「知らん」ということなのだろうな。
とまどうのは市民で、この選択肢の説明でヤジが飛ぶのだ。
だらだらと長くなったので続きはまた書こう。
「求める会」、「議会」双方から住民投票を求めた経緯の説明があった後、現計画の説明があった。
これは計画に携わっている行政が説明せざるを得ない。
6 新庁舎建設現計画の説明 契約検査課参事 柴田和幸氏
・道路付け替えの理由→1一棟集約 2新庁舎へのアクセス、通園通学路の安全性の向上 3文化会館駐車場の渋滞緩和
・大きさの決め方→ 市民スペース(市民ワークショップ検討)、執務スペース(庁内作業部会検討)、議会スペース(議会との協議)3つの機能を積み上げて11000平米になった。
・その後、機能を一棟集約して8995平米に収めた。
・総事業費49億700万円
・新庁舎のイメージ動画を流す。
と、こういう流れだった。
この後選択肢の説明になるので、その前に現計画を一通り説明するのは流れとしてはいいだろう。
集会の冒頭、住民投票の説明で「選択肢 (付け替え道路の変更を)1・伴わない 2・伴う」だったので、最初に道路付け替えの理由を説明したのはよかったと思う。
しかしこの説明は道路付け替えのメリットばかりを挙げていて、直接言及してないが、「付け替えないとそのメリットを否定する結果になる」と言っているようなものではないか?。
すなわち、1一棟集約「できません」 2新庁舎へのアクセス「悪くなって」、通園通学路の安全性の向上「が見込めません」 3文化会館駐車場の渋滞緩和「できません」 というような。
このあとの質疑応答で若者からの質問に市側は「選択肢2も過去に検討した。いろいろな問題があり選択肢1になった。」と答えている。検討した過去の経緯があるなら選択肢2にもメリットはあったはずだと思うが、どうなのだろうか?
もちろんここは「現計画を説明する」ところで、それ以外の説明をする必要はなく、選択肢1のデメリットも説明しなくてはならないわけでもない。
しかし。モヤモヤとした疑問が残るところだ。
そのあと現計画の市庁舎規模の具体的な平米数が決まった経緯の説明があった。
「現計画の説明」だから、決定している数字(新庁舎面積)を公表するのは悪くないだろう。
しかし、今回の住民投票での争点は『選択肢 「1・伴わない 2・伴う」』だし、住民投票説明において実行委員加藤氏が『「50億5階建てとか30億3階建てを問うものではありません。」』と言っている。
具体的な数字を問う住民投票ではないところで数字が出てくれば、市民はとまどうのではないか?
道路形状、敷地形状に変化のないのが選択肢1だ。ならば出来上がる建物も現計画と変わらないだろうと思うのが普通の感覚ではないか?
ならばこの数字「8995平米」が選択肢1だな、と思うのも無理はない。
さらに勘ぐれば、「8995平米」は「11000平米」を一棟集約して達成した数字だと言う。
一棟集約しない選択肢2は、「8995平米」以上になる、とも取れるような表現だ。
そして最後に現計画での新庁舎イメージ動画を流す。
これも、くどいようだが、「現計画の説明」だからそういう動画があるなら流したっておかしくはない。
しかし、このイメージ動画はまちづくり集会に参加している多くの市民に誤解を与えたであろうことがうかがえる。
このあとの質疑応答で若者が、「イメージ動画ステキだった。見直しは絶対必要なのか?」という質問をしているのだ。
あんなステキな新庁舎が、見直すことによってできなくなるのは残念だと言っているわけで、これはその若者だけが思ったはずはない。
そして選択肢1と2、パッと見れば道路形状、敷地の形状が大きく変わるのが選択肢2なので、
『「見直し=選択肢2」だから「ステキ動画でなくなる=選択肢2』」と思う市民もいたに違いない。
ここまで懇切丁寧に、住民投票は「現計画の見直しを問うもので、選択肢は「1・伴わない 2・伴う」だけ。50億5階建てとか30億3階建てを問うものではない。」と説明してきたのに、この動画一発でそういう説明を市民の頭の中から吹っ飛ばしたんじゃないかと思うほどだ。
この6の段、市側はまちづくり集会の条件内で目一杯の「ホントは現計画で行きたいんです」アピールをしてきた感がある。
市側の作戦が見事なわけだし、実行委員会もまちづくり集会の進行としては「公平公正」で問題無いと言えるのだろう。
またくどいようだが、しかし、だ。
例えば「住民投票広報」だ。これは市長が作成した。
この「広報」はわかりにくいとされた選択肢の説明資料として作成することが議会で決まった。
議会で決まったんなら、議会が「広報」を作るのが筋だし、「議会の責任」というものだろう。
市長は現計画推進の中心人物で選択肢1を望んでいる。市長が「広報」作るのは公平では無いはずだ。
実行委員会はそういう「不公平の構造」には目をつぶっている。
出来上がっているもの(「広報」やこの前も指摘した「選択肢の説明を議会がしないこと」、すべて議会がやらねば不公平なこと)を「公平公正」に推進することに力を尽くすと決めたのだな。
「公平公正」は誰のためなのか?
ここまででわかるのは、それは決して市民に対して「公平公正な情報」を与えるものではなく、議会・市側と求める会の2者に対して「公平公正な場」を与えようとしたことではないだろうか。
この後は選択肢の説明に入る。
ここでも選択肢1、2の説明は実行委員会が行い、市側・求める会両方には引っ込んでいてもらい「公平公正」であろうとしている。
しかし「公平公正な場」を提供するだけなので、その「場」でどんな発言をしてもその発言が「公平公正」なモノかは実行委員会としては「知らん」ということなのだろうな。
とまどうのは市民で、この選択肢の説明でヤジが飛ぶのだ。
だらだらと長くなったので続きはまた書こう。