今年(2017年)のこと
facebookに記事を書くと、読んだ人が「いいね」てのを付けてくれることがある。
新城市議会議員さんでもfacebookをやってる方がいて、私もブログのネタ集めのためによく拝見させてもらっているが、この「いいね」を付ける人を眺めていると、議員さんごとに大体同じ方々であることに気づく。
さらによく見ると、「いいね」を付ける人たちによって議員さんの派閥が出来上がっているようにも見えてくるのだ。
つまりA議員、B議員に「いいね」を付ける人たちは、C議員には付けない。
逆に、C議員に「いいね」を付ける人たちは、A、B議員にはつけない、という感じ。
応援、支持、というのは、つまりこういう事なのだろう。
意見や考え方や政策を支持するのではなく、その「人物」を支持する、ということだ。
親しく顔をあわせる仲の良い人に、批判めいたことを言うのはなかなか抵抗があるものだ。
仲良くなってしまえば、自分と多少の意見の相違があっても目をつぶり支持してしまうのが「人情」というものだろう。
意見したり、ましてや批判するときなんてのは、もう絶交を覚悟してしまうものだし、事実次に会った時にはあいさつしにくく、かろうじて会釈できるかというところだ(笑。
私もこのブログで市議会議員さんやら市長やらを批判してきたけれども、面識がないから平気でいられる部分は大きい。
何かの拍子でこれらの人たちと親しくなってしまったら、多分このブログでは取り上げなくなるかもしれない(笑。
今年の11月には市長選挙、市議会議員選挙がある。
このブログを始めたきっかけは新庁舎建設の件からだ。
その後も住民投票や市長リコール、最近だと政倫審や懲罰動議のことなど新城市政には何かと良からぬ事ばかり起きてきた。
色々考えて批判して来たりしたけれども、つまるところそういう市長、議員を選んだ私たち市民にブーメランが返ってくる。
市政の問題は、選んだ私たちにも問題があるのだ。
市政を良くしてくれるのならば、人物はどうだっていい。
ただ良い政策を立てて実行してくれさえすればよい、そういう人物を選挙で投票したいと思うのだが、ここでさっきまで書いていた「人情」のことが思い浮かんでくる。
選挙って、どうしても「人物」で投票しがちだ。
「さわやか」「清潔感」「やさしそう」等など、その人の持つ、あるいは醸し出す雰囲気などの与える影響は大きい。
そして投票したからには、その後の私たちときたら何が何でも全肯定、全賛成で、批判なんかしなくなってしまう。
こんなことでいいのか?
今年のモットーは「仲良くしない」。
仲良くなったが故に、モノが言えなくなり正常な判断から遠ざかってしまうのなら、もう「仲良くしない」。
「人物像」からは一定の距離を置き、市政を真剣に考え、意見や考えに筋道の通った「人物」であるか。
この1年はそこのみを見ていきたいから「仲良くしない」。
選挙の結果は私たちに跳ね返ってくることを、よっく考えたい。
新城市議会議員さんでもfacebookをやってる方がいて、私もブログのネタ集めのためによく拝見させてもらっているが、この「いいね」を付ける人を眺めていると、議員さんごとに大体同じ方々であることに気づく。
さらによく見ると、「いいね」を付ける人たちによって議員さんの派閥が出来上がっているようにも見えてくるのだ。
つまりA議員、B議員に「いいね」を付ける人たちは、C議員には付けない。
逆に、C議員に「いいね」を付ける人たちは、A、B議員にはつけない、という感じ。
応援、支持、というのは、つまりこういう事なのだろう。
意見や考え方や政策を支持するのではなく、その「人物」を支持する、ということだ。
親しく顔をあわせる仲の良い人に、批判めいたことを言うのはなかなか抵抗があるものだ。
仲良くなってしまえば、自分と多少の意見の相違があっても目をつぶり支持してしまうのが「人情」というものだろう。
意見したり、ましてや批判するときなんてのは、もう絶交を覚悟してしまうものだし、事実次に会った時にはあいさつしにくく、かろうじて会釈できるかというところだ(笑。
私もこのブログで市議会議員さんやら市長やらを批判してきたけれども、面識がないから平気でいられる部分は大きい。
何かの拍子でこれらの人たちと親しくなってしまったら、多分このブログでは取り上げなくなるかもしれない(笑。
今年の11月には市長選挙、市議会議員選挙がある。
このブログを始めたきっかけは新庁舎建設の件からだ。
その後も住民投票や市長リコール、最近だと政倫審や懲罰動議のことなど新城市政には何かと良からぬ事ばかり起きてきた。
色々考えて批判して来たりしたけれども、つまるところそういう市長、議員を選んだ私たち市民にブーメランが返ってくる。
市政の問題は、選んだ私たちにも問題があるのだ。
市政を良くしてくれるのならば、人物はどうだっていい。
ただ良い政策を立てて実行してくれさえすればよい、そういう人物を選挙で投票したいと思うのだが、ここでさっきまで書いていた「人情」のことが思い浮かんでくる。
選挙って、どうしても「人物」で投票しがちだ。
「さわやか」「清潔感」「やさしそう」等など、その人の持つ、あるいは醸し出す雰囲気などの与える影響は大きい。
そして投票したからには、その後の私たちときたら何が何でも全肯定、全賛成で、批判なんかしなくなってしまう。
こんなことでいいのか?
今年のモットーは「仲良くしない」。
仲良くなったが故に、モノが言えなくなり正常な判断から遠ざかってしまうのなら、もう「仲良くしない」。
「人物像」からは一定の距離を置き、市政を真剣に考え、意見や考えに筋道の通った「人物」であるか。
この1年はそこのみを見ていきたいから「仲良くしない」。
選挙の結果は私たちに跳ね返ってくることを、よっく考えたい。