市議会議員選挙
私なんかはこのブログで文句ばかり言っているが、他の人から見れば私のような態度は嫌がられるものだ。
新城市では市長・市議会銀選挙の選挙運動真っ最中だが、それに関係したどっかのブログで「誰かの批判から入る人達の話は本当につまんない」とか書いてあるのを見かけて、「まぁそうだよな」と思いつつ、「そういうキミも批判から始まっとるがの」と心の中で文句を言っておきましたよ。
我が家にも選挙公報が届けられて、市長、市議会議員候補の皆さんの訴えをつらつらと眺めていた。
どれもこれも「私が市長に・市議会議員になったらば・・・」という未来に向けたやりたいコトばかりで、それはそれで結構なことだ。
前にも書いたけれども、未来に向けたやりたいコトってのは読んでいて気持ちが明るくなるものだ。
書いてあることが実現したらホントにイイよなぁと思う。
しかしそんなことをマトモに信じるのは、イイ年こいた大人の態度ではないと思うよ。
結局は、「批判する」、「文句をつける」ことになる。が、しかしこの「批判」、「文句」をもう少し詳しく考えてみよう。
最初は「疑い」を持つことだ。
「批判から入らない」という態度は「疑いを持たない」という事だと思う。
他人を100%信じるのは尊い行為だとは思うよ。でも世の中、信じてバカを見たことはイイ年こいた大人なら多少なりとも経験あるだろう。
私たちの税金を元手に市民福祉のために邁進するのが市長、市議会議員の努め、使命だ。
その使命を100%信じるのは、そりゃ結構なことですけど、貴重な財源の使い道を監視することこそがイイ年こいた大人、つまり私たち有権者の真っ当な態度だと思いますよ。
監視するってことはつまり「疑う」こと。常に彼らがマトモに仕事をしてくれているか見ていなければならないと思う。
疑うことを怠るとどうなるか。
例えば先日皆さんのお宅にも配られたであろう選挙公報で見てみる。
村田こうすけ氏は「課題・早期目標」として、1)新城駅エレベーター設置と駅周辺整備バリアフリー化 を挙げておられる。
「課題・早期目標」とは、未だ実現されていない意味を表すと思うのだけれども。

こちらの画像は長田議員のfacebookから引用させてもらったものだが、今年の9月定例会においてすでに「駅周辺整備バリアフリー化」については工事着手、供用開始の時期が決まっている。「エレベーター設置」も計画ができているようで、市の予算でJR東海が工事実施も決まっているようだ。
すでにここまで決まっていることを「課題・早期目標」と言い切るとはどういう了見か。
でも9月定例会でのこの長田議員の質問、市からの答弁を知らない市民にとってはどうだろうか。
村田氏の「課題・早期目標」がすぐに実現化されることに驚くのではなかろうか。
そして村田氏の有言実行力を褒め称えるんだろうかね。
これが疑わないことの成れの果てだ。
そうは言っても、私もこの件をたまたまよく覚えていたからピンときたのであって、やはり知らなければ「村田氏、スゴイじゃん」とか呑気に思っていたかもしれない。
そう、次に大事なのは「知る」ことだ。
「疑う」ことがまず大事だが、その「疑い」だけを材料にして思ったことを言うだけでは、それはデマやウソになってしまう。
疑いを裏付ける「事実」を知らなくてはいけない。そこで初めて「批判」「文句」が成立するのだと思っている。
「事実」を知ることに対しては様々なアプローチがある。
私が先に挙げたのは村田氏の言ってることに対しての反論的な事実といえるだろうか。
今回の選挙のように、「人物」を選ぶときには、その人物が過去何をしてきたか、言ってきたか、という事実も、知るための重要なアプローチになると思う。
例えばその人物が前議員だった場合、どんなに景気の良い「未来に向けてやりたいコト」を述べていても、過去の議員活動でなんの成果も出せていなかったら、果たしてその人物の言っているコトに信頼を寄せることができるだろうか。
あるいは成果が出ていなくても、議員活動において不真面目であったり、議会に無用な混乱を招いていたり、そういう人物の言うコトが信じられるだろうか。
「事実を知る」ということは以上のように、過去を調べる、過去を知る、ということになる。
9月の定例会の新聞記事を引用したり、あるいは議会改革検討会議に一度も傍聴に来なかったとか、住民投票のときの実務協議のときに変則的な動きをしたりとか、などなど。
過去を知っておかなくては、今の景気の良い「未来に向けてやりたいコト」に、だまされてしまうということだ。
しかし生憎、過去の事ってのは忘れてしまう。
よっぽど腹の立つことなど強烈な印象でもない限り、大概の事は忘れてしまう。そして、今、声高に叫んでいる景気の良い「未来に向けてやりたいコト」にだまされてしまうのだ。
市長・市議会議員候補さんたちで、過去を振り返り総括の弁を述べつつ未来を語る人物なんてほとんどいない。
彼らの過去は、私たち自身が手間暇かけて調べなければわからない。
これはかなり不公平だ。過去の議員活動なんて黙ってりゃわかんないとでも思っているのだろう。
「政策で市長、市議会議員を選ぶ」なんてのも聞こえはいいけれども、要は「過去の事は黙っていましょうや」という意味にもなることを忘れてはいけない。
過去の事を知る良い手助けになるのは、こちらでもお馴染み「パパゲーノの夢」さんの10月25日の記事、
「テスト形式で新城市の問題をチェック」だ。
これには答えそのものは書いていないけれども、この問題文で検索すれば続々と関係議員の名前が出てくるだろう。
投票は明日だけれども、候補者の皆さんの過去の活動をなるべく知っておいてほしいと思う。
そのような「批判」精神を持ち続けていきたいと思っている。
新城市では市長・市議会銀選挙の選挙運動真っ最中だが、それに関係したどっかのブログで「誰かの批判から入る人達の話は本当につまんない」とか書いてあるのを見かけて、「まぁそうだよな」と思いつつ、「そういうキミも批判から始まっとるがの」と心の中で文句を言っておきましたよ。
我が家にも選挙公報が届けられて、市長、市議会議員候補の皆さんの訴えをつらつらと眺めていた。
どれもこれも「私が市長に・市議会議員になったらば・・・」という未来に向けたやりたいコトばかりで、それはそれで結構なことだ。
前にも書いたけれども、未来に向けたやりたいコトってのは読んでいて気持ちが明るくなるものだ。
書いてあることが実現したらホントにイイよなぁと思う。
しかしそんなことをマトモに信じるのは、イイ年こいた大人の態度ではないと思うよ。
結局は、「批判する」、「文句をつける」ことになる。が、しかしこの「批判」、「文句」をもう少し詳しく考えてみよう。
最初は「疑い」を持つことだ。
「批判から入らない」という態度は「疑いを持たない」という事だと思う。
他人を100%信じるのは尊い行為だとは思うよ。でも世の中、信じてバカを見たことはイイ年こいた大人なら多少なりとも経験あるだろう。
私たちの税金を元手に市民福祉のために邁進するのが市長、市議会議員の努め、使命だ。
その使命を100%信じるのは、そりゃ結構なことですけど、貴重な財源の使い道を監視することこそがイイ年こいた大人、つまり私たち有権者の真っ当な態度だと思いますよ。
監視するってことはつまり「疑う」こと。常に彼らがマトモに仕事をしてくれているか見ていなければならないと思う。
疑うことを怠るとどうなるか。
例えば先日皆さんのお宅にも配られたであろう選挙公報で見てみる。
村田こうすけ氏は「課題・早期目標」として、1)新城駅エレベーター設置と駅周辺整備バリアフリー化 を挙げておられる。
「課題・早期目標」とは、未だ実現されていない意味を表すと思うのだけれども。

こちらの画像は長田議員のfacebookから引用させてもらったものだが、今年の9月定例会においてすでに「駅周辺整備バリアフリー化」については工事着手、供用開始の時期が決まっている。「エレベーター設置」も計画ができているようで、市の予算でJR東海が工事実施も決まっているようだ。
すでにここまで決まっていることを「課題・早期目標」と言い切るとはどういう了見か。
でも9月定例会でのこの長田議員の質問、市からの答弁を知らない市民にとってはどうだろうか。
村田氏の「課題・早期目標」がすぐに実現化されることに驚くのではなかろうか。
そして村田氏の有言実行力を褒め称えるんだろうかね。
これが疑わないことの成れの果てだ。
そうは言っても、私もこの件をたまたまよく覚えていたからピンときたのであって、やはり知らなければ「村田氏、スゴイじゃん」とか呑気に思っていたかもしれない。
そう、次に大事なのは「知る」ことだ。
「疑う」ことがまず大事だが、その「疑い」だけを材料にして思ったことを言うだけでは、それはデマやウソになってしまう。
疑いを裏付ける「事実」を知らなくてはいけない。そこで初めて「批判」「文句」が成立するのだと思っている。
「事実」を知ることに対しては様々なアプローチがある。
私が先に挙げたのは村田氏の言ってることに対しての反論的な事実といえるだろうか。
今回の選挙のように、「人物」を選ぶときには、その人物が過去何をしてきたか、言ってきたか、という事実も、知るための重要なアプローチになると思う。
例えばその人物が前議員だった場合、どんなに景気の良い「未来に向けてやりたいコト」を述べていても、過去の議員活動でなんの成果も出せていなかったら、果たしてその人物の言っているコトに信頼を寄せることができるだろうか。
あるいは成果が出ていなくても、議員活動において不真面目であったり、議会に無用な混乱を招いていたり、そういう人物の言うコトが信じられるだろうか。
「事実を知る」ということは以上のように、過去を調べる、過去を知る、ということになる。
9月の定例会の新聞記事を引用したり、あるいは議会改革検討会議に一度も傍聴に来なかったとか、住民投票のときの実務協議のときに変則的な動きをしたりとか、などなど。
過去を知っておかなくては、今の景気の良い「未来に向けてやりたいコト」に、だまされてしまうということだ。
しかし生憎、過去の事ってのは忘れてしまう。
よっぽど腹の立つことなど強烈な印象でもない限り、大概の事は忘れてしまう。そして、今、声高に叫んでいる景気の良い「未来に向けてやりたいコト」にだまされてしまうのだ。
市長・市議会議員候補さんたちで、過去を振り返り総括の弁を述べつつ未来を語る人物なんてほとんどいない。
彼らの過去は、私たち自身が手間暇かけて調べなければわからない。
これはかなり不公平だ。過去の議員活動なんて黙ってりゃわかんないとでも思っているのだろう。
「政策で市長、市議会議員を選ぶ」なんてのも聞こえはいいけれども、要は「過去の事は黙っていましょうや」という意味にもなることを忘れてはいけない。
過去の事を知る良い手助けになるのは、こちらでもお馴染み「パパゲーノの夢」さんの10月25日の記事、
「テスト形式で新城市の問題をチェック」だ。
これには答えそのものは書いていないけれども、この問題文で検索すれば続々と関係議員の名前が出てくるだろう。
投票は明日だけれども、候補者の皆さんの過去の活動をなるべく知っておいてほしいと思う。
そのような「批判」精神を持ち続けていきたいと思っている。
2017年10月28日 Posted byけま at 09:14 │Comments(2) │市議会議員選挙
この記事へのコメント
お疲れ様です
なるほど納得する事も多いです。
確かに言い方の問題にはなってしまいますが疑う事から重ねた確認に繋がり、それがミスを減らす事も多いしそうするべきだと思います。
ただ、自分が思うのは候補者がやりたい事、やろうとする事を語らず人の批判しかしないのは相手が居て始めて存在意義を見出せる人なのかなと思ってしまいます。ここが駄目だからこうした方がとかという代替え案のない反対等に意義を感じられないので。
しかしながら、色んな人がいて色んな考え方がある、違う考えの人を否定するのではなく参考にする事で学習し、進んでいけるとも考えておりますので色んな意見を聞くには楽しいですがね(^ ^)
熱くなって言い合いをするぐらいでなければ中々本音は出てこない様な気もするので
また、色々と教えて下さい
なるほど納得する事も多いです。
確かに言い方の問題にはなってしまいますが疑う事から重ねた確認に繋がり、それがミスを減らす事も多いしそうするべきだと思います。
ただ、自分が思うのは候補者がやりたい事、やろうとする事を語らず人の批判しかしないのは相手が居て始めて存在意義を見出せる人なのかなと思ってしまいます。ここが駄目だからこうした方がとかという代替え案のない反対等に意義を感じられないので。
しかしながら、色んな人がいて色んな考え方がある、違う考えの人を否定するのではなく参考にする事で学習し、進んでいけるとも考えておりますので色んな意見を聞くには楽しいですがね(^ ^)
熱くなって言い合いをするぐらいでなければ中々本音は出てこない様な気もするので
また、色々と教えて下さい
Posted by ヒロくん at 2017年10月30日 11:59
ヒロくんさん、コメントありがとうございます。
「批判は相手が存在してこそ」というのはなかなかの名言だと思います。
市長や市議会議員のみなさんには肝に銘じてほしい言葉ですね(笑。
私たち市民も身近なところからで良いので、生活をより良くするための“気づき”を持ちたいものです。
その“気づき”に市長や市議会議員がどのように応えてくれているのか。
ここを注意深く見ていきたいものです。
「批判は相手が存在してこそ」というのはなかなかの名言だと思います。
市長や市議会議員のみなさんには肝に銘じてほしい言葉ですね(笑。
私たち市民も身近なところからで良いので、生活をより良くするための“気づき”を持ちたいものです。
その“気づき”に市長や市議会議員がどのように応えてくれているのか。
ここを注意深く見ていきたいものです。
Posted by けま
at 2017年11月22日 03:26
