どちらのお金の出入りが?

新城市という地域で、年金の仕組みにおけるお金の出入りを見ると、出ていくお金は現役世代の負担する「国民年金保険料」、入ってくるお金は高齢者の受け取る「年金」、となる。
そして新城市は都会に比べて高齢化率が高い。

それを踏まえて市長が言うには、
「その視点から、高齢化率の高い地域の年金収入を見た場合には、その地域の現役世代が負担する以上のものが流入してきていることが分かります。」
(これは、2016年03月24日「地域経済の「外貨稼ぎ」の視点から財政を見てみると」 というブログから引用http://tomako.dosugoi.net/e850266.html

しかし前回のブログで指摘したように、入ってきたお金は高齢者のフトコロに入るだけで現役世代のフトコロに入ってくるわけではない。
現役世代がその「年金収入」の恩恵に預かるには、「年金」が現役世代のフトコロに入ってくる『仕組み』が必要だ。

この『仕組み』の中心になるものが「地域産業総合振興条例」であろう。
この条例のキーワードは「産業自治」。
全くの造語で、この条例作成の中心になられた愛知大学地域政策学部の鈴木誠教授が考え出した、と聞いている。

「産業自治」のカラクリは市長がブログで書いているこの部分、
「年金所得が地域内で消費され、循環されればされるほど、高齢化率の高い地域の若者ほど還元率が高くなることも分かります。」
「地域の経済循環を意識的につくり、高齢者所得がまわりまわって若者の経済活動に還元されるような「産官学金労」連携体制を築こうとしています」

地域のお金を地域で使ってもらい地域内でのお金の循環を活発にすれば、回りまわって現役世代にフトコロが潤う(だろう)、という仕組みだ。
前のブログにも書いたけど、年金の一部が現役世代のフトコロに直接入ってくるものではない。


私も「経済」には疎いので、こういう理屈を言われれば「そうなのかね?」と思うほかない(^_^;)
なんせ市長はお若いころ「マルクス主義青年同盟」とかいうとこのリーダーだったらしくて、マルクスと言えば「資本論」ですわ。
もちろん「資本論」を熟知しているんでしょうから、その辺りの理屈から新城市を舞台に実践なさっているんでしょう、知らんけど。
2016年03月24日の市長のブログでは、この条例で謳われている「産業自治」を目指す組織「産業自治振興協議会」の拡大会議が開かれたとのこと。
うまく産業自治が進んで、地域に住み働く私たち現役世代のフトコロが潤うならなにも文句は無い。

ところで、他地域に比べて新城市の高齢化率の高さが年金収入の高さに繋がっているのならば、極端な話、若者がいなくなった方がよい、ということになるのかしらん?
現役世代がいなくなれば新城市から出ていく「国民保険料」はゼロになり、高齢者ばかりの新城市には「年金」だけが入ってくる、という理屈になると思うが、市長!どうなんでしょう?
2016年03月24日のブログの書き方で言えば、「外貨を稼ぎまくる」ことになるんじゃないのかね?
若者に新城に住んでもらう必要もなくなるわけかのぅ。

高齢者も年金をもらう前は働いていたわけで、その時の収入と年金収入を比べると、どちらが多いのだろう?
これ、普通は現役世代だったころの方が稼ぎが良かったはずだよね。

年金は高齢者の収入で、その年金収入は新城市の収入だと、市長は言っている。
ならば、現役世代の収入も新城市の収入と言っていいだろう。高齢者の「年金」も現役世代の「労働による報酬」も同じものだろう?それで生活しているんだから。

「市民の収入の総額」という視点で見れば、収入の少ない高齢者(すなわち年金収入者)の割合が多くなれば、「市民の収入の総額」は下がるはずだが、これっておかしい理屈だろうか?
「市民の収入の総額」が下がれば、新城市地域内を循環する資金の総額が減る。
地域内の経済活動は地域内資金が減れば鈍ってくるのではないだろうか?

年金の仕組みから見た新城市への資金の出入り、市民の収入から見た新城市への資金の出入り。
一体どちらが地域内の資金の出入りの実態に近いのだろうか?



2016年03月29日 Posted byけま at 03:31 │Comments(0)

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