署名と投票

・「署名」することは、住民投票が行われることに賛成を意味する。
・住民投票が行われれば市長が辞める可能性が少なからずある。
・だから「署名」することは、「市長が辞める可能性」に賛成している。

という三段論法だ。これは多分新城市民みんなが思い描いている。
市長もそう思っているのだろう。
あんな敵意むき出しのブログを書いているのだから相当癇に障るのだろう。

市長にしてみれば、自分が辞める可能性に賛成している奴輩はおもしろくない存在だ。
例えば署名が集まり住民投票を行うことが決まったとする。

市長は署名簿を縦覧する。
「うむむ、この署名したヤツ、商売の御用聞きのために庁舎によく出入りしているヤツではないか。」
「オレに辞めればいいと思って署名したのか、おのれ許せん!」
「オマエ、市役所に出禁な。」
と、こんなパターンか(笑

もうひとつはこんな感じか。

市長は署名簿を縦覧する。
「うむむ、この署名したヤツ、オレ様の部下、市の職員ではないか。」
「オレに辞めればいいと思って署名したのか、おのれ許せん!」
「オマエ、ボーナス無しな。」
と、こんなこともあるのかのぅ(笑

以上のことは極端に書いたけれども、つまりこういうことなのだよな。
自分の生活に市長や市役所が結びついている人は、言ってみれば「世話になっている」市役所の長たる市長に不利益なことはしたくない。
仕返しされて自分が不利益を被ることになるかもしれないからだ。

市職員だって自分とこのボスたる市長を辞めさせることにつながる「署名」は心情的になかなかしにくい。
自分とこの上司の不満は飲み会のネタになりがちだけど、実際に行動にでるかといえばそこまでは考えてないものだ。
職員同士で「あいつは署名した、いやしなかった云々」ともなれば人間関係もギスギスして仕事もやりにくかろう。
ひょっとしたら出世できないかも、とか思うやもしれない。

これが前回の記事で挙げた「何らかの不都合や不利益」と言えるだろうか。

「署名」が「誰」でも「見られる」ことは、公平公正なシステムとして問題無いと言える。
しかし「誰でも見られること」が「何らかの不都合や不利益」を生むもとににもなっていて、結局足かせになってしまっているのは実に皮肉なことだ。

ところで、署名の先にある住民投票をいきなりやる、となったらみんな悩むだろうか?
投票は無記名の秘密投票だ。これなら誰がどっちに投票したかわからない。
個人のなかでの葛藤はあるかもしれないが、黙っていれば生活の上での不利益はないだろう。

ということは、「署名」が「記名投票」のように捉えられていることが問題なのだな。


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2016年01月12日 Posted byけま at 10:27 │Comments(0)市長リコール運動

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