聞いた話

最近職場の先輩に聞いた話。

“あつしさま”なる人物が昭和40年代の鳳来町から新城市間のバスによくお乗りになったそうだ。
その“あつしさま”、バスに乗るなり天蓋(この頃のバスは冷房がついていないので車内を涼しくする工夫が必要だった。そのひとつとしてバス天井に、風通しを良くするための開閉可能なフタがあった)をバン、バン、バンと(天蓋はいくつかあったらしい)開け放ち、後ろの座席にどっかと座るのがいつものことだったらしい。

格好と言えば、着物姿に裾をからげて腰の帯に挟み込み、股引を見せたまま。
新城市の栄町までよくお乗りになったそうだ。なにを生業にしていたかはわからない、らしい。


まぁ、変わっているといえば変わった御仁で、おかげで先輩もよく覚えておいでとのことだ。


“あつしさま”のお宅は旧鳳来町の湯谷の少し先あたりにあるらしく、大資産家だったらしい。
広い宅地に大きなお屋敷を構えていたとのことだ。
あるとき“あつしさま”宅の前の国道を拡張する計画が持ち上がった。拡張分が“あつしさま”宅にもかかってしまうために、係りの者がお宅に伺った。

そこで“あつしさま”がこう言ったらしい。
「計画のさらに倍の広さに拡幅せよ。それならば拡幅分も含めてタダで土地を譲ってやる。」

“あつしさま”のおっしゃるには、この先自動車の往来はもっと増える。その時になってまた「拡張を・・・」ではまどろっこしい。今のうちにドンと広い道路を作っておけ。 ということだったそうだ。
言い分どおり、“あつしさま”宅の前だけは道幅を広く作ったらしい。
これは今でもこの痕跡が残っていて、湯谷の先を少し行ったところだけは道幅がやけに広いとのことだ。
確認はしていない(笑

変わった御仁だが、先を見る眼と公共のためにはケチなことを言わない、そんな人物像が窺える。
名字は「穂積」だそうだ。



2016年04月10日 Posted byけま at 07:56 │Comments(3)

この記事へのコメント
あつし様は鈴木です。H市長のご自宅はゼンリンで「S木・H積」となっております。
穂積姓は物部氏系統の日本でも最も古い名のひとつで、そこから鈴木姓が産まれました。
あのあたり、ぐるーっと鈴木さんが囲んでいます。
穂を積んだとこから、すすきのような稲穂、というような流れがあるそうです。ただ穂積のホは、穂ではなく火のホという見解があります。ご自宅は火涼庵という名前です。にすいの涼です。
Posted by GK at 2016年04月18日 17:16
>GKさん

コメントありがとうございます。
本当かどうかわからず、しかも詳しく確認もせずに全くの伝聞で書いた記事です(^_^;)

にもかかわらず、大変お詳しい情報をありがとうございます。
なかなか由緒のある名字なんですね。古くからそこにお住まいなのでしょうか?
「にすい」は氷の原字とか。「火涼庵」とは禅問答のような意味ありげな名前ですね。
Posted by けまけま at 2016年04月19日 14:34
このあつしさまの父上は、鈴木麟三ですね。
Posted by KH at 2018年12月24日 04:33
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